彼がお正月に家族で出かけること〈価値観で見え方が違う〉
「彼がお正月に家族とお出かけをする。」
「彼がお正月に奥さんの実家へ行く。」
これが起きてい現実。
このただの現実に、
自分の価値観を通して、
人は様々な意味付けをしていく。
私の場合、夫や夫の両親が苦手だ。
今はもう連絡も取っていない。
だから私にとっては、
夫や夫の両親が好きではないので、
お正月に配偶者の実家に行く事が、
いつからか、ありえないことになった。
なので、
「配偶者が好きでないなら、お正月に配偶者の実家にわざわざ行かない」
という価値観が知らず知らずのうちに出来上がったのだろう。
「家族でお出かけをする」
ということに関しても同じだ。
私は夫が苦手なので、ある時を境に、
どうしても仕方のない時以外は、
夫と行動を共にはしなくなった。
なので、
「配偶者が好きでないなら、
一緒に出かけないだろう」
という価値観が出来上がった。
この私の価値観というフィルターを通して、私はものごとを見ている。
だから、
「お正月に家族でお出かけをするなんて、彼は奥さんが好きなんだ、大切なんだ」
とか、
「お正月に奥さんの実家に行くなんて、
やっぱり彼は奥さんが大好きなんだな」
などと考え、嫌な気持ちになるのだ。
もし彼にこれをぶつけると、
いやいや、ちょっと待て…となるだろう。
「どんなに嫌いでも、お正月の家族行事ぐらい行くでしょう。」
きっとこの返答が返ってる。
これは彼の価値観だ。
「どんなに嫌いな配偶者でも、家族としての活動や行動をちゃんと行うのは当たり前のことだ。」
「配偶者が好きでなくても、自分の責任や義務は果たさなければならない。」
だから、私が夫と行動を共にしないといけない日になると、
彼は私にいつもこう言う。
「大変な日だね。メンヘラちゃんが平穏に過ごせたらいいな。」
彼は、私と夫が行動を共にする日に、
私のようにヤキモチをやいたりはしないのだ。
それは、彼の価値観というフィルターを通すと、
「私が夫と出かける」
ということは、
「私が嫌な事を、
義務と責任で我慢して行っている」
ということになるからだ。
自分の価値観、信念、観念によって、
同じ物事でも、人によって違う物事になる。
つまり、今とてもしんどい、苦しいと感じているのなら、その物事についての自分の価値観や信念を見直してみるといい。
すると同じ現実でも、違った視点から見ることができるようになり、
心が少し軽くなるかもしれない。
じゃあ、私と彼の価値観、
一体どちらが正しいの?
私は、どちらが正しいとか間違っているとかはないと思っている。
自分の価値観を、常識や世間体に当てはめる必要も、寄せる必要もない。
人からどう思われるかを気にする必要も全くない。
そもそも、そんな事を考えていたら、限りある人生、死ぬ時に後悔するかもよ?
…って、これは私の価値観なんだけど。
自分自身が、これが自分らしいなと感じる生き方が出来るのなら、それが正解なんじゃないかなと、私は思っている。
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