『恐怖』は根強い!ではどう付き合っていきましょうか?〜なぜ保守化し、感情的な選択をしてしまうのか〜
人間だけが潜在的な死への恐れを抱いている
『恐怖』とは原始的な反応として根強いものです。
人間という種族は、遺伝的に見れば食われる立場にある歴史が長いです。
だから、しっかりと恐れを事前に感じて、警戒して、捕食を未然に防ぐことでこれまで生き残ってきました。
本来、恐怖とは、差し迫った死の恐怖に対する自然な反応です。
しかし、人間だけが発達した自意識のせいで、迫りくる危険がない状況でも、恐怖を経験することができてしまいます。
そんな、「潜在的恐怖」がいかに人間の行動に影響させてきたか、を解いた作品が『なぜ保守化し、感情的な選択をしてしまうのか』です。
本書の言う「人間の心の芯に巣食う虫」とは、先ほど申し上げた「潜在的恐怖」に当たります。
人間の文化は全て「死への逃避行」から生まれた!
30年以上心理学に精通してきた研究者たちが断言することは
人間の行動や思想はほとんどすべて、「死からの逃避行」に他ならない。
ということ。
そして、死への恐怖に対抗するため、人間が生み出した手段は大きく分けて2つです。
それは
・文化的な世界観
・自尊心
の2つです。
まず、「文化的な世界観」から。
人類は死の恐怖に対抗するため、自分たちが生死をコントロールしていると感じられるような世界観を必要としました。
同時に、目に見えない世界が「ほんとうに存在する」という具体的なしるしも必要でした。
それが儀式、芸術、神話、そして宗教です。
これらは人々が超自然的な現実認識を構築し、維持し、具体化することに大きく貢献しております。
また、「自尊心」は世界観を享受し、自分も文化の貴重な一員だと感じるために必要な心です。
自尊心があるおかげで、私たちは自分たちの世界観の正しさを肯定できるし、死に対する恐怖から身を守ることができます。
逆にいえば、自尊心が欠けている人間は、死の恐怖に野ざらしになってしまっています。
精神分析医のスーザン・アイザックスは
”発展したかたちの空想思考と現実思考は異なる精神過程だが、現実思考は同時に支えてくれる空想がなければ機能しえない”
と書いているが、まさにその通りです。
人間は儀式、芸術、神話、宗教がありながら、農業やテクノロジー、科学を発展させたのではなく、
儀式、芸術、神話、宗教があったからこそ、農業やテクノロジー、科学を発展させることができたのです。
死はいつも隣にあること
死を想起することは、
自分と共有する価値観を守る人に対するポジティブな反応を強め、
逆に異なる価値観をもつ人に対するネガティブな反応を強めます。
現在、このことを実証する研究と統計は驚くことに500事例以上あります。
興味深いのは、信念を擁護しようとする彼らの反応は、死を思い起こさせることのみにリンクしています。
社会的排斥、試験の不合格、強い痛み、手足の喪失のような他のネガティブな出来事では起こりません。
死を考えることだけが、私たちのあらゆる営みに多大なる影響を与えているのです。
本書を読んでいて、常に死を意識することは難しいと考えますが、「死への恐怖」が守りたい人を守るようにできているなら人の本質は「共同」にあるのかなと思います。
実生活で活きるというよりは今回は教養書の解説でした。
人間の、身近で実は最も遠い『死』について非常に新鮮な視点が持てました。