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手話でわらべうた〜はじまりの話①

「手話でわらべうた(手話わらべ)」という活動をはじめて、6年ほどになります。
昔ながらの遊び歌「わらべうた」を、聞こえない子どもたちと一緒に遊びたい、と思い、アレンジして遊んでいます。

これから当noteで、よく遊んでいるわらべうたをご紹介していこうと思いますが、その前に、「手話でわらべうた」に至るまでの流れをまとめてみようと思います。
手話わらべについては、これまで前を向いて走ることしかしてこなかったので、今回初めてふりかえります。うまくまとまらないかもしれませんが、おつきあいいただけたら嬉しいです。

注)記事の中に、聞こえない人やそのご家族が語ったことばがありますが、個人が特定されないようフェイクを入れて書いています。ご了承ください。

わらべうたとは

「わらべうた」は、昔ながらの子どもの遊び歌。「かごめかごめ」「花いちもんめ」「とおりゃんせ」など、ご存知でしょうか。「童謡」やテレビなどで流れる子ども向けの歌とは違い、自分たちの声だけで遊びながら歌います。

大まかに分けるとこのような遊び方があります。
・ひとりで遊ぶもの(「ちゃちゃつぼちゃつぼ」「あんたがたどこさ」など)
・ふたりで遊ぶもの(「いっぽんばしこちょこちょ」など)
・集団で遊ぶもの(「かごめかごめ」など)

わらべうたで子育て

私のわらべうたの原点は子育てでした。
たまたま2人の子どもが通った幼稚園がわらべうた保育をする幼稚園だった縁で、上の子が1歳になる前から親子グループでわらべうたに親しみました。
そのグループでは、だっこしたり、おんぶしたり、くすぐり遊びをしたり、一緒に先生の絵本の読み聞かせを聞いたり…とにかく2時間ほどの間ずっと子どもと体をふれあわせて遊びました。
日常生活でも、幼稚園で習ったわらべうたをいろいろな場面で歌い、子どもとたっぷりふれあって、おだやかで楽しい幼児期を過ごしました。

親子で通ったきらきら星幼稚園↓


聞こえない人たちのための心理士へ

きらきら星幼稚園での子育てを満喫していた時、私は無職でした。子どもが生まれるまでは、非常勤の臨床心理士として病院や学校で働いていましたが、すべて辞めていました。上の子が年中、下の子が1歳の時に、ふとした興味から手話の講習会に参加しました。
その講座の「仕事に関する手話」の学習の時に、臨床心理士(心理カウンセラー)であることを伝えると、ろうの講師から言われました。
「手話ができるカウンセラーがいないので、ろう者は悩みがあっても相談する相手がいない。あなた、手話ができるカウンセラーになってください。」
その頃、子育てやハンドメイドが楽しくて「心理士の資格更新やめようかな。」と考えていた私は、講師からの言葉を聞いて、
「どうせ辞めるつもりやったんやから、これからは聞こえない人たちのための心理士として働こう。」
と決意し、今に至ります。

親子関係をどうにかしたい

「聞こえない人のための心理士」と言っても、仕事が用意されているわけではありません。今思えば恐ろしい話ですが、地元のろう学校に単身乗り込んで営業をかけ、ろう学校のスクールカウンセラーとして働き始めました。

ろう学校に関わりはじめて感じたのは、「親子の距離の遠さ」でした。
親は子に愛情がある。子も親が嫌いなわけじゃない。
でも、家でのコミュニケーションは口話(音声日本語)で、親は通じていると思っているけれど、子どもにとっては通じない世界。
多くの子どもたちが、「どうせ通じんから。私には手話で話せる友達や先輩がおるからそれでいい。」と親を諦めています。家族に対してそこはかとない「遠慮」を抱えている子が多い印象です。一方、多くの親御さんは子どもたちを愛していて、お子さんが幸せになるようにと日々心を砕いておられます。

「この親子を、つなげたいなぁ。」

それが、はじめから今に至るまで、私の仕事や活動の根底に流れている思いです。

「手話で子育て」推進運動

思春期の子どもとその親との関係は、ただでさえ心が通じ合わないものです。その上、聞こえない子とその親となると、「心」が通じる前に、それを伝える「言葉」が通じないのです。お互い愛情はあるのに、言葉の壁で愛情が届かない。

「親御さんが手話をおぼえて、家庭の中の言語を手話にすれば、聞こえない子どもたちは心豊かに育つのではないか。」
その思いから、「手話で子育て」を推進するために、講演や学習会、イベント、小冊子の作成…いろいろなことをしてきました。

始めたころは、賛同してくださる親御さんはわずかでしたが、だんだん手話が認知され始め、「聞こえない子が生まれたから、親が手話を学ぶ。」ということを自然に受け止めるご家族も少しずつ増えてきました。
今では、地元の県で手話言語条例が制定され、県内4校の乳幼児相談部門を持つろう学校において、聞こえない乳幼児とそのご家族のための手話教室が開かれるようになりました。講師は各地域のろう者が務めています。

聞こえないお子さんと聞こえる親御さんが手話で話す光景を見ることも増えました。幼稚部に入る前の小さいお子さんが、お母さんをキッと見つめて手話で一生懸命訴える姿は、本人は必死なんですが、可愛らしすぎてニヤけてしまいます。
今や、「手話で子育て」を推進する活動において、聞こえる私の役割は発展的に小さくなっています。

手話がおぼえられなくて…

「手話で子育て!」と奔走している時期に、何人かの方から相談を受けたことが、「手話でわらべうた」を始めるきっかけになりました。

ある手話に関する小さなイベントの後で、ひとりのお母さんが目に涙を浮かべて話しかけてこられました。
「手話が大事なことはわかってるんですけど、どうしてもおぼえられなくて。私、母親失格ですよね…。」

お子さんが聞こえないことを受け止めるプロセスや、手話を習得するスピードは人それぞれです。イベントでの私の「手話で子育てしていきましょう」という発言が、そのお母さんを追い詰めてしまっていました。
お子さんへの愛情がそのまなざしから伝わるお母さん。母親失格なわけはありません。

お話を聞くと、お母さんは強いプレッシャーを抱えていました。病院や療育施設からの指導を受けて、ご自身の関わり方次第でお子さんの将来が決まってしまうと考えていました。お子さんをかわいいと感じる前に「しっかり育てないと!」という重圧に押しつぶされそうになっていました。

そこで頭をよぎったのが「わらべうた」でした。
言葉でのコミュニケーションが十分でなくても、1日数分間わらべうたでふれあい遊びができたら、お子さんはお母さんの愛情を肌から感じ取って育つのではないか。わらべうたでキャッキャ笑って遊ぶ時間が、お母さんを癒し、不安を会場してくれるんじゃないか。
わらべうたを通して、プレッシャーがかかっている子育てを楽しい子育てに変換できないか、と考えました。

パパと聞こえない子をつなぐ

他のお母さんからは、こんな相談を受けました。
「私は手話で話せるようになったんですけど、パパがおぼえようとしてくれなくて。子どもといても間がもたないみたいで、関わろうとしないんです。」

そこでも「わらべうた」が使えそうだな、と思いました。
私が幼稚園で体験していたわらべうたには、体を使ったダイナミックなものもたくさんありました。パパと体を使ったわらべうたで遊んだら、きっとお子さんは大喜びするでしょう。パパも、そんなかわいいお子さんと楽しい時間を過ごしていたら、もっと多くのことをお子さんと共有したくなって、お子さんとお話ししたくなるんじゃないか。そのために手話を身につけようと思ってくれるのではないか…。そんな妄想が頭に浮かびました。
わらべうたは、パパと聞こえない子をつなぐきっかけになり得るな、と思ったのです。

………
今回は自分語り多めですみません。
子育て中で無職の臨床心理士が、紆余曲折あって「手話でわらべうたをやろう」と思いつくまでの経緯を綴りました。

②では、
・聞こえない子が楽しめるリズム遊びとは?
・わらべうたを「手話わらべ」にする試み
みたいなことについて書いていけたらと思います。