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私たちは何も知らなさすぎる。
仕事の合間をぬって、取り憑かれたように中東の書籍を読んだり映像を見たりしている。
何かに突き動かされるように。
しかし、知れば知るほどに、その距離は遠くなるようだ。
少し前からアジアンドキュメンタリーズに登録していたので、
その中にあるシリアのとある家族に密着したドキュメンタリーを観た。
父はシリアの過激派組織『ヌスラ戦線』の一員であり、アルカイダに傾倒している。
彼の息子であるオサマとアイマンは兄弟だ。
オサマはオサマビンラディン、アイマンはアイマンザワヒリからとられており、
どちらもテロリストの指導者だ。
ドキュメンタリーは、ドキュメンタリーらしく、淡々と進んでいく。
2歳くらいの子どもが、小鳥を殺してみたいと言い、ナイフで刺して殺してしまう。
神は偉大なり、と叫びながら石を投げる。
父親は談笑しながらライフルで敵を撃つ。
故郷が爆撃されているのを毎日のように見せられる。
兄弟喧嘩をしたことを叱られ、殴られ蹴られ、髪の毛を剃られる。
父親が無数に埋められた地雷で片目と足を失う。
それでも金のために地雷撤去を行い続ける。
ペットボトルで爆弾を作って爆破させる子ども(遊びの一環として)
軍事訓練キャンプでは足に、頭に当たらないギリギリのところへ銃を何度も撃ち込まれる。
半年後、兄は3年の軍事訓練キャンプへ行き、弟は学校へ通う選択をする。
彼らの日常は常に暴力と隣り合わせだ。
なので、それを暴力とも認識していないように見えた。
だが、それ自体が良い悪いという簡単な言葉では、もうすでに片付けられない域に来ているようだった。
彼らには、彼らの正義がある。
その遂行のためには、自らの命も捧げる。
神の名の下に。
むしろ、そうすることが神に認められる唯一の行いであると、
そしてそれが生きること、自然なことであるといった具合であった。
それが彼らの日常なのだ。
彼らの前に我々日本人が行けば、なんの言葉も交わさず撃ち殺されることだろう。
我々日本は憎きアメリカの従属国だからだ。
観終わって、こんなにも何も言えない気持ちになったのは初めてかもしれない。
共感も、理解も到底できないが、しかし、批判する気にもなれない。
戦時中の日本もこうだったのだろうか。
天皇万歳と自らの命を犠牲にして敵に突っ込んで行った我々の先祖は、同じような思いだったのだろうか。
我々は何も知らなさすぎる。
世界のことも、自国の歴史のことも。