メンタル不調の書かれ方|意外と少ない、当事者による「本物のうつ病」体験記。『うつ病九段』/先崎 学

 日常生活で「うつっぽくてさ~」などとよく言われたりするけれど、いわゆる精神病としての「うつ病」の心身の状態というのは、本当にそれはもう地獄のような苦しみなのだなぁということが、本書を読むと改めて認識される。

 著者は著名な棋士で、あの『3月のライオン』の映画監修なども務めている。おそらく多忙を極めたことが一因でもあるだろうが、突然、本当に突然として将棋が指せなくなった。考えがまとまらなくなり、朝起きられず、死ぬことさえ頭をよぎるようになる。電車に飛び込むイメージが、一日に何十回と頭の中を駆け巡るのだ。

健康な人間は生きるために最善を選ぶが、うつ病の人間は時として、死ぬために瞬間的に最善を選ぶ。悩みや苦しみから逃げるためでない(少しはあるかもしれない)。脳からの信号のようなもので発作的に実行に移すのではないだろうか。

 偶然にも著者の兄が精神科医であったため、早々に入院が手配され、休職に入る。治療を受けて退院はするものの、将棋が打てるような状態とは程遠く「いつ復帰できるのだろうか」という焦燥感が主に語られる。

 ほどなくして棋士仲間を相手に“リハビリ”として将棋を指せるまでに回復するが、当然のように調子のよい日とそうでない日がある。体調の波に一喜一憂するが、徐々にうつっぽいのとうつ病の症状は全く違うものだと実感していく。

うつ病のうつは体の中からだるさや疲れがきて、人としてのパワーががくんと落ちる。それに比べてうつっぽいというのは、表面的に暗いだけなのである。(中略)本物のうつ病はあらゆる感受性が消えてしまう。それは人間の生理的反応なのだろうが、もっと動物的なものだと思う。人間の進化した脳といえども、所詮は類人猿の一器官に過ぎないのである。

 とこで先述した精神科医の兄は、たいへん根気強く著者を支える。「とにかく死ぬな、必ずよくなる」と言い続ける。

「うつ病は必ず治る病気なんだ。必ず治る。人間は不思議なことに誰でもうつ病になるけど、不思議なことにそれを治す自然治癒力を誰も持っている。だから、絶対に自殺だけはいけない。死んでしまったらすべて終わりなんだ。だいたい残された家族がどんなに辛い思いをするか」

 本書はその兄の「本物のうつ病のことをきちんと書いた本は実は少ないんだ」というすすめがあり、リハビリの一環として日々コツコツと書き溜められたものだという。それとともに、「なんだかんだいっても自分には将棋しかない」という強い思いが著者を回復に導いた。当たり前のことだが、どんなにつらくても「自分はこれをやる」という強い使命感のようなものが、たぶん人を救うのだろう。

こころに残った一文


(兄の言葉として)「修羅場をくぐったまともな精神科医というのは、自殺ということばを聞いただけでも身の毛が逆立つものなんだ。究極的にいえば、精神科医というのは患者を自殺させないというためだけにいるんだ」

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