
手話通訳のイメージ力①〜『同時通訳者の頭の中』③
音声言語の同時通訳のトレーニング法を手話の学習に取り入れてみようという試みです。
前回の投稿はこちら。
参考図書は、関谷英里子著『同時通訳者の頭の中』。
あれ?前回と表紙が違う。同じ本です。
この本の中で同時通訳者に求められる力とされている「イメージ力」と「レスポンス力」。
今回は、上記の2つの力のうち「イメージ力」について、この本に書かれてあることと、それをもとに手話通訳の学習について私が考えていることを綴ってみたいと思います。
この本を読んで思い出したことや思いついたことをつらつらと書いていくので、英語の話と手話の話が混ざった構成になっています。
英語の話は関谷さんの本からの引用、
手話の話は私個人の思いです。
※「イメージ力」の話が1投稿で終わりませんでした。次回に続きます。
同時通訳における「イメージ力」
著者の関谷さんは、同時通訳をする際のご自身の頭の中を次のように表現しています。
目や耳から得たスピーカーの情報がイメージ(映像)となって浮かび上がり、そのイメージを私は言葉にします。
ビジネスの場では、スライドがぱっぱっと切り替わるように、
講演会などの時は、ゆるやかに情景がつながっていくように、
「映像」でとらえています。
ある英単語を日本語の単語に置き換えているのではなく、頭に浮かんだイメージを別の言語で表現しているのです。
ろう者は映像を見ながら話している
手話のネイティブスピーカーであるろう者のなかで、手話で話している時に「映像」が浮かんでいる人はかなり多いようです。話し手と聞き手で、その映像を共有しながら会話を進めています。
今は絶版で中古本しかないのですが、こちらの本は私のバイブルです。
私はこの「映像が見える」状態に長年憧れてはいますが、まだはっきりと「見えて」いるわけではありません。憧れて、目指して、最近はすこーしぼんやりと「想定する」程度のことができるようになりました。
本質をとらえる力
通訳をする時、どうしても単語やフレーズに引っ張られてしまいますが、関谷さんは、通訳を
「ある意味『言葉』から離れる生業」
と言います。
言葉を表面的にとらえるのではなく、発言の背後にある思い、意図をとらえるのです。大げさにいえば発言の背後にある世界観に関わってくる部分を理解しなくてはなりません。
そもそもこの人は何を伝えたくて、この言葉を使っているのかを理解する力のことです。
セレスコヴィッチが著者『会議通訳者』で述べていることと同じです。
(このことについて書いた記事です↓)
手話通訳において、
「発言の背後にある世界観」を知っているか知らないかで通訳の精度が大きく変わることは、何度も経験してきました。
例えば、50歳代以上のろう者が「ろう学校の時…」と話し出されて、表情が曇ったら、次に来るのはおそらく「口話教育が厳しくて…」です。
その後、学校でのつらかった話になるか、休憩時間や放課後に手話で自由におしゃべりした話になるか、「今のろう学校は手話で教えてて羨ましい」という話になるかは展開次第ですが、平成時代初期までのろう学校に通ったろう者には、共通する背景があります。
逆に、「小学校から高校まで地域の学校に通いました。」と語るろう者にも、その方たちにおおかた共通する背景があります。
その背景知識を知った上で、それと、目の前で語られるろう者個人の体験とを掛け合わせて、通訳者はろう者の語りを日本語にします。
たしかにそういった通訳の時、私は、教室にいる幼い頃のそのろう者をぼんやりと思い浮かべていて、少年が動く姿を日本語で実況しているような感覚があります。
背景知識を知っているかいないかで、通訳のしやすさは大きく違います。
さまざまなろう者の話を聞いたり、ろう者の歴史を学んだりすることは、語彙を増やすことにもつながるし、通訳の際に浮かんでくる映像を鮮明にしてくれます。
すべての内容は訳すが、すべての言葉を訳すわけではない
関谷さんによると、同時通訳では、話されている内容はすべて反映して訳すのが大前提ですが、「すべての言葉をそのまま訳す」という意味ではありません。
たとえば、英語の人称は、日本語に訳すときには省略することが多いです。「私」「あなた」といった人称は、日本語でいちいち言わないのが自然だからです。
それぞれの言語において、自然な表現、意味がすっと入っていく表現を瞬時に選んでいくようにしています。
ポイントは「その人がもし日本語で話したらどのように話すか」と考えるのです。
これは、読み取り通訳(手話→日本語)の際にいつも突き当たる壁のひとつです。
手話の言語的特徴と日本語の言語的特徴を理解し、読み取り通訳の時は、「自然な日本語」で表出したい。
それなのに、手話の「その場にいるかのように具体的に表す」「同じ表現を何度か繰り返す」といった「言語的な特徴」に引きずられ、日本語がくどくなったり、幼い印象になったりしてしまいます。
そのまま日本語で発してしまうと、あたかも話し手が拙い話し方をする人のように聞こえてしまうおそれがあります。
話し手の年齢や立場、場の雰囲気に合わせて、「この人ならどんな日本語で話すだろう?」と想像しながら通訳するよう心がけてはいますが、まだ私は、話し手の人となりを通訳を通して聞き手にお伝えできるまでには至っていません。
「イメージ力」を育てるインプット
読書量が言語能力を左右する
関谷さんは、中級以上の人に対して、意識して英語の読書量を増やすことをすすめています。
英語も日本語も言語能力が高い人、(中略)は、例外なくたくさん本を読んでいます。日本語でも英語でも、どちらでも多くの本を読んでいます。
読書によって、通訳に必要とされる「イメージ力」がもたらされます。
読むものは、基本的に興味関心があるもので、本に限らず雑誌記事などでも良いそうです。
手話で考えると、さまざまな手話の映像を見ることにあたるでしょうか。
翻訳を読んでから原書を読む
衝撃を受けたのは、次の一文でした。
洋書は、日本語版を読んだ後に目を通すことも多いです。
…え、日本語訳を先に読んでしまっていいの?
関谷さんは言います。
目的は、たくさんの本を読んで表現を学ぶことです。
わからない部分でいちいちつまづいて調べるうちに、疲れて挫折してしまうくらいなら、日本語訳で内容を知った上で、たくさんの英文に触れた方が良いという考え方です。その方が、英語らしい表現に強い印象を受けたり、感銘を受けたりします。
こうして英語の本をたくさん読むうちに英語のエッセンスを吸収して、英語力が豊かになっていく、と私は思います。
私は、1日1本の手話動画を紹介するLINE配信「手話の自習室」を7年ほど続けています。途中サボっていた時期もありますが、おそらく1000本以上の手話動画を見てきました。
その結果、たしかに、「手話の雰囲気」というか、
「こういう時、手話ではこんなふうに表現するよね。」
「手話のこの表現は、日本語とは意味範囲が違ってこんなニュアンスだよね。」
みたいなことをわかるようになってきたような気がします。
手話のエッセンスを吸収しているのでしょうか。
言語学者のクラッシェンは、
「言語を獲得するには大量のインプットが必要」
と言います。
私たちは、大量のインプットをするうちに、その言語の特徴を無意識的に吸収しているのかもしれません。
(クラッシェンの話が気になった方は、私の以前の投稿をご参照いただければ幸いです↓)
翻訳→原著方式で培う「予測力」
さらに、日本語訳を読んでから英語版を読むことのメリットは、「予測力」がつくことだと関谷さんは言います。「予測力」とは、知らない単語があったとしても、内容を推測しながら読み進める力のことです。
これは、読み取り通訳をする時に多くの人がつまづくところです。
「わからない単語があったら、そこが引っかかってそこから先が目に入ってこない。」
私も、手話通訳の学習を始めた頃はそんな状態でした。
その状況を打破してくれるのが、「翻訳→原著方式」です。
予測力をつけるには、たくさんの英文に触れること。たくさんの英文を読んだり、たくさんの英語の音声を聴いたりするうちに次第についてきます。
日本語訳を先に読むことで内容を頭に入れた状態で英文を読むので、わからない単語や表現があっても「こういう意味だろう。」と類推できる。
知らない単語は全部調べないと意味がわからない気がしていた人も、気がつけば類推で読んでいく、だいたいの意味をつかんで読み進めていく感覚がつかめるでしょう。
手話に置き換えると、読み取り通訳の壁の一つがここにあるように思います。
「単語の意味を知らないから読み取れない」と思い込んでしまっている段階から、話の流れで意味をつかんで日本語にできる段階へ。この壁を突破できると、読み取り通訳が楽しくなってくると思います。
そのためには、あらかじめ内容を知っていてかまわないから、手話をたくさん見ることが大切なのですね。実際にろう者に会って手話を見ることも、動画で見ることも。
「手話の自習室」の使い方
「手話の自習室」は、1日1本の手話動画を紹介し、翌日にその動画の要約を掲載して、さらに次の1本を紹介する…という、シンプルなシステムです。
私が要約を掲載するのは、ひとえに自分のトレーニングのためですが、思いがけず皆さんの読み取りの助けになっているかもしれません。
動画を紹介したその日には要約はありませんが、
1回見て「読み取れないなぁ」と思った時は、
「要約に頼らない!」と頑張りすぎて疲れてしまうのも、
「難しいからあきらめる」のも、もったいない。
翌日まで待って、要約を読んだ後にもう一度手話動画を見るていただくと、手話のエッセンスを取り入れることができるし、「予測力」が磨かれます。
そのような使い方をしていただけたら嬉しいです。
ただし、私もまだ修行中でして、私の要約をあまり信用しない方が良い面もあります。自信がない時は、正直に「今日の要約はここが読み取れてません。」と白状しています(笑)。
「手話の自習室」のリンクを貼っておきます。ご興味がある方はご一緒に。
おわりに
「イメージ力」についての話が1回では終わりませんでした。
次回は、『同時通訳者の頭の中』の第3章、同時通訳トレーニングの中から、「イメージ力」につながるトレーニングを2つご紹介します。