見出し画像

イジメは誰にでも起きる

https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1041686.html

私も中学の頃イジメの様なものにあった事がある。
自分で言うのもなんだが、勉強はできた方だし剣道をやっていたので運動も得意。
美術で言えば当時ペンテルが朝日新聞社と共同で世界児童絵画コンクールをやっていたので小学生の頃から特別賞を毎年頂いているといった大人にとっては極めて優秀な子供であった。

しかし優秀という事が必ずしも人気者になる条件では無いのが小学生や中学生(高校生もそうかもしれない)という子供の世界の摩訶不思議なところなのだ。

今思えば、まず男子生徒から10人規模で囲まれるという状況から始まり、そのうち妙なあだ名を付けられ、髪が天然パーマという事でそれをやたらといじられる様になったのがイジメのはじめだったのだろう。
そしてその男子生徒達の取り巻きの女子生徒からもターゲットにされるという事になる。

幸いなのかわからないが、私は剣道をやっていたおかげで、筋力と喧嘩に負けないというものが自然と備わっていたので、嫌な事をされるが虐められているという認識が当時は無かった。

私の場合は今考えれば、嫉妬や羨ましいという概念がねじ曲がって私に向けられたのだと認識できるが、当時は周りが敵だらけの気分であった。

歯科大学に進み、友人達とお酒を飲んでいる場所に昔の同級生が来ていて、友人達との飲み会に混ぜろと言い出した。(理由はその飲み会には女性も来ていたからだ)

当然断るのだがしつこいのだ。
共通点など見つからない相手に言う言葉も無く、断固拒否の姿勢を示したいたら、昔の同級生達が私に向かってこう言ってきた。
「お前変わったな」

私からすれば「は?」である。
もっと言えば、君達が変わらな過ぎるのでは?
未だに子供みたいな思考なのはどうなのか?
そんな感じであった。

人生は勝ち負けでは無い。
しかし、小中高と進んでいくにつれ、人生の目的を見つけていく事が重要だ。

コミニュケーションが苦手な人もいるだろう。
容姿を責められる人もいるだろう。

だが“それがどうした”である。
小中高では友人関係や教師が自分の世界の全ての様な気がするだろう。
そこから弾き出されるのは自分の存在自体を否定されている気持ちになるのもわかる。

しかし所詮学校などというものは、毎日勉強しにいく場所である。
仲の良い友人ができる事は良い事だが、友人にしてもらうという気持ちは不要である。
友人とはなってもらうのではなく、なるものだからだ。

今苦しい思いをしている若者に言いたいのは、大学生(高卒で働く人も)からが人生が始まると思って欲しい。

そして学校以外の場所に自分の居場所たる何か興味の持てるものを持って欲しい。

精神が成長しきれていない小中高の子供達に、イジメをやめなさいと言っても、必ず誰かが標的になって虐められるのだ。

これは社会の中で確立された上下関係ではなく、お山の大将の様な人間が、そのグループで上下関係を作り上げているだけなのだ。

そんな猿山の大将の様な人間のために自分の人生を丸ごと無くしてしまう様な事は絶対にして欲しくない。

逃げる場所がないならいつでもお話を聞きましょう。
アドバイスが欲しいならいつでもアドバイスを贈りましょう。

どんな理由でいつ自分がイジメられる側になるのか不安になる必要にありません。

真面目にコツコツと生きている人間が最後に虐めている側より幸せになる確率が高いのです。(絶対とは言えませんが、学びと成長はコツコツしか方法がありません)

虐められている事は恥ずかしい事ではありません。
虐めている人間が人として恥ずかしいのです。

先生に助けてと言って助けてくれないなら他の大人に言ってみましょう。
その人もダメなら更に他の人に言ってみましょう。
必ず手を差し伸べる大人に出会えるはずです。

大人であっても見て見ぬ振りをする下衆もいます。
教師であってもです。

そんな泥舟に助けを求め続ける必要はありません。

大人はもっと多くいますよ。

大丈夫。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?