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メンソーレ川端デビューシングル【メンソレマンボ】が出来るまで


メンソレマンボ

2017年7月に発表となったメンソーレ川端オリジナルのデビューシングルである。

完全自主制作のこの作品。
学生時代は吹奏楽部に在籍していたが、曲を楽譜に起こす事などは出来ない。

トロンボーンをやっていたが、この楽器の楽譜はヘ音記号のため、今度はト音記号がわからなくなる始末。

では、どうやってオリジナル曲を作ったのか?
ゴーストライターでもいるのではないか?という疑問を持つ方もいるかも知れない。

その辺の作曲システムも後ほど詳しく説明していこう。

メンソレマンボが出来るまで!お楽しみください。


タイトル「メンソレマンボ」

タイトルを語る前にメンソレとはなんぞや?を紐解いていこう。

芸名にも使っているメンソーレ。

言わずとしれた沖縄の方言で「いらっしゃい」という意味である。


以前東京にいた時、友人の知人である沖縄の方(Sさん)と接触する機会があった。
沖縄の人はみんな顔が濃いかと思いきや、色白でシュッとしたそのSさんは、私を見るなりこう言った。

「俺より沖縄の人みてーだな!」

「でも沖縄にはあんたみたいな顔の人がいっぱいいるよー!」と。

初対面で失礼な奴だと思ったが、納得できるその言葉に妙に感心したのを覚えている。


メンソレマンボでCDデビューする前から、結婚式の余興やパーテーなどで歌う機会が多かった。


Sさんの言葉が頭にずっとあったのだろう。

いつしかステージに立つ時は

「メンソーレ川端」と名乗るようになっていた。

いわゆる自虐的なギャグでひと笑い取ろうという狙いであった。


それがそのまま今現在の芸名となったのだった。

デビューは4年前だが、メンソーレと名乗ってから考えると15年以上は経っていると思われる…。


ひょんな経緯で名乗ることになった芸名だが、今や普通に地元では「メンソーレさん」と呼ばれる様になった。

沖縄の人に言わせれば「いらっしゃいサン」と、訳がわからない呼び名かと思われる。


メンソーレの表記にもこだわりがあって、1度も行ったこともないのに沖縄の皆さんに対して失礼だから!という理由で

正式な「めんそ〜れ」というひらがな表記ではなく「メンソーレ」とカタカナ表記にした。

誰も気にしてはいないだろうが、自分だけがわかるこだわりである。



さて、本題に戻って曲のタイトル。

ステージ上だけでなく下北半島、いや青森県全体を盛り上げられる歌にしよう!というコンセプトの元、制作に取りかかった。

★一発目に会場を沸かせられる曲
★出囃子の効果もあるような曲
★合いの手が入れられる曲
★子供からお年寄りまで楽しめる曲
★表拍子で手拍子できる歌


それを考えると自分の中では美空ひばりさんの「お祭りマンボ」しかない!と思った。

度々余興などで歌ってきたこのお祭りマンボは、老若男女が必ず盛り上がる事を知っていた。やはり祭りのリズムは日本人の心を弾ませるのだ。

こうして作詞作曲に取りかかるのだが、先に述べたように楽譜など書けない。

合いの手を入れられるサビ部分をまずは鼻歌で作る。

忘れないように何度も何度も頭の中で繰り返し、ブレなくなったらボイスレコーダーで録音。

あとは同じ手順で曲全体を作っていく。

オケ(伴奏)はそれを生業とする業者に依頼。
遠隔でのパソコンや電話でのやり取りがメインである。

楽譜であーだこーだ言えない私は、ベースラインも口で別収録。

あとはテイストや雰囲気を伝えるだけ。

お祭りマンボが核となっているため、その辺は伝わりやすかった。

簡単に言うとお祭りマンボベースで沖縄音楽テイストが入った、地元を象徴する歌詞が入った歌。

タイトルは考えるまでもなく美空ひばりさんへ敬意を表して、お祭りマンボへのオマージュとして【メンソレマンボ】


同時期にオファー頂いていた、むつ市中央【楽市楽座】というイベントでお披露目となった。


地元で初めてお披露目の場となったイベント。



ブースもお借りして販売しました。



これに合わせて作ったグッズも多数!

誰が買うんだ!?って思いましたが、予想以上にに売れました。でも、決して人気があるからとは思っていません。
これも地元に根付いたタレントが居なかった証だと思われます。(謙虚)



午前と午後の2回ステージでお披露目。
その間は販売員と化しております。



街がメンソーレ一色になりました(ウソ)


オリジナル曲があるという事は強みだし、飛躍的に活動の場が広がって行きます。

市内のお土産屋さんやお店にも置いてもらったり、イベントに行くと即売会を行ったりと…

オリジナルCDがあるとないとでは大違い。


ここから二足のわらじを履きつつも、怒涛のメンソーレ活動が始まっていきました。




自主制作CD自主レーベル

どこか少しでも名のあるレコード会社のレーベルからCDを出すのも考えてみた。

スポンサーを募ろうとか色んな事を考えてみたが、結果として自主(自費)制作となった。


その理由として

●媚び売って人や団体、自治体の力を借りたら【負け】ではないか?
●好きなようにやれなくなって楽しく無くなるのではないか?

その2点だけであった。意地もあったのだろう。


ジャケット撮影は自分でして、ジャケット印刷、画像編集は友人が格安でやってくれた。
合わせてポスターも格安で1,000枚も作ってくれた。

CD自体もプレスする金などなく、CDケースとCDを仕入れ一枚一枚焼いてはCD盤面にプリントし、文字通り手作りで作って行った。

インク代や手間を考えると疑問が頭を過ぎったが、走り始めたからにはもうやめられない。


レコーディングはオケ完成後に、これまた友人の小さなコンテナを改造したスタジオで収録。

コーラスなどいるわけもなく、何度も何度もコーラス部分も自らが録り重ねていく作業であった。


そんな大した歌ではないにしても、初めてのオリジナル曲は当たり前の事だが「見本」になるものがない。

すべて自分がオリジナル。

どう歌えばいいのか?

歌いまわしはどうするのか?

全部自分で決めなくてはならない難しさに、プロのアーティストはじめ、オリジナル曲を持つすべてのアーティスト達に尊敬の念を抱かずにはいられなかった。


沖縄に1度も行ったことがない
下北の超ローカル歌手メンソーレ川端
下北応援ソング【メンソレマンボ】


誕生秘話という程ではないが、どこやら勢いと好奇心、儲けなど考えずに好きなようにこの曲は作られました。

最後までお読み頂いた方々には「こんなヤツが本州最北端にいるんだな」と、頭の片隅にでも記憶してもらえば嬉しい限りです。








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