ありがたく感じられたもの。
こんな言葉が聞こえたらどうしますか?
私のかつては、・・・
じゃじゃ馬という別名がありました。
自由で、かつて無い程に、好きな様に過ごす幼少期を過ごす子でした。
なんたって・・・(おかずが気に入らないとね、テーブルをひっくり返す様な、勇ましい家族がいたらしいのです。(短気))
それ以上にとお伝えしますと、
昔のスーパーマーケットをご想像ください。
・・・
昔はね、スーパーにドジョウが売られていて、トジョウがいない時にはしじみ・か・あさりに水が流れる水槽があって。
かつてを思い出す私がいますが、
あの時はドジョウの水槽に手を突っ込んで、ドジョウを触ってみたかったのです。
あさりを見れば(幼児の手で)突っついてまたくて仕方無かった。
当時の私の家系ではね、
食事を摂るのが苦手な私がいたのもあって、
食べらるものが偏り過ぎていました。
(今も変わらず)
それでね、我が家の今晩のおかずは、お刺身!!!の日があっても、
私のおかずだけは100円〜200円のシュウマイでした。
でもね、お肉屋さんで、お惣菜を買うときだけは、カボチャコロッケを買ってもらっていて、他の家族と名乗る人達はメンチカツやトンカツにしていたんだよ。
それには確かに、理由というものが存在していまして、
当時のわたくしは、カボチャコロッケが大好きだったし、ドジョウを触ってみたかったし、刺し身より焼売がすきだった。
理には叶っている。
よく生きていたなと。
そんな事を、回想していたら、
『当時は(潰れたスーパー)ドジョウをつっついてくれてありがとう、あさりの水槽に手を入れてくれてありがとう』なんて声が聞こえてきたの。
それからね、お肉屋さんに、カボチャコロッケを買いに来てくれてありがとうなんてメッセージを頂だいたよ。
時代や時間が過ぎると、時として姿かたちが変わることもある。
あれから・・・30年くらい経ったかもしれない。
もう、昔には戻れないし、失ったものもあるけれども、そんな声が聴こえくるわたしを、
わたしは誇りに思う。
あの当時の思い出を、本当にどうもありがとう。
これ以上の言葉はないかな。