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赤だらけの小論文を貰って前を向く

2024.10.3.  

今日、提出していた小論文が返却された。
いつもより、赤が多かった。

見たところ、私の弱点である細やかな言い回し(話し言葉と書き言葉の混同)と、そもそもの論の展開と、着眼点の3点にチェックが入っていた。
端的に言って、ボロボロだった。

小論文が楽しいなと思えていた最近は、客観的に見ても「コツ」をつかめてきていたのだと思う。回数を重ねるごとに、明らかに赤が減っていっていたし、初稿で合格が出る課題もあった。

その流れでの、久しぶりに見た赤だらけの原稿。

今までと何が違ったのか、その上で克服すべき私の課題は何なのか。
人は、上手くいっているときは何も考えない。つまづいてるってことは、自分のことを見つめ直して深く考えていくチャンスだ。


今回の課題についての分析から。
課題のテーマは相対主義、つまり哲学についてだった。
「相対主義の持つ問題をどう克服すべきか」について400字程度で論じよ、というものだ。課題文を踏まえて、この問いに答えなければならない。

客観的事実として、今回の「哲学」というテーマは前回まで扱ってきたテーマとは異なる。ちなみに、ずっと「言語」や「文化」についての論を扱ってきた。

次、課題への取り組み方について。
正直、今まで通りサクッとアイディアを組み立てたり言語化したりすることができなかった。
理由は、圧倒的興味&思考力&知識不足。この3要素の欠如により、筆の進みが明らかに遅く、課題をいただいた日から提出した日まで、かなり間が空いていた。

数日間思うように書けなかったが、選択肢にはもちろん書くことしかない。問いに対する納得のいく答えが見つからないまま、ただ手を動かした。それなりに原稿用紙の空白は埋まったが、やはり国語の先生の目は誤魔化せない。

以上のことから浮かび上がってきた私の課題は
・書けないのを課題のせいにした
・課題にきちんと向き合えていなかった
この2点だ。

前者は文字通り、「えー、今回のテーマって哲学?まあ入試本番は学部的にこんなテーマ出ないだろうし、これまで違うテーマで書いてきたんだから書けんのはしゃーない」と、思いっきり自分に言い訳をしていた。
これって、本当に良くない。責任転嫁は成長する機会を奪う。

後者は、自分が納得しないまま書き始めたという行為が反省点。課題は「取り敢えず」終わらせるものではない。きちんと納得するまで、時間がかかっても、正面から向きあうべきであった。「書ける」から偉い、「書けない」から悪い、ではなく。「向き合えてない」のが最悪で。それは課題に対しても失礼だし、それを専門として見てくれている先生に対しても、冒涜だ。


責任転嫁と妥協から生まれる課題と先生への冒涜。教えを乞う立場として、1番やってはいけない態度をとってしまった。

赤だらけの小論文を手に、反省し、前を向く。
完全にエゴでしかないが、明日先生にきちんと謝罪して、納得のいく原稿を仕上げる。

今回、改めて自分の短所や考え方の癖を見直すことができたので良かった。
「真摯さ」、これが私には欠けている。



ご清覧ありがとうございました。
自販機のコンポタでした🌽

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