最近の気持ち
【はじめに.1】
この記事は日本語を理解できる方向けの記事です。
「日本語を理解できる」というのは、
日本語を理解できるという意味ではなくて
「日本語を理解できる」という意味です。
わかりやすく言うと、↑の文章を読んで「?」となったのであれば、
今あなたは私の想定する読者層ではないので、
意味が理解できるようになってから戻ってきてください。
戻ってこなくてもいい。
「『?』となったけどまあいいか」で読むのは本当にやめろ。
地獄を生み出さないためにもどうぞよろしくお願いいたします。
またこの記事は2.5万字を超える長文ですが、
読むのであれば一部だけでなく必ず全て読んでください。
地獄を生み出さないためにもどうぞよろしくお願いいたします。
タイトル「最近の気持ち」が指す「最近」とは、最近というほどの最近ではなく、4年ほど前から、記事書き始めの昨年の初夏頃にかけてのことです。
「気持ち」は今この瞬間も引き継いで感じておりますが、今に始まったことではないということを先に述べておきます。
また、書かれていることについては、
その書かれている状況が全てではありません。よろしく
【はじめに.2】
書き始めは2019年7月4日、遅筆極まってもう9か月になってしまった。
これは私の個人的な悲しみと、
そのあたりの感想・対策・心構え・決意的なのを
自戒・備忘録的に書いただけの記事なので、
本文中にも書くことですがそれで余計な波風を立てるのは本意ではない。
私個人の落書きでがたがたなるのが一番しんどい
という記事なのでのでまあはい。
実のところ、これ以降2万字に亘ってだらだらと書かれているのは
人間と人間関係についての話なのですが、
人間にも人間関係にも正解は無いというのは理解しています。
わかってんだよそんなことは!!!!!!!!!!111111
それでも、と思って書きました。つらすぎて
読んでいる間、何度も「は?」と思うでしょうが、
そこだけ短期記憶にでも留めながら読んでいただければと思います。
地獄を生み出さないためにもどうぞよろしくお願いします。私は理解しています。
内容が内容なので、場合によってはこの記事に呪われ縛られて苦しむ人も
出てくるかもしれない。
しかも主語がでかい上に綺麗事しか書いてない(ともすればハラスメントとも受け取られかねない)から
そういうのが苦手な人や他人に影響されやすい人は
読まない方が良いんじゃない、と思います、知らんけど
私は綺麗事はきたな事よりずっとマシだと思うから綺麗事の方が好きです。
要するにこれは
「宝くじが当たったらあれとこれ買って残りはそれに使いたい」とか
「魔法が使えるようになったらあれをこうしてどうしたい」
みたいなレベルの理想の妄想を空想しているだけの記事なので
その辺り短期記憶に云々。個人的な理想を語ってるだけです。
考え方が変わったり、新しい気付きがあったりしたら
追記などするかもしれない説はあるが、
この記事の意思表示を最後にもう何も言わないことにしたい。
【起源】
4年くらい前からついってーを見るのが本当に辛い。
誰かしらが誰かしらに毎日のように叩かれている、叩いている。
もしくはそれに近い何かが起きている。
地獄か(嫌なら見るな、わかるよ)。
本当はそういう自分と直接関係しないあれやこれやを気にしてる奴の方が
おかしいんでしょうけど、
生憎私は気にしてしまう気質を持って生まれてきてしまったので、
それが原因の全てというわけではないにせよ、
そのあたりのネットの地獄とか現実の地獄とか、
幼稚な人間が幼稚に争っている地獄とかの地獄を観測し続け、
気にし続けた結果、
人間を拗らせた。
見るもの全てが地獄になった。
ネットを開けば人間地獄、出かければ人間地獄、
テレビを点けても人間地獄、横を見れば地獄の人間がいて、
どこを見ても地獄の人間がいて、挙句の果てには自分さえも。
その全てが自分のことしか考えていないし、
自分が"良く"なるためには他人をどうにでもする人しかいない(というのは諸説ある、と今ではわかるが当時は本気でそう思っていたしそう見えていた)。
さらにはそう思う自分こそが、自分が快適でないという苦痛から勝手に周りを憎んでいるという"地獄人"そのものである事実。
完全に人間アレルギーになった。
アレルゲンに囲まれ、自分すらアレルゲンという無間地獄の生活が始まった。
そこから数か月にわたり楽になる方法を延々考え続けたが、
私の頭で導けた結論は、
視界に入るヒトを全員殺すか、自分が死ぬかの2択だった。
立場上(というかそもそも人として)自分が殺人鬼になるわけにはいかないしそんな勇気も無いから、
後者を採択するしかなくなった。しかしまだ死への苦痛は克服できず。
が幸なことに(?)色々あって、今は私個人はそこそこ回復できた(しかし時間が経って回復の効果が薄れつつあるのも感じる)のだが、
私個人が救われても環境は一切変わらず地獄のままで、
それは状況として回復薬を飲みながら毒の沼に浸かり続けているようなものであり、薬の効果が切れれば死ぬだけだし、
切れなくともそこにいるだけで削れていくという事実は不変で、
居心地が良くなるということは一切無い。
私の思うところには、
現状ペン回しでペン回しペン回しした活動をするには
ペン回し界に属していざるを得なくね?というのがあり、
それでいてそこの居心地が悪いのはかなり嫌だね、とずttttttttttっと思っている。私にはペン回ししかありませんので
言うまでもなく、救われた上で、居心地も良いというのが最高のはず。と思う。
だからこれは、私個人のそういう理想(呪い)で私自身を戒め直すためのもの。理想の押し付け
皆も毎日"我"を押し付け合ってるんだしいいでしょう。許してよ
正直内容的にはもう全員に散々言い尽くされたことなので
今更書くようなことではないと思うし、
こんなのを書くことこそが最悪説もあるし、
一番なりたくない「言わずにいられない奴」になってしまうのが
本当に嫌だが、あまりにも終わっているので、
この記事では人を叩くことの意味とかその辺の人間の色々について
書きたい。
こういうことを書くと
「いや別の界隈はもっと民度悪いがw旋転界はそこよりずっとマシ寧ろ活発で良いw」
とか言い出す者が出てくるが
なんで「別」の「下」と比較してるのか説明してほしい。
無理にでも上を目指した方が良いとbonkuraさんも言ってましたよね
【叩きを観測する・叩きとは】
最初に申し上げておきますが仲良しこよしが最高という話はしません。
そうではなくて、ただギスギスが最悪という話です。
上の通り、私は属している界隈の居心地が悪いのは嫌なので、
人を叩くのはやめてくれと思っている。(たまに喧嘩があるのはしょうがないと思う、人間だもの)
居心地の話の他にも、
仮に叩かれた人が深く傷ついて、ペン回しをやめてしまった場合、
その人がやめなかった未来に才能を開花させて、
ペン回しに新たな概念を生み出す可能性が消えてしまう
ということを考えると悲しいのですがどうですか。人材は誰であれ宝説がある。本当にそうかな
代わりは幾らでもいますか?一人消えたところで変わりませんか?JapEn1stをBGM有りで視聴した経験は?
まず、人を叩くこととはどういうことか考えた。
【「人を叩くこと」は、本質的にその人の宣伝をしてあげているのと同じであって、それでいて同時に自己の評価を落とし、かつそれに気付いていないという極めて幼稚な行為】
だと思う。
以下理由等々。
例えば仮に、私がこの記事を500円で公開したとき、
「ブログに無料で公開すればいいものを有料にする意味が分からんクソ乞食か?」
的なことを言う人がいるとする。
この時、これが意味するところは、
「メノワが何かしらの有料記事を投稿した」という事実の拡散、
つまり私が本来自分でする「記事を投稿しました」という告知をシェアすること同等であり、要するに宣伝と変わらない。
見た人が「どんな記事やろか」と興味を持ってくれればそれでいいからだ。
結局記事を見るためにはURLをクリック/タップしに行かなければならない。
それなりに興味を持ってくれた人は、その行程をちゃんと踏んでくれるでしょう。
あるいは、そうでなくとも、「メノワ、なんかしたらしい」と第2の拡散者になってくれるかもしれない。
有料の記事を購入するかどうかの判断をするのもその人次第ではあるが、
買う人は買い、それで私に収益が発生することになる。
チャンスが増えればそれで良いという話で、叩く人はそういうチャンスを作ってくれるボランティアのようなものといえる。
そもそも、何も無い、「終わっている奴」は、何をしたところで誰が叩くまでもなく、勝手に失敗して勝手に消えていく。
話題にもならないというやつ。
しかし、誰か一人でも話題にしたならば、そしてそれが他の人の目に触れたならば、その時点でチャンスが増える。
それが宣伝の役割で、同時に叩きの効果でもある。
たとえそこにソースのURLが含まれてななくとも、好奇心ある人の視界に入れば、その人は自力で元となった記事を探し出し、500円を払うか払わないかのラインまで来てくれる(そうしてもし購読してくれて、追加で宣伝してくれたら最高だなーーーーー)。
だから、結局人を叩くことは、その人の宣伝をボランティアでやってあげているのと変わらない。
というか、もし仮に叩かれる側の人が誰がどう見ても"終わっている"行為をやらかしていたとして、それを宣伝して何になるというのか。
繰り返しになるが、終わっている人は誰がどうするでもなく勝手に消える。
故に、わざわざ叩かなくても、
その人の行為を見ていた全員から「"そう"思われて」終わり、
それでよかろう。全員にまともな常識があることが前提ですが。
終わっている人が何かしらの何か(企画でも事業でも)をやってたら、
叩くとその宣伝になってしまう。
公正世界信念の信者的にそれは納得いかないのだが如何か。
悲しいことをわざわざ口に出して表現するのは、色んな意味で悲しいだけではないですか。
そしてその内容に「クソ乞食か?」という文言が付け加えられていれば、
その発言者は、人から「人を『クソ乞食』呼ばわりする、そういう奴だ」と見られることになる。
これが「評価を落とす」という部分。
少なくとも私は自分の中で「この人はそういう人」とカテゴライズする。し、それ以降どんな形でも関わろうとは思わない。
見られるから何だ、という意見もあると思う。
ただ私は、最初に書いた通り、
旋転界の居心地が良くあってほしいと思っている。
し、できれば全員と仲良くありたいとも思っている。人脈は技の引き出しにもなり得るので。
「お前の居心地を気にして全員が良い子ちゃんを演じる茶番をやれというのか」?
そうではない、せめて言い方を考えてほしい。
良い子じゃなくていい、悪い子でなければそれで
私は居心地の悪いのも嫌だし、実のところ馴れ合いも茶番も好きではない。本当に。
批判は常に存在するものだしそれを否定することはできない。
ただ、その「クソ」という文言は必要か?何のために付けた?
敢えて否定的な文句をつけることで興味を抱かせる宣伝方法?ならいいか いいか?
批判は批判であって、攻撃のためにするものではない。
行動の批判と人格攻撃は全くの別物だ。
薄いこと言うけど、
直した方が良いと思われる行動に対して注意するのはいいと思う(何でもかんでも口出しするのもそれはそれでどうかとならなくもない)が、
そこからこじつけて人格に対して攻撃したり過剰に責めたりするのはなんでだよとなるんだよ。
良いことしか言わない馴れ合いが最高と言っているわけではない。
たまに思ったことを何でもかんでも全部言うのがコミュニケーションだと思っている人がいるがそんなわけなくないか。
気遣いくらいするでしょう、言い方くらいは考えた方が良い、
相手は人間で、人間には心があります。
勿論、仲の良い身内同士の煽りあい・じゃれあいなら
好きにしたらいいと思う。
しかしそういう要素も宣伝の戦術も含まれない、
ただ自分が気に入らないからというだけの理由で
容易く付加された棘が何をさすか考えてほしい。
暴言は人を傷付けるの。発言者が思う以上に。
だからまずは思ったことをすぐ口に出さないように気をつけたい。
現実の会話では口が滑ってしまうとかまあまああるし、その場合は仕方なくもある。思うこと自体は罪ではないし、事故は事故だから。
ただネットではそうはいかない。現実でもそうかもしれないが。
なぜならネット上での発言には、入力し、内容を確認し、投稿するという
3段階もの過程(壁)を越える必要があるはずだからである。
ある人の受け売りだが、
そういう3段階のストッパーがあるのに、その間に内容の善し悪し・適切不適切等々の判断ができないのはかなりヤバい。
しかしながら、攻撃用の言葉は、クソとかゴミとか死ねとか、短くて
とにかく入力しやすいから出力もされやすいところがあると思う。
し、さらには人間全員、自分を生きているのは自分だから、
まず目に入り、思考するのは自分のことで、
その自分の不快を解消することが
(不快の内容が何であれ)他人のことより優先されるのは仕方ない。
ただそういう目先の快感に目が眩んで他の全てを考えないというのは
ちょっと最悪。
そういう「自分」の別バージョンが他人であり、
それぞれにそれぞれの不快があることは覚えておきたい。
人間が人間であって、人によって作られたものは人が作っている、
その事実を常に想像できる余裕が欲しい。
言わずにいられない奴にはなりたくない。
言わずにいられない、黙っていられない、そういう余裕のない、
自己の低レベル宣言はしたくない。
人間は全員が全員を多かれ少なかれナメているところがあると思う。全員ではない
これくらいはいいだろ、という(ことを思ったことのない人はいなかろう)。
多分それは、その人にも生きている「自分」があることを想像できていない。んだと思う。
そしてそういうのはほぼ全部透けている。し、自分が思う「あ今この人から透けて見えた」さえも多分その人に透けている。
相手にも、全員に、自分があるから。
だから、本当は全員がこういうことを考えて思ってはいるはずだから、
私だけがこうして偉そうに色々書く必要なんてないはずで、しかしそれでも何故かギスギスが消えないという謎があって、それが理解できない。
のは、私の想像力が足りていないということなんだろうか。
人生はこれが本番らしいし、人生はいつだって取り返しがつかないらしい。おそらく人間関係も。
ああ険しいことだね。人格など作り直せないものか。
幼い子供には、「保存」の概念が理解できないという。
目の前に見えないものは全て、「存在しない」という認識になるらしい。
子供が「いないいないばあ」を面白がるのは、
手で隠された顔が、(子供が観測する世界から)本当に存在しなくなって、
その上でまた現れるから、とかなんとか。
人間はその肉体が目前に無いからといって本当に存在しないわけではない、
ということを理解できない人は、少なくともこうしてインターネットを使いこなしている人の中にはいないはずだ。魚は切り身の状態で泳いでいない。
目の前にスマホの画面しか、PCのモニターしかなくても、そこに映るコンテンツを作った現実の人間は存在する。
【ネットにあるものは人間によって生み出されていて、即ちその向こうには生み出した人間がいるということを理解できるか?】
ネットに限らないが。
そういう想像ができない人は、成長できていない、幼稚な人だと思う。なりたくない。
(何度も出した語句ではあるが、別に幼稚だったり、低レベルであったりする人や、そうあることそのものを憎んではいない。
その人はその人であって、不快に思えば距離を置けばそれで済むので。
ただそれが伝播して界隈全体の風潮というか雰囲気になったら嫌だ、と思うだけ。(まあ自分の在り方として嫌というのもあるが)
全体浸食攻撃は回避できないから。居心地が悪いから。
そういう話。)
・・・ところで少し話が逸れるが、宣伝について詳しく書くことにする。
良いタイプの拡散と宣伝の話、「話題に出した時点で宣伝になる」的なことについて。
良いと思ったらシェア/拡散しよう!という話。良くないものは拡散するなというのが↑↑の内容。
どちらも宣伝になるので。
なぜ良いものはシェアすべきなのかについて。
何かしらの創作活動を本気でやりたいと思っている人(クリエイター)にとって最も邪魔なものは何でしょうか。
多分「生活」です。
「寝る間も惜しんで」という言い方があるように、
生きるためにする活動さえ、
そういう本気の人にとっては削って減らしてしまいたいもので、
逆にそうしてでも確保したいのが創作活動のための時間です。
考えたり、考えたことを形にする時間があれば、
創作活動はいくらでもできます。
故に、創作活動をするうえで最も必要になるものは時間です。
一方で、生活に必要なのはお金です。
食費なり電気代なり、ただこの世に存在するだけでお金が必要になります。
故に、お金を稼がなければなりません。
この世はお金が無いとかなり何もできない。やりようにもよるかもしれないが。
創作活動に真剣な人は、創作活動の優先度が生活を含めた他のあらゆる全ての物事より上に来ている場合があります。
しかしながら、それでも生活して人生をやらなければ創作活動ができない(死ぬので)というのがかなり厄介です。
創作活動は、生活その他必要なことを行うにあたって犠牲になります。
だから、そういう人たちの理想は、「その活動によって得たお金で生活する」ことだと思います。
そうするには、当然の前提としてクリエイターが「良いもの」を作り出す、というのは勿論ありますが、
それをより広く知ってもらうことも必要だと思います。
そのときに必要になるのが宣伝でしょう。
本当に良いものは何も無くても伝播していくという説は正しいでしょうが、
それを補助するものは無いよりもあった方がずっと良いはずです。
特に作者が無名のうちの作品のシェアと拡散はかなり強いです。
まあ一番手っ取り早いのは大金持ちのファンが直接生活を保障したりお金を出したりしてくれることですが、それはレアケースなのでまあ。でも直接的な応援としてはめちゃくちゃ適切。
お金があれば生活の心配をする必要もなくなるし、創作環境も整うので、
より良いものを作り出せるようになります。
ただレアケースとはいえ拡散されればそうできる人の目にも留まるかもしれないので、そういう意味でも良いものの拡散はすべきです(チャンスは多い方が云々)。
シェアの良いところは無料だという点です。
ファンにも生活はありましょう。
誰もが無条件でポンポンお金を投げられるわけではないはずです。
ただ、作品をシェアすることなら誰でもできます。
そうして、広がっていった先にいる、創作活動とかとかに理解あるそういう人が、ちょっとサポートしてくれれば良いという話。
そういう人が1人しかいないというわけでもないでしょう。ただ、直接的なサポートは余裕のある人に任せればよかろう。
お金は無いけどその作品が好きでクリエイターを応援したいという気持ちが少しでもあるのならば、
シェアして宣伝を手伝うべきだと思います。
シェアそのものでなくとも最悪話題に出すだけでもいい。余裕があれば投げ銭とかしてみるとなお良い。
とにかく「いいね」で終わらせないでほしい。
良いと思うものがあったらまずシェアした方がいい。
その方がクリエイターのためになるはずだし、「いいね」しかしないより確実に応援になります。
https://twitter.com/maikusa_kanata/status/1184410025948676096
そうして応援されたクリエイターが前よりももっと良い良(りょう)とか良(よ)を作り出すことでファンに返していく、そういうあれ。
(賢いクリエイターは炎上を利用する場合もある。)
まあペン回し界はそもそも界隈として小さすぎるので、
仮に一人が「良い拡散」をしたとしても、それだけではほぼほぼ何も変わらんというところはありましょう。
でも、チャンスは少しでも多い方が良い、無いよりマシ。
誰のフォロワーにどんな人が含まれているかわからないから。
が多分こういうのはすでに成功している人が言うべきことであって、
成功からまだまだ遠い位置にいる私のような奴が言っても本当に乞食してるだけに見えてしまうから説得力無くねとなっちゃうんだよな。それでも言わなければ良くなれないので許して。
ただ、何でもかんでも拡散すればいいというわけではありません。
自分が良いと思ったものだとしても、人が不快になる恐れのあるもの、
一般的に見て不適切と思われるものや、撮影NGのものを撮影してネットに載せる等、良識の欠けた拡散行動はすべきではありません。
信者でも盲目にはなるな。
そういうファンがいると、
宣伝の先にいる初見の人からは、
「この人ってこういう終わってる人達に人気なんだ、絶対応援したくないな」
とか思われて良さの拡散が止まる恐れがあります。ひいてはクリエイターが損をすることになる。
故に、好きならばこそ冷静に行動すべきです。好きの力でクリエイターを汚すなよ。
そのコンテンツのメインはそのクリエイターであってファンではありません。クリエイターがファン第一で活動していたとしても。
クリエイターがいなければファンは何も享受できないから。
だから、まあ、好きを振りかざしたりしないようにしたい。内にも外にも。
ただ仮にこの記事を良いと思ったとしても、この記事はシェアしないでほしいというところがある。おそらく新たな地獄が生まれるから。
読んでほしいというのも確かにあるが、内容が内容なだけに読まれるほど地獄になりかねなくて相当に険しい。
ので本当にやめてください。振りではありません。
・・・まあとりあえず地獄を生み出さないでほしいというそれだけです。よろしくお願いします。
・・・。
時に、叩きはいじめにもなる。
1人が1人を叩いているのならまあまだいい(険しいのは変わらない)が
より最悪なのは第三者が便乗して叩きerに変生することだ。
叩きerが1人だけならそいつをブロックなりミュートなりして終了ということもできるが、人数が増えるとそれも難しい。
便乗して変生する人が多いと所謂炎上になる(ここだけかなり韻を踏めている)。
個人相手の炎上は傍から見るとさながらいじめ(というかいじめ)なので本当に気分が悪い。
いじめはされる側にも責任があるみたいな話は、間違ってはいないのかもしれないが、だからといってそうしていい理由には決してならないと思う。
どれだけ原因や責任があろうが、そこで暴走した正義は悪っぽいですがどうですか。
なんというか、正義は正義だから悪ではない。
正義だから正しくて悪だから悪い。という刷り込みがどこかにある。
正義は多分かなりコスパの良い武器で、
無料で手に入る上に一方的に悪を蹂躙できて
さらに(普通に考えたら)褒められて然るべき立場に立てるから
内側の未熟な人は必ずそういう正義の悪性に飲み込まれて気付かないうちに悪に堕ちるところがある気がする。
陰キャは全員中二病だから皆執行者になりたがりがち。
結局自身の陰要素の解消欲でしかなかったりしないか? 私はそう。
陰として抑圧と一緒に生きてきて、そうなる機会に恵まれないまま
そういう場面(現実であれ創作であれ)ばかり目に入るから、力への憧れが加速してるところもあるか。あるか?
関連して、強弱は逆転しうることを覚えておきたい。
基本、加害者と被害者では、加害者が悪になる。
悪は悪であり、正義は正義である。
そして、正義の下、悪は討たれる(と大多数の人間が刷り込まれてきているように思う)。
また、害を被って(虐げられて)いる以上、基本、被害者は弱者である。
弱者は守らねば、守られねばならない。
弱者を守るには、加害者を排除するのが手っ取り早い。
そうして、正義の下、加害者は討たれる。
という展開がかなりある。
弱者は弱者になった時点で、正義という攻撃力無限の「盾」を獲得する。
この盾の超火力攻撃はMPを消費しない。周りが勝手に徹底的に攻撃してくれるからだ。
そして正義は正義で、正義である以上、絶対に崩せない鉄壁の防御力も併せ持つ。
なぜなら正義だから。悪の方が強い世界なんて間違っているから。
故にこの攻撃は妨害・防御されない。
かくして弱者は弱者のまま無敵になり、悪は倒れる。
いつの間にか、加害者だった人が被害者になっている。これが人間のやることか。
元々の被害者は何も悪くない(ことが多い。ただしこの"理"を利用して被害者を演じる者もいる)。
全ては周りの正義マンがやったことだ。この正義は正義と言っていいのか。言いたくない。
正義を握っていいのは、正義に呑まれずにいられる人だけだと思う。
そういられない人は、傍観者になって黙るしかない、悪性正義のパンデミックを起こさないためには、それが最善だと思う。
う~ん
だから、力の振るいどころは考えた方が良いね、と思う。
力を持ったことのある人間の方が少ないはずだから
しょうがないと言えばしょうがないが、
その力に酔ってるだけではまだ無力で、
むしろ力に持たれている状態だと思う。
手にした力を御しきって、本当にその力が必要な場面以外では押し殺せる内側が無いうちはただのバーサーカーでしかない感がある。暴走するな。どれだけムキムキでもひよこはひよこ。
強力(つよちから)を振るうのは気持ち良いから難しいが、そこがどうにかなったら良い。
酒は飲んでも呑まれるな的な話。強者はその力を自覚しなければならない的な話でもある。
人間は難しいことだね。
【なぜ叩く?(キッズと仲間たち)】
人を叩くことの動機・原因に関連しそうなのは、年齢、自己顕示欲、人間の善性が云々とかその辺りな気がする。
一つに、界隈の年齢層の低さ。
ただこれはしょうがなくね要素がかなりある。
今は中学生どころか小学生でもスマホを所持するなどしているらしい。
誰も最初はその界隈のノリとか雰囲気など知らないし、
少年少女は人間関係的な意味での経験も少ないはずだ(せいぜいが地域の大人達までの範囲でしか社会を知らなかろう)し、
ネットを前にしたところで向き合っているものはスマホかPCの画面1つでしかなくてその広大な奥行きが見えず、
またそれを想像するのもまあまだ難しかろうという感じで
自分のリアルと同じスケールのノリで見ず知らずの界隈・他人に接してしまうという点、そういうところが所謂「キッズ」であろうが、
以上の色々をアレするとこれは本当に仕方がない。
自己の身というか心を守るためにはまず半年ROMっておくのが賢いが、
仕方がないので仕方がない。
知らん人と繋がれるのは楽しいしね。基本キッズは悪くない。子供は界隈の宝である。本当にそうかな
この辺りを否定したりひっくり返すことはできないと思う。まあでも多分こうやってキッズに対して色々思うのは老害の思考なんだろうな。
ただ本当にヤバいのはそういうキッズのキッズ的言動・行動(キッズ関係に限ったことではないが、)に口を出さずにいられない、本来ならばキッズ期を終えているはずの人の方だ。まあでも多分こうやってキッズに対して色々思うのは老害の思考なんだろうな。
年齢は指標に過ぎず、○○才だからこうであるとかこうすべきとか、そういうことは本来無いが、それでも指標ではあるから、どうあるのが適切なのかということは少しだけでも考えておくのが賢いんだろうなという気はする。
年齢で判断する人や、そうされる場面はまだまだ多いから。
この辺りの話は、私個人の
「年上(老人)を敬うのは、先に生まれた人間は後に生まれた者よりも長い時間を生きている事実から、その時間の間にした経験や得たものは後の者よりも多くあって然るべきで、そうである以上、先の者には、それらの獲得物が、経てきた時間の中で思考・試行を重ねられ洗練された結晶としての
人格・思想・技術等がある『はずである』からであり、そういった真に尊く、敬うべき対象である「結晶」を持っていない者を敬う理由は無い」
という考えに基づく。
↑が正しい正しくない的なことは諸説あろうが、これは私の記事だから上に基づいて書きます。
内側の年齢が外側に追いついていない人が多いのかもしれない。
アイデンティティの確立は通常大学生くらいの時期に行われる
みたいな話も聞く、そういう大事な時期だから色々に敏感なのかもしれないというのもある。
きっと誰もが「自分」を獲得するために必死なんだと思う。私もそうだった。
それまでの準備期間である蛹の時期は無防備の極みだから、つい尖って威嚇したり、入ってくる横槍・妨害に過剰防衛気味になるのもわかる。
自分を確立するためには、あらゆる方向にアンテナを張って、あらゆる方向に自分を(アグレッシブに)伸ばさなければならない。
おそらくは埋もれればそこに個性(自分)は無くなる(という焦りがある)から。
また、人間は結局動物で、動物は子孫を遺さなければならないしそのために生きている(といわれている)。
子孫を遺すにはパートナーに選ばれなければならず、遺される遺伝子は強くなければならない。
動物は自身が強いことを証明するために同じ種で争うなどする。そうして勝たなければならない。
こういう2種がそもそもの"""自己顕示欲"""の起源ではという気がする、知らんけど。
だからそれがあるのは自然なことだとは思うし、
その辺りの色々についてああするなこうするなとは誰にも言えないし、
多分言ってはいけないみたいなところさえあると思う。
これは生き物の証であり成長の証でもあるから。
ただそれでも、人を叩くのは良くないと思う(その界隈に自分の遺伝子を残すことを目的に来ているなら別かもしれない、本当にそうかな)。
自己顕示欲、抑圧されれば反動で大きくなるのもわかる、強大な欲だと思う。
人間のそれに理性なり文化なりが混ざって正義の鉄槌としての要素が含まれ始めてもおかしくないと思う。
でもだからと言ってそれを振りかざして他人を傷つけるのは文脈が違わないか。その個人の正義がどれだけ強かろうが、界隈とそれがどう関係するのか。
「イキり」について考えていた時期がある。
自己顕示欲は、言ってしまえば他より優れていたい欲だ。
そうであるとき、自分より優れている(と思われる)存在が現れれば、それを叩き潰したくなるのはかなりわかる。欲求不満。
が、叩き潰すことだけが自分が優れていることを証明する方法ではない。
自分がより優れればいい(簡単ではないが)、何なら別の土俵に立つという変化球もある。
なのにそうしないのは、多分同じ場所にいて(自分が移動するのが面倒で)、他人を落とす方が楽だからだ。
そうすれば相対的に自分が上がっているように感じられる。
でもそれは自分を止めてまでする価値のあることか? あると思うならあるでいい、私はそう思わない。思わないだけだが
真の意味で自分を上げるのは面倒だ、努力がいる。楽できるなら誰だってしたかろう。
人がイキるのは仕方ない、動物としての性だから。
ただ他人のイキりにまで構っている時間ほど無駄なものは無いと思う。全員、口では何とでも言えるんだし。
結局真に強い自己顕示は、真に自分を上げることで手に入れた実力によるものしかないのではと思う。
だからなんというかそういう色々から、
自己顕示欲は下に/他人に向けて使うものではなく、上に/自分に使うものなのだと思います。知らんけど。これは何の話だろうね
【界隈としての特性】
界隈全体としてはどうなのか。
他の界隈にいたことがないので何とも言えないが、
ペン回し界はかなり"楽"な世界だと思う(諸説あり)。
尋常じゃない手軽さ、2000~3000円もあればずっと使える道具が手に入るコスパ、場所不要、個人で完結、天気問わず、基礎体力作りも不要、練習内容含め全てが自由で基本きつくない、歴史の浅さ故にまだいくらでも新規開拓でき、最近は解説の数も充実してきて、技術さえ、仮にできなくても"なんとなく"続けているだけで時間が解決してくれる。
最後のは実体験から言えるが、本当になんとなくでどうにでもなる。「メノワだから」ではない、全員そうなれるはずです知らんけど。12年やったか?
多分スポーツとかだとこうはいかないと思う、根拠は無い。スポーツっぽいスポーツやったことないから
ただ、技術のある程度の上達までに必要な、あらゆるエネルギー・コストの量はペン回しが圧倒的に少なく済むんじゃないという気がする。
そこに界隈の小ささが加わると本当に一瞬で有名になれる。(本当にそうかな、私が世間を知らないだけかも説が濃厚か)
自分を例にすると私は本来ならただのクソ陰キャキモータヒキニートになって人生つまらなすぎて自害してるはずのなんもない奴だった。
それが界隈の歴史に名を残せた、本来なんもないのに。自分を例にするな
そういうところから勘違いして、自己の有能感とか全能感とかを感じちゃうというところがあってもおかしくはない。
例が終わっているが別にメノワじゃなくてもいい、すぐ有名になれるというのがペン回しという話。
初めて有名になったときに、既に有名になった時の振る舞い方を知ってる人はきっと多くないでしょう。
ましてや老人と呼ばれてる人さえせいぜいがアラサーの年齢層、
若者が自分に大きな価値があると勘違いするのも無理もないと思うし、暴走するのも普通な気がする。
でもだからこそそうやってギスギスしないでほしいというところがある。
小さい界隈だからそのギスギスさえもすぐ有名になる。どれだけ些細な言及であってもすぐ伝播する。
見ていて気分が悪いしそういう人だと思われるし人が減ったら進化の可能性も減る。
何よりも傍(旋転界の外)から見たときの印象が終わる。まだまだペン回しに良い印象を持っていない人も多い。
それに追い打ちがかかったら悲しい。
すぐ有名になれるのは界隈のメリットであってデメリットであってほしくない。
また、ペンスピナーは悪い意味で燃えやすい。
火遊び(比喩)が好きな人がいる。そうでなくとも、賢い人は戦術として意図的に炎上(の拡散力)を利用する場合がある。
火遊び(比喩)をするような人は、我々と同じ高さに立っていない。低いという意味じゃない、低いのは常にこちら側です。
遊びは余裕がある人がするものだ。余裕とは色々あるが、地位だったり力だったりのこと。
既に自分を強固に保障するものを持っている人でなければ火遊びはできない。比喩ではない火遊びもそう、花火をするときは必ず水を用意して安全を確保する。
反撃で返り討ちにされたくはないから。
ペン回しは、今はまだ幸か不幸かジャンルとしてはまだマイナーな方なので、例えば掲示板のまとめサイトとかに上がるような
「おすすめの趣味なんかない?」とか「簡単で楽しめる趣味教えて」
みたいな記事にもあまり登場しない(まあ私は掲示板そのものの方を見たことがないのでそちらの確認はしてないが)印象がある。
が、今の最悪な(燃えやすい)状態を維持したまま界隈が成長して、
とある連盟の言うような「習い事として普通にペン回しがある世界」が
実現された場合(そもそもこの状態では実現できなくねというのはあるがそれはそれとして)、(規模的に)ひたすらに燃やされて完全に終わると思う。
人々の記憶に「ペン回しをやっている人達は終わっている」というエピソードが鮮明に焼き付けられて二度と普及できなくなる。ネットに発信した/されたものは全て残ります。
悲観的過ぎるかな?いいえ、常に最悪を想定して困ることは無いでしょう?
今はまだ界隈が小さすぎてボヤ騒ぎのボの字くらいで済んでいるだけに過ぎない。本当にそうかな。
ピラニアを釣る動画がある。
このピラニアがペンスピナーにしか見えない。
この動画の面白い点は、肉をちょっと垂らすだけで大量のピラニアが一瞬で食いつき、労力ほぼゼロで大量に釣れる点、そして何よりそうして無限に釣られるピラニアの単純さ(魚なので仕方ないが)だと思う。
でもペンスピナーは魚ではない、人間です。知能があるはず。
目の前のものにすぐに突進するのはやめるべき、それが罠である可能性を考えたい。
目の前に降ってきたもの以外見えていない人が多すぎる。 ???「目ぇ腐ってんじゃないの?」
その餌の糸を辿った先には人間がいるし、そもそもそれを撒いたのは人間、魚じゃないんだから知ってると思いますけど。
この動画を見た私達が面白いと思うのと同じように、餌を垂らした人もペンスピナー(それもめっちゃいっぱい!)が食いつく様子を見て(嘲)笑うのよ。
だから、そういう人が言った/した何かに対して本気でキレたところで既に築かれた"不落の城壁"に守られたその人には何も届かないし、
ピラニアがたくさん釣れる様を見て喜ぶだけで終わる。
人間様とピラニアでは住んでいる世界もレベルも違うから
ピラニアがどれだけその「『自称』鋭い牙」を見せつけて威嚇しても無意味の極みである。どれだけムキムキでも小魚は小魚。雑魚とも言う。
ピラニアが人間様から引き出せる反応などせいぜい「こいつ小魚の癖に歯だけ鋭くてウケる、殺しとこ」が良いところだと思う。
それに気付かない小魚のなんと滑稽なことか。小さきものが精一杯威嚇する姿は可愛いのだ。コアリクイの威嚇
これが生態系、上にいる者は下にいる者を遊びのために殺せる、殺す、楽しくて殺す。殺すときの必死の抵抗が面白くて殺す。
逆に、抵抗するから/反応するから殺される。
何も反応が無いことに面白さを見出す者はいない。
黙っててほしい、反応しないでほしい、程度が知れる。ペンスピナーの正体がピラニアであることを見抜かれたら終わりだから。死んだフリしようや
ただでさえすぐ燃えるのにメランメランに燃える雑魚なんて死ぬほど面白いに決まってるくないか。
そもそも人がキレている姿はかなり滑稽である。
こちらのテンションが0とか良くて5くらいの時に相手だけ何故か350の感情を爆発させてたら笑いそうになるでしょうよ。
【自分が見ている/自分から見えている世界が世界の全てだと思っているのは自分だけ】。
キレる方にも事情はありましょう。それは全員がそう。
でもその事情を知ってるのは基本的には本人だけ。誰も超能力者ではない。
それを忘れて突然爆発したとて、知らない人から見たら
「なんかいきなり爆発した奴おったわ笑」
としかならない、ならなくない?
突然キレの感情を押し付けられてもどうしようもない。
更に言うとキレることの終わってるポイントは
自分が低レベルであることの宣言にしかなってない点。
・感情のコントロールができない
・自分視点の世界が世界の全てだと思っている/自分以外の視点があることに気付いていない
とか。
怒ることの全てが悪いわけではない。怒るなと言う権利は誰にも無い。
好きなものや友人を馬鹿にされたら怒っていいし、それは善いと思う。
ただ、怒るなら理性的に怒るべきだと思うし、個人的に気に入らないという「自分の都合」だけで怒るのは、(あっ、レベル低いんだね)、となる。
相手は自分が怒る原因を知っているか?突発的な衝動で激しい感情の塊を押し付けようとしていないか?
相手は何を見ているのか?
怒りは強い感情だから、湧いたそばから一瞬で自分の支配権を手放してしまいかねないし、それを堪えるのは難しい。
でも、一瞬でも、キレることがどういうことか考えられるようになった方が良いと思う。
煽りを楽しむような低レベルな人の挑発に乗れば自分もそのレベルに落ちます。怒りは計画的に。
ただそれでも、馬鹿にされて怒れる時の、純粋な心は忘れずにいたいものでもある。これは尊いものだ。
その上で、自分の支配権を怒りに渡さずにいることができたら最高だなと思う。
自己都合で怒らずにいるための呪いをかけるとすれば、
1.怒っている時の発言は、怒っている以上、何を言おうが要約すると全て「ぷんすか!」になる
2.自分に価値があると思っていなければ怒ることはできない
辺りか?
1だけでもう馬鹿馬鹿しくて怒れなくなると思うし、怒っている人相手でも余裕で対応できるようになると思う。ただし笑わないように注意したい。
2は諸説あるが、そもそも人に何の価値があるのかというのがある。
人間は全員包丁で刺したら死ぬ。無敵の人(無敵の人という意味ではない)はいない。
それでいて鬼みたいな強引さで自分を押し通そうとするのはちょっとウケるところがある。いやお前死ぬじゃん
死ぬ程度の奴に何の価値があるんだよ 雑魚を誇ってるの?雑魚なのに?
【ではどうすべきか】
結局、叩きに遭遇したらどうすべきなのか。
叩かれたとき・叩きたくなった時・叩きを目撃したときのそれぞれについて考えたい。
まず叩かれたとき。
これは私の座右の銘2種盛りですが、曰く
「争いは同レベルの者同士の間でしか発生しない」
「悪魔と遊べば悪魔になる」
らしい。これを覚えておきたい。
低レベルな奴に付き合うと自身も低レベルに堕ちるということ。2種盛りを使って耐えたい。
叩く人に反応すると大体つけあがって調子に乗り出すのでもっと傷つくことになりがち。
悪魔は善人から悪意を引き出すことを悦びとする。本当にそうかな
傷つきたくなければ正面から防御するのではなく全部躱す/受け流すのが最良、相手にしない。
相手にした時点で悪魔の手中に落ちて終わる。悪魔にならずにいたい、ならないでほしい。
ただこれが難しいのもわかります。普通に傷つくなどする。
そうならないだけの余裕を持たねばならない。
というか何も悪いことをしていないのに叩かれたら、売名できたというだけの話になるので本当に気に病む必要は無い。
事実無根な叩きの内容を信じてその通りの人だと判断を下す人がいたら、
そいつの方がおかしいというそれだけ。
そうならないのが一番ではあるが、仮に叩かれても仕方のないようなことをやらかしてしまった場合は、素直に謝れると良い。
間違えたとき、それを認める素直さがあると良い。
素が真っ直ぐである(いる)ことは良いことだ。力を抜ける。から余裕に繋がる。
謝って許してくれるとは限らないが。
許す許さないの選択権は謝られる側にある。謝ったから許される、と思うのは間違い、だから「やらかさない」ように気をつけたい。
謝られる側は謝られる側で、そういう権利があるからといって調子に乗らないようにしたい。
まあ許した方が後々得だとは思う、損得で考えるのもどうかと思うが。
自分が叩きたくなった場合は、ちょっと待って考えてみる。
誰に向けての発言か?画面の向こうに人間がいることを(頭でなく心で)理解しているか?その発言の意図は?
目先の快楽のため(自分本位)の発言になっていないか?言い方は適切か?そもそも自分は当事者か?とかとか。
受け売りの繰り返し、
文字を入力して、それを確認して、投稿ボタンを押す
という3段階のストッパーがあるのに、その間に内容の善し悪し・適切不適切等々の判断ができないのはかなりヤバい。
怒りは6秒待つと治まるという話もある。できるだけ入力に時間をかけるのが吉か。
そもそも、何も無いところに悪を見出すのをやめたい。
「誰が悪い」などという話は誰もしていない。
仏陀が言うところには、善悪・良し悪しをはじめとするあらゆる両極端は元々世界には存在せず、それらは全て人間の目のフィルターが作り出したもの、らしい。みたいな話を聞いたことがある。
自然は自然のままで自然、人間が生きている、というだけなんだろう。
無にキレてもしょうがないし、キレようがない。
またそもそも何も言わないのが正解というところもある(私がツイート頻度を減らしている理由の半分はこれ)が、それはコミュニケーションの全否定だし、人の口に戸は立てられないし、あらゆる進展発展(個人間の友情・議論による界隈としての進歩)も望めなくなるというのもあり
全体で考えると現実的ではないのかも、とも思う。知らんけど。
黙っていることを推すと界隈がより陰湿になるという懸念もあるから何とも言えない。裏側が発展する的な。こうして色々書いたところで、裏で陰口悪口言いたい放題やりたい放題な界隈に成長してしまったら全部無意味。さようなら。
余計な波風を起こさないという一点だけ考えれば、
きっとあらゆる表現をやめるのが正解なのかなと思うなどする。故にこんな記事を書いて公開することは場合によっては悪。
ただ言わなきゃわからないというのも正しい、超能力者はいない。故にこれを書く。しかしこれは個人の自戒メモだから、言われてわかる必要もない、故に虚無。
叩きを見た場合は、便乗しないことに尽きると思う。
当事者じゃないなら黙っておく。当事者が解決するのを待つのみ。
関係の無いところに首を突っ込んだり口を挟んだりする必要はない。誰もお前の首も口も求めてない。お前に何ができる?何がわかる?
叩き云々以外の状況でも。
Aさんの問題はAさんの問題でしかなく、Bさんの問題はBさんの問題でしかなく、CさんとDさんの問題はCさんとDさんの問題でしかない。それ以外の誰の問題でもない。
その問題のことはその問題の所有者が一番よく考えている。
無関係な有象無象が思いつく程度のことは彼らは既に全部考え終わっている。
それでも解決しないから問題なのだ。
求められた時だけ手を貸せればそれでいい。
勝手に助言して気持ちいいのはお前だけ。誰かを頼る脳は誰にでもある、人をナメるな。
求められていないことをやるのは傲慢という説もあるがこれは呪い、
覚えておくと何もできなくなる。あ、今おれ傲慢だ
この呪い、はちゃめちゃに強力で、本当に何もできなくなるからおすすめです。効果には個人差があります
余計なことは言わない、余計かどうかの判断もできなければ黙っておく。半年ROMる。半日でもいい。
全部に共通することだが
「それを言ったら/やったらどうなるか考える」。
ちなみにこれは高3の時の担任の教師の受け売り、
私は実践できてないのでこれを言う資格は無い、黙るのが正解。
さっきもちらっと書いたが極論全員黙ってれば何も起こらない、極論すぎるが。
何か言うのはいいけど言い方を考えるとか不要な言葉を足さないとかできたらいい。
冷静でいたいね。
うーん
ROMる、待つ、そのための方法を考えねばならん。
まあ何もしないでいる時間を作るというのは余裕がなければできないことだろうから、それが達成できてからの話だが、
と思ったが達成できていたら自ずとそうできるのではないかと思った。
ので多分順番が逆、というか関係無くて、両方がそれぞれそうあろうとしていることで、段々そうしていられるようになるものなのではという感がある。
多分自己コントロール感を感じること。
自分をTPPで操作する感覚を得ること。
地道に癖をつけるしかないのかも。
「あ、待とう」という発想をいつでも引き出せるように常に意識しておくことから。
結局、大雑把な方針として、心に余裕を作る、に行き着くのだろう。
それが一番難しく、そうできないからこうなっているというのもわかる。
どうやってそうできるだけの「余裕のストック」を作れるか。
この記事には要約すると「スルースキルを持て」みたいな話がかなり含まれているが、
スルースキルもスルー出来るだけの余裕があってこそみたいなところがあるのでまあはい。
余裕を作る。
余裕を作る。
余裕の作り方。どうすればいいか。
余裕を作るには、まず自分が安定しなければならんと思う。
安定があることは強い。なぜなら安定しているから。
そして余裕を生み出せるから。
余裕を作るには、まず安定しなければならない感がある。
安定は100%であること。それを超える余りが余裕。
別に100%じゃなくてもいいけど。どの程度を安定と見做すかは人によるので というか安定と思ったところが100%。
多分安定は自己完結。
自己完結はアイデンティティの確立、おそらく。
アイデンティティの確立は通常大学生くらいの年齢で行われるものらしい。
ので若き者が多いペンスピナーは別に焦らなくてもいいんじゃないと一瞬思ったが、若すぎて誰も確立できてないから地獄なんだった。本当にそうかな
それでも、全員がそうなのだから全員が焦らないでいてくれたらなあとも思う。
メノワは一度WTで勝って、それが安定に繋がったことがあったが、
それは結局自分の外側の出来事だったので、結局地獄行きになり、業に病むことになった。
が、人によっては人によると思うので、外的要因で安定できるならそれでも良くて、私の実際の経験として、その後やり直しになったものの、確かに安定したことはあったから、夢なり理想なりを実現する(そのために頑張る)というのでも大丈夫でしょうとは思う。参考までに
やり直しになったとは言っても、その時は本当に満たされていて幸せだったし、今でも「かつて最強だった者」として"そうあろう"という支えにもなっているし、本当に自分の中ではこれが財産になっていて、そうで良かったと本当に思う、から無駄だったとは全然思わない。
し、だからその方向に行っても無駄にはならないと思います。
自分語りになりましたけど。
なんでもいいからそういう自分の外側の「支え」によって(疑似的であっても)安定する方法もあると思う。人によろうが
外側の支えというのは多分何でもいい。
夢が実現したことでなくとも、大金持ちになったとか、そういうのでもいい。
安心とも言い換えられる気がする。満たされた感、保証されている感、そういうの。
例えば、WTで勝てば、最強というアイデンティティを獲得できてそれ以降悩まずに済み、大金があれば、生活の心配などしなくてもよくて、
そういう重大な心配事を消し去れることが大事だろうなと思う。それまでその重大な心配事に回していた労力やリソースが丸々余るので。
これが余裕に繋がろう。
が、個人的には外側の支えは外側の支えでしかなかった。
結局真の自分(魂)とは関係ないから。
確かに支えとして大切な役割を果たすが、結局は杖でしかなく、自分の体幹が弱いままだと業の影がちらついてくる(きた)。
しかもよくないことに、その杖を以って振りかざしたりマウンティングしようとしたりしてしまうなどする。自分そのものが弱いままなので。
外の支えによって安定するのはわかりやすいがハリボテ感が否めない。
内側から安定するのは手間がかかってめちゃくちゃ疲弊するが多分その後折れにくい。
気がする。
自己をどれだけ掘り下げられるかな気がする。
地獄の中で、自分にとって何が地獄なのか、それを何故地獄だと思うのか、
原因がわかったらその原因は自分にとっての何なのか、その「何」の根源はどこにあるのか、・・・。
とか、自分の業とその正体を突き止めるのが一つ。
それを認めて敗北するのが一つ。
そこからその業の解消法とか付き合い方とかを検討するのが一つ。
という...。
これが正しいのかはわからん。
多分1つ目の過程で拗らせると思う。私はそうでした。
こんなことやらない方がいいのかも。
が、これを経て、数年前の以前よりは余裕あるなという気がしてはいるのでまあ。
自分は何者であるか(何者でもない)、その実感を持てることが安定とすれば、少なくとも安定はしてると思います。
まあでもしかし、余裕、得られたら得られたで、
「自分は余裕を得ている」というある種の全能感のようなものに襲われる。
ここでそれを外に出さずに殺せるか。である。
余裕所持マウンティングをしてはならぬ。そうではないでしょう。
殺せたら殺せたで、自分には殺せるだけのメンタルがあるという、
これまた全能感のようなものが現れる。これもそのまま殺せるか。
そしてこのループに耐えられるか。耐えねばならぬ。
この辺りで感じる感覚は振りかざすための武器に改造してはいけない。それは無意味。殺した、耐えたという実績は、自信としてストックして即終わりにしておく。
自信は次の余裕に繋がる。
が、自信は武器に変質しやすい。変質させないよう自分で自分を監視すること。変質させなかった実績も自信とし、また監視するさらなるループ。
自信は変質しない限り、精神を堅固にしてくれる。
だから、大切に管理しなければならない。余裕のために。
、、、「弁える」というのがかなり大切な気がする。
自分は何者でもないことを、無敵でも何でもないことを、包丁で刺されたら死ぬ雑魚であることを、見る人が見れば低レベルであることを、見る人は見ていることを、、、、
そういうことを弁えておけば、人を叩くとか、いらない発言をするとか、いらないイキりをするとか、
そういうことは恥ずかしくてできなくなると思う。恥じらいの無い人は知らない、えーっと、すごいね。
そうやって自分を自分以外の視点から見られるようになると良い。それが冷静でいること
FPPではなくTPPで自分を操作できるようになりたい。
どうやったら弁えられるかは、自分を理解することがまず必要そう。 (業を突き止める。)
自分は何を言われたらムカつくのか。
ムカつくのは自分が不安定だから。自分が気にしている弱点だから反応してしまうんだろう。気にしてなければ「何言ってだこいつ」で終わるはず
例えば自分は人から煽られたとき、(言い返さないのが良いとは言ったが仮に言い返すとして)どう言い返すか。
人が人を煽るときの言葉は、自分が言われたくない、弱点の言葉らしい。
自分が嫌だと思う言葉は相手も嫌だと思っているという意味不明な前提を、相手に勝手に適用している、という時点で視野が狭い。
自分から見た世界が世界の全てだと思っているとそうなる、自分は世界の主人公ではない。
人に「バカ」と言っても、その人が自分が馬鹿であることを認めていれば、
「はいそうです」としかならないからその罵倒には意味がない。
弱点は、認める必要があると思う。これはそこそこキツい。 (業に敗北する。)
がそうやって自分を「折る」ことをしないと、自分が何者でもないとは本気では思えないと思う。
全員自分が可愛くて、どこかで自分に酔っているところがあると思うから。
自分に敗北するのは辛いことだが、そうしないと自分の無力さ/しょーもなさを自覚できないと思うし、そうして「あ、自分弱いな」という実感を持って初めて冷静になれると思う。
なんというか、「底辺の敗者にしかわからないこと」を取りに行くイメージ。
上にいたままでは下の色々はわからない。当然逆もある。上は上特有の広がりがあるのもわかる。
が、最悪を知れるのは底辺の特権だと思うし、最悪を知って経験しておくことには価値があると思う。
底辺の苦しみがわかるからこそその苦しみを他人に与えない気遣いができる、みたいな。知らんけど 薄いかな 薄いな
まあ、ここまで書いた色々がヒントになればと願う。
ただこういう色々な云々を思考しだすと「分かった気」になったり、それが原因で逆に病んだりとか、別の問題が出てくることもあると思う。
色々思考していると、「考えることができている自分」に酔ってしまう場合がある。私もそう。
「自分が正しい」と思い込んだり勘違いの悟りで驕ったりしたくない。この記事は全て虚無と虚構!
酔った状態であることに気付けるか、そして酔った自分を律せるか、そこまでできなければ無意味。本当に
思考が中途半端で終わると性格が捻くれて終了になるかもしれない。陰キャが捻くれたらそれこそ終わりなので終わらないでほしい。
・・・、がんばえー。
まあROMりながら人の振り見て我が振り直すのが一番簡単な気もする。
【界隈の話・まとめ】
最後に、ペン回しの話をしておく。正直一番読んでほしいのはここです。
ペンスピナーをやっていると、
くだんなwしょーもなwそれやって意味あるん?wそれ役に立つん?w
手【自主規制】上手そうw勉強しろwそれペンじゃなくねw目障り、煩い、
等々を無限回聞くことになるはずで(勉強はした方が良い)、
これを言われたことのない人も、少なくともそういうものであるということを理解していない人もいないと思うが、これを無限回聞いてなお受け入れられない人は、人は、、。何だ
自分がやっていることが「ペン回し」であるということをネガティブに自覚する必要がある。
もちろん自分の好きなことは誇ってもいい。
が、それはその好きなことについて、そうした負の自覚を持ってからのことだと思う。
所詮はペン回しであって、所詮ペン回しでしかないという。
いくらでも言うし、はたまた連盟の理事をやりながら言うことではないかもしれないが、「ペン回し」の格は事実として「低い」。
くだらないししょうもないし役に立たないし無意味だしやる必要なんてない。あとペンじゃない。これが現実。
我々がどれだけこれを否定しようとしても外側からの観測結果は変わらない。
「いや、自分が会った人はペン回しを認めてくれたよ」
みたいな人、それはその人がペン回しを認める以前におまえを人として認めているからでしょうよ。
ノリがいいとか、挨拶が既に好印象とか、もしくはプレゼンが上手かったのかもしれない。
おそらくは全部そうで、初手からペン回しを推していくのは多分「上手くない」。意味不明だしヤバい奴にしか見えなかろう。聞かれてもいない好きなことについて勝手に語りすぎて引かれるのはおたくの性であるからね
何かしらのペン回しではない要素によって人を惹きつけてから、
そのうえでペン回しが上手いことが判明する、というのが理想的なムーブなのでしょう。
なんかちょっと逸れたが、まあそういう、低さを理解して飲み込んでおくこともまた余裕につながると思うし、さらには、そういう低さを、数年間くらいペンスピナーを↑みたいなことを言われながらも続けていれば自然と自覚できるはずで、その低さの中での発見が、無意味なことに全力になることの楽しさとか、くだらないことの中にある広大な奥行きとか深さとか、こういうことを共有できる友人とか、そういう、原石を磨き続けた者だけが見えるような根源の本質の魅力の発見があるはずで、これこそがペン回しをやって得られる究極の結晶であってその魅力でもあると思うし、これがある以上、他人の趣味を否定したり、「くだらない」を罵倒のために使ったり、
ましてやペン回しをマウンティングに利用するとか
そんなことなんてできないだろうがという話だが、話なのだが、
、、、というペン回しの魅力を誰よりも理解しているのはペンスピナーのはずなのに、
それを消すような言動や行動をする人が無限人いるのが本当に理解できない。負の自覚を持ってないということなんだろうけど
ペン回しは尊いんだよなあ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!11
わかるでしょうよ。
この尊さをこの低みから掬い上げることがそんなに難しいか。難しいのかな 難しいんだろう
それから、そもそもペン回しは筆記具に対する冒涜である。
筆記具は回すためのものではない。
想定された用途とは違う使い方をして、さらにはバラバラに切り刻んで遊んでいるのがペンスピナーである。
文房具会社様が優しすぎるから何も言われていないに過ぎない。
(この辺り、早急に道具の自給自足ができるようになれば、とは思うがやはり界隈の小ささや年齢層が険しい。)
また、筆記具を冒涜するだけでなく、単純に人に迷惑も掛かる。目障り、落下音、態度等。
ペン回しの手軽さは魅力だが、反面手軽すぎてどこでもできてしまうことが悪い方に働く場合も多々ある。
以上2点から、無限回目だが旋転界は本当に、他のジャンル・界隈よりも1段(1段で済むか?)下にある(べき)界隈である。
文房具を冒涜し、他人に迷惑をかける人間が、大きな顔をしていい道理は無い。少なくとも現在のところ、人に誇れるような趣味ではない。
自分はマナーを守っている、とかそういうことではない。これは界隈全体の話であり、旋転界の外側、異なる界隈から見られた旋転界が、旋転界という一括りとしてどう見られているかという話である。
故に全員が同類の連帯責任である。
特定の個人がピックアップされて界隈に光が当たった時、
その個人が界隈の属性を一身に背負ったサンプルとして世間に見られることになる。即ちその人こそが界隈となる。それが良いサンプルか、悪いサンプルか、どうピックアップされるかで、受け取られ方が変わる。
その人のプロフィールが界隈のプロフィールになる。
ただの個人と界隈を結び付けて考える方がおかしいというのは確かにある。
しかし残念ながら、そのおかしさに気付けずにそういう捉え方をする人は多く、そうである以上、その最悪が起こらないように振舞う必要が出てくる。なぜならペン回しは「低い」「誇れない」ジャンルだから。
卑屈でいろと言っているのではないがそういうものと納得するしかない。
インターネットは開けていて、誰が見ているかわからないから
世間とは必ずしもお茶の間だけを想定しない。
ネットで動画を視聴する人から路上旋転を目撃した通行人まで、あらゆる人間が世間である。
ペン回しの負のイメージはまだ払拭できていない。
ただでさえペン回しそのものにマイナスイメージがあるのに、そのプレイヤーまで最悪だったら目も当てられない。
最悪な奴がいる界隈に、未熟な者しかいない界隈に、誰が入りたがるのか、居たがるのか、すごいと言ってくれるのか。
だから、せめて良い人で「あろうとして」ほしい。実際にそうある必要は無い。ただ振舞い方に注意してほしい。
全員が全員と仲良しこよししなくていい、ソリの合わない人がいるのは仕方ない、ならば、「関わらない」ことを徹底してほしい。
仲良しこよしが最高という話ではなくて、ただギスギスが最悪という話。
波風の無い「現状維持」が最善な場合もあるんじゃない。
こうあろうという意思を傍らにぼんやり立てておくだけでいい、それだけで意味はある。つる植物の鉢の支柱のようなものだ。良くない方向に進みそうなとき、掴まれるものはそこにある。
ペン回しの未来のために。
以上全部メノワが勝手に思っている「だけ」のことであって、
強制する気は無く、従う必要もない、ただ悲しく思うことが多いというそれだけの話です。
途中説教みたいなことも書いてあるし、上から余計な助言をしているようなところもあるが、これでどうこうしようとは本当に思っていない。全部メノワの理想語りだから
私個人が穏やかなのが好ましいと勝手に思っているから、ただ現状が悲しい、悲しくなくなるにはこうなったら良いのかも、と考えたことを書いたにすぎません。
悟ってるアピールとか人格者ハラスメントだと思うならそれでもいい。
無限回目だがそもそもこんなのを書くことが間違っている。書く必要は無い。黙るのが正解。
多分ここまで読んだ人はわかるでしょうし、読んだ上でそうなることはあり得ないと思うが、一番悲しいのはこれを読んだ人が何も考えずこれそのものを振りかざすこと。これだけは絶対にやめてね。
これは自戒メモであって鉄槌ではない。私も振りかざさない。ここにこれを書いたという事実があるだけ、それで終わり。
最終的にどうするかは自分で考えてほしい。私は性善説erなので人間を信じます。
でももしこれがわかる人、そこから抜け出したい人がいたとき、その何かしらになればいい。ペン回し。
最後に一つ(二つだが)、この記事の主な内容と直接関係することではないが、
書いておくべきだろうがどこにも挿入できなかった文章があるのでとりあえずここに置いておく。
一つに、声の大きい人がいる(ここで言う声の大きさは物理的なものではない)。それは別にいい。
あらゆる活動において有利なのはおそらく声の大きい人、これは正しい、多分。
ただ、声が大きい「だけ」の人には注意すべきだ。
真に大切なのは声の大きさではなくて言っているその内容である。
声が大きいと、謎に説得力があるように聞こえて、
内容がおかしくても、うーん、そうかも!と思わされて流される場合がある。不確かで怪しい情報を掴まされるということ。
おそらくはこれが影響力というもの、偽だけど。
影響力のあるこの人が言ってるからそうなんだろうな、と思っていると洗脳されるし踊らされる危険がある。洗脳はされてから解くのは難しい、というかされていることに気付けない。から、されないよう予防を徹底するしかない。しかないことはないかも
往々にして偽erは声が大きいだけでなく「それっぽいこと」を言うのも上手い傾向がある気がする。それっぽいこと言ってるけど内容が無いよぅ、という。
その影響力が真のものか偽のものか見極めたい。
本当にそう叫べるだけの実績や実力があるのか? その実績は信頼に足るものか? その人の人間性は? 隠しきれない何かが透けていないか?
こういうところでも、冷静でいたいね、と思う。
また、ちょいちょい上がる話ではあるが、ペン回しが上手い人=偉い人なのか?という話。
そんなわけないだろ!!!!!!!!!!!!!!!11111111
完。
最近はそんなわけない派の人が増えてきたかもという気がしないでもないが、結局先にあるのは人間性だと思う。
ペン回しが上手いというだけで"ヤバい人"が好き勝手できる界隈は無理。
っテカ「ペン回し」で肩で風切って歩いてる奴滑稽すぎるだろ
上手い人は有名だから/発言力と拡散力があるから、
ひいては影響力があるから(影響される/されてしまう人が多いから)強そう/偉そう(威張ってるという意味ではない)に見えるだけに過ぎないのだろう。それはマヤカシ。
当然、歴が長いから偉くはないし、年上だから偉くもない。
そもそもペン回しの上手さと偉さは(偉さの定義をどうするかで変わってこようが)別の次元の話ではと思う。
上手さ=偉さが成り立つのは、上手さ=偉さであると定義したときだけだと思う。
が、今のところそれは共通認識にはなっていなかろう。
私は偉さとは結局のところ、人としての完成度(人としてどれだけ尊敬できるか)だと思っている。
意思表示終了、力尽きた、もう何も言わない。さようなら。
2020年4月11日
Menowa*