【まことしやかな嘘】「同性婚を認めても少子化にはならない」は本当か
同性婚推進派でよく言われることなので改めて考えてみようと思います。
NPO法人 EMA日本というところで上記のようなQAが掲載されていました。
同性婚を認めると少子化に拍車がかかるのではないか、と言う質問に関して、そのようなことは「論理的に考えられない」と断言しています。
そうでしょうか?
まず、全文を引用します。(強調筆者)
A. 大多数の異性愛者の人達は、同性婚が認められても、同性同士で結婚することはまずないと考えられます。
また、同性愛者の人達は、同性婚が認められない現在、仕方なく異性と結婚して子どもをもうけることはまずないと考えられます。ほとんど全ての同性カップルは、同性パートナーと、ただ結婚できない状況にあるだけです。
さらに、異性カップルの人達が産む子どもの数が、同性婚が認められることによって減ることは論理的に考えられません。
むしろ、同性婚が認められる国では、同性カップルが子どもを養育するようになり、社会的な擁護が必要な子ども達の受け皿が増えていると言われています。
一見まともに聞こえる回答ですが、論理的誤謬がいくつも含まれています。
1行目から突っ込んでいきます。
まことしやかな誤謬
大多数の異性愛者の人達は、同性婚が認められても、同性同士で結婚することはまずないと考えられます。
ここにおいて、「異性愛者」とは何かの定義が十分になされていません。
「異性愛者」が一般的に解釈されるように、「異性に対して恋愛感情を持ち、性的欲求を覚える人」を指すのであれば、自身の性的指向に絶対的な確信があり、何があっても変更しないと言う不断の意志を持っていることが前提となっています。
そのような人間がどれほどいるでしょうか。大多数が、なんとなく異性愛者だと認識している程度ではないでしょうか。
ここでは潜在的同性愛者(この言い方さえも誤謬がある)について一切の検討をせずに異性愛者が同性婚することはないと断言しています。
LGBT関連の用語に「セクシャル・フルイディティ(sexual fluidity)」と言う言葉があります。日本語では「性の流動性」と訳されます。
つまり、セクシュアリティ、性自認・性的指向というものは一定ではなく、一度かそれ以上変更することがあるということを示す用語です。
物心ついた時から同性愛者であった人がどれほどいるでしょうか。
私は少なくとも200人以上のゲイと身体を重ねてきました。物心ついた時から同性愛者であったと言う人は実はそれほど多くないんです。
中学以降の学生時代に恋愛には興味なかったが、男性を見て興奮を覚えたというひとや、女性と付き合ってきたけどひどく振られて女性恐怖症になってゲイになったとか、歳をとってから男の子が好きになったとか、それぞれがそれぞれの理由で後天的に同性愛者になったと言う人が相当数います。
ですから、「異性愛者が同性婚をすることはありえない」というのは、「物体を投げるとその方向に進み続ける。なお、周囲は真空状態とする。」というような現実離れした命題です。
現実では異性愛者が同性愛に変わることだって十分にありますし、その逆もあり得ます。しかも、自分の意思ではなく、環境的要因に左右されて決定されます。ジェンダーフリーを叫べば叫ぶほど、このセクシュアル・フルイディティは増加すると言うことこそ明らかではないでしょうか。つまり、環境的要因が大きいのだとすれば、セクシュアリティの転化のハードルが低い環境下では、より容易に転化しやすくなるからです。
事実、最近では猫も杓子もバイセクシュアルだとか、パンセクシュアルだとかを自認する有様です。
ですから回答の本文に戻ると、「大多数」がどの程度か、「異性愛者」がどのような性質かも明確でないのに、論理的分析を行わずに「まずない」と断定してしまっては論理的ではないと言わざるを得ません。
異性愛者と同性愛者が互いに固定的であると言う前提自体が自己矛盾に陥ってしまっています。
LGBTはグラデーションのように多様だったのではないですか?
なんのためのレインボー・フラッグですか?
異性愛者と同性愛者は明確に区別することができるのですか?
そもそもマイノリティを扱うのに、「大多数は大丈夫」なんておざなりな言葉を使っていいんでしょうか?
といった疑問が残るだけで、何も明らかにしていない一文です。
さて、次の一文です。
また、同性愛者の人達は、同性婚が認められない現在、仕方なく異性と結婚して子どもをもうけることはまずないと考えられます。
これも「まずない」と断定していますね。これも1行目と同様に、結婚して子をもうけている潜在的同性愛者が同性愛に転化することも十分にあり得ますので、同様に、潜在的同性愛者が異性と結婚して子をもうけることも十分にあり得ます。
同じことの繰り返しになるので割愛します。
次。
ほとんど全ての同性カップルは、同性パートナーと、ただ結婚できない状況にあるだけです。
同性愛者が潜在的にどれくらい存在していて、どの程度が表に出てきているのかわかった上での回答でしょうか。
同性カップルとして表に出ている人たちの多くはすでに振り切っている人たちが多いですから、分母を考慮に入れていない時点でこの論理は通用しません。
一番問題なのが次です。
さらに、異性カップルの人達が産む子どもの数が、同性婚が認められることによって減ることは論理的に考えられません。
この説明を書いた人の気持ちになって論理を追ってみると、
同性愛者はもともと同性愛者である。
同性愛者は異性とコをもうけることはない。
仮に同性婚が認められたとして、今まで法的に認められなかった同性愛者の関係が法的根拠を持つだけだから、異性カップルが子を産む産まないに直接的影響は与えない。
同性婚を認めても生まれる子供の数は変わらない。
簡単に、以上のような論理展開であることが推測できます。
LGBTの当事者性の問題
しかし、決定的な問題があります。これは、LGBTにおける構造的な問題です。当事者たちが声をあげるのだから当然、自分たちが同性婚を認められなくても、異性と子をもうけることはないと考えているのでしょうが、20年、30年後に子を産む年齢となった次世代の人たちが同性愛者になりやすい可能性があることには一切注目していません。
2001年あたりに同性婚を施行したオランダでは20年の年月が経ちました。出生率は減少傾向にあります。
2003年に施行したベルギーも減少傾向にあります。
一方で2007年に、同性婚ではなくパートナーシップ法を施行したスイスはほぼ変わっていませんが微増しています。
これはあくまでも参考程度ですが、同性婚を法的に認めることによって後代の異性愛者が減少し、出生率が下がることは「論理的に考えられない」のでしょうか。
実際には、まだ十分な情報は得られません。
なにより、同性婚が認められてからまだ20年かそこらなのです。
この段階で減らないと断言できるその根拠は一体どこにあるのでしょうか。
私は男娼として、多くのセクシュアリティ転化したゲイを見ているからこそ、疑問に思うのです。
そして何より、LGBTが精神疾患でないという大義名分のひとつが、生得的ではなく社会的に獲得されるものだということに有ったのではないでしょうか。
LGBT当事者は自分のことしか考えていないのは至極当然のことです。他者や将来、社会の繁栄について思いが至らないのも無理はありません。だからこそ構造的に問題があると言うことを主張しています。
「〇〇なゲイの友達がいる」と言う説明がなんの根拠を持っていないことと変わりがないと言うのであれば、ゲイの当事者も客観的に自身のことを理解していない人が多いと言うのもまた事実です。
手脚を持っていない人が、自身は身体欠損の障害者であるという自認ができるような仕方での物差しを、LGBT当事者は持ち合わせていないのです。
論理的に正しいという説明はあちこちに散見されますが、それが十分な論理に基づいている場合は私が数多くの記事やHPを見ている中で未だかつて見たことがありません。
先述したような、仮想空間を想定した初級物理の教科書のような机上の空論でしかない説明があまりにも多すぎます。
しかし、おそらく1世代程度では同性婚による出生率への影響が統計的に優位に現れることはないかもしれません。そもそも、それを明らかにできるようなデータも十分に集められない可能性もあります。なにしろ、日本は合計特殊出生率がずっと低迷しているのですから、経済や政治といったあらゆる要因が絡まっているので、数値をはじき出すのは困難を極めるでしょう。だからこそ、「それもありうる」と言う態度で慎重にことに当たらなければならないと思います。
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