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ピアノの先生が大嫌いだった話し

幼い頃、両親が共稼ぎだったため私はどうしても「居残り保育」をしなくてはならず、これは父親が17時過ぎに迎えに来てくれるまで何かしらの習い事をして時間を潰す作戦だったのかもしれない。

それがヤマハ音楽教室。

所謂「リトミック」のようなもので、先生が弾くピアノに合わせて歌ったり楽器を弾いたりするものだった。

生徒にはオルガンが用意されていて、幼少期の私はひたすらオルガンを弾いて父親が来るのを待っているだけの子供であった。

本当は絵を書くほうが好きで、カレンダーの裏やチラ裏があれば何時間でも絵を書いている子供でもあった。

小学生になり、同じクラスメイトの子が教室のオルガンで流暢なピアノ曲を弾いていた。アラベスクかバイエルの練習曲だったと思う。それはとても素晴らしかった。
それを見た私は、すぐさま両親に「ピアノ教室に通わせて欲しい」とワガママを言って、おばあちゃんの家の近くのピアノ教室に通い始めた。
この頃は両親が留守がちと言うこともあり、いとこと習字も習っていたこともあった。

私が小学校3年くらいの頃だろうか。
自宅の近くに小さいピアノ教室ができた。しかも今まで通っていたピアノ教室より値段も安く、自宅から1人で通える距離だったため両親からそこに変えて欲しいと言われ自宅近くのピアノ教室に通うことになった。

ただ、通っているうちに先生が大嫌いになった。

ほんの少し爪が伸びていたら「爪!」と怒鳴られすぐに外で爪を切らされた。レッスン時間30分〜1時間くらいの中で私が爪を切る時間のロスで、次の生徒のレッスン時間が無くなると言う理由で私のレッスンは後回しにされ、次の生徒のレッスンを後ろで立って見てろと言われ立たされていた。その後に私のレッスンが始まると、間違える度に怒鳴られた。

練習も大嫌いで、ピアノがなかった私の家には古いオルガンしかなく、どうしても指を立てて弾くことが出来なかった。
指を立てないとすぐ怒鳴る先生。
それでもまあ頑張って、バイエルとツェルニーを終えて、ハノンとブルグミュラーまで教本を進めることができた。

しかしこの先生、私が学校から帰宅する途中で待ち伏せしていて「カバン置いたら早く練習に来るんだぞ」と脅すように毎週見張られては、レッスン中にはヒステリックになって怒鳴ると言うことを繰り返していた。

小学生の高学年になると鼓笛隊でアルトホルンと空手を初めて、中学になると吹奏楽部でフレンチホルンを担当して遠征も行っていたので、ピアノの練習なんて殆どできなくなっていた。

でも自分からやりたいと言い始めたため、両親にピアノを辞めたいとは言えず、ダラダラと怒鳴られるためにピアノ教室に通うと言う日々が続いてしまった。

もう本当にこの先生がイヤ
ピアノも大嫌い


そう思いながらレッスンに通っていた私は、いつのまにかピアノを弾くことが苦痛になり、常に無表情で暗い顔をしてピアノを弾いていたようだ。

ある日、レッスン中に先生が突然ピアノをバーンと叩いてこう言い放った。

あなたが楽しそうにピアノを弾いている顔を一度も見たことがない。同級生の〇〇ちゃんは楽しそうに弾いているのにあなたは何なの?ピアノが楽しくないの?
何をすればあなたは楽しくピアノが弾けようになるの?教えてちょうだい。


こんなことを言う先生が世の中にいるのだろうか?と思った。
私は「ブルグミュラーが楽しくないからショパンを弾かせて欲しい」と言った。

先生は「わかりました。これからはあなたの好きな曲だけ練習しましょう」と言ってくれた。

次週からショパンの「革命のエチュード」の練習をするようになった。これは今までのピアノレッスンよりかなり難易度の高い曲だったが、好きな曲だったのでたくさん練習をして弾けるようになった。

ただ、先生からは褒めてもらうこともなく
結果的にどんなに上達しても認めてもらうこともなく、好きな曲も淡々とレッスンを行うだけになった。

丁度、高校受験の時期だったこともあり「受験に専念したい」と言う、両親にも先生にも自分にも都合が良くピアノをやめるきっかけとなった。

まあ、それでもピアノを習っていて良かったと思うけど、良い先生に教わっていたらなあと時々思い出すこともある。

終わり

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