自分のために生きる(はじめてのカウンセリング②)
前回の記事はこちら
カウンセリングに行こうと思っては見たものの、どこに行っていいかわからない。
検索をかけてみても、料金もピンキリ、怪しげな雰囲気のものも多く、
そもそもカウンセリング料の相場も分からない。
このままでは石橋を叩き割って結局渡らない、ということになりかねなかったので、
「とりあえず一回行ってみてだめそうならやめる」というスタンスで、
お手頃な値段(とりあえず諭吉は超えない程度)のところがあれば行ってみることに。
さらーっと検索して、HPが良さげな雰囲気のところがあったので飛び込んでみることにしました。
数週間前に予約を取り、その間に小説の学校等でそのこと以外に頭を使うことが多かった私は、ここにきてすっかり悩みが改善していました。
少なくとも、カウンセリング当日までは。
(①で前述しましたが、あえて日ごろは考えないようにしていたのもあります)
前日までは「もう特に行かなくてもいい精神状態になってしまったなぁ」「今行って何言おう」「というかこんなしょうもない悩みで行ってもいいものなのか?」等々、
もうキャンセルしてしまおうか本気で悩むくらい、めんどくさくなっていました。
そして当日。
それは明確に身体に現れました。
ほとんど下痢なんてしないのに、朝からずっと下している。
昨夜食べすぎたわけでもないのに吐き気がする。
自分の意思とは関係なく、涙が溢れる。
正直、驚きました。
自分の体が自分のものではないような感覚でした。
まるで、自分の中の小さな子供の私が、「ようやく話を聞いてもらえる!」と、暴れているかのようでした。
子どもの私、というよりは、今まで抑え込んでいた感情、というか。
そのあまりの大きさに面くらいました。
「あぁ、私はこんなにも大きな物にずっと蓋をして生きて来たのだ」と。 電車にのっても涙が勝手に溢れてくるので、もう途中からは身を任せることにしました。
着いた先は、古いアパートの一室。
一抹の不安を覚えながらも、呼び鈴を鳴らすと、人の好さそうな坊主頭のおじさんが顔を出しました。
通された部屋には3つの籐の椅子。
部屋の雰囲気は、ほぼ「おばあちゃんち」
片隅には箱庭療法に使う砂の入った箱。
その中に並べるのであろう人形が所狭しと並んでいました。
目の前に先生が座り、穏やかな声で「さて、何がありましたか?」と言われた瞬間から、
私の目からは涙が溢れました。
迷子になった時、「どうしたの?」と、声をかけてくれた優しいおばあちゃん。
そんな感じでした。
ゆっくり、少しずつ、母とのことを話しました。
全体的には、先生が「こうするといい」といったアドバイスをくれるというものではなく、
あくまでも「自分はどう思うか」「自分はこれからどうして行きたいのか」を引き出してくれるといったやり方でした。
それを、否定も肯定もせず、ただただ「そうだね」と聞いてくれる。
その中で行われた「ゲシュタルトセラピー」とは、とここで語っているととてつもなく横道にそれてしまうし、
私に語ることなんてできないので気になる人はリンクからウィキに飛んでください。笑
その療法の中の「エンプティチェア」という方法を、今回やってもらいました。(頼んだわけではないので、きっと私の悩みにはこれや、と先生がチョイスしたのだと思われる)
要は、もう一つある空席に、問題自体を座らせ(私の場合は母)、
そこに向かって本来言いたかったことを言ったり、
実際にそこ(問題側)に座ってみて、その時どう感じるか、
そこから見た自分はどう見えるかを感じ、
最後にもう一度自分の席に帰る。
というのが一連の流れで。
私はこの方法を知っていたので、ひとしきり母に伝えたかったことを空席に向かって言いつのった後、
先生が「じゃあ、今度はお母さんの席に座ってみましょう」と言った時、
それまで高ぶっていた熱が一旦下がって「あ、ゲシュタルトのやつやん」と思いました。
要は催眠からちょっと解けた状態になったというか。
「え、やばいやばい、相手催眠かかってると思ってるけど醒めてるんやけど、え、どうしよ演技した方がいい?どうする?え?」
みたいな状態になって。笑
戸惑いながら母の(座っていると仮定している)席に座りました。
いやー、ところがどっこい、すごいですね。
完全に母が乗り移ったみたいになったの。
もちろん、それまでに先生がお膳立てはしてくれてるのです。
(母の生い立ちや、性格を大体説明させ、本当にリアルに母がそこに座っているかのような状況にしてくれる)
母の席に座った瞬間、母のそれまでの悲しみとか、辛かったこととか、
きっとこうだったんだろう、こう思うからこうしたのか、とか
どんどん自分の中に流れてきて、
「で、お母さんは、その席から娘さんを見てどうですか?お母さんに見て欲しい、認めて欲しいと言って泣いている娘さんを見て、お母さんはなんと言っていますか?」と言われ
「全部わたしのせいやって言ってます。絶対に言います。こんなことになったのも、全部わたしの育て方が悪かった、と」
それは、私とケンカになった時、母がいつも言う言葉でした。
自分を否定しつつ、私も全否定する、ずるい言葉。
死なばもろともの、とってもひどい言葉。
そして先生はこうも言いました。
「子育ても家事も協力的な優しい旦那さんがいて、自分のやりたいこともやっている。そんな娘さんを見て、お母さんはどう思っているでしょう?」
そうか、お母さんは私のことが羨ましかったんだ。
そして、寂しかったんだ。
そういえば、息子ができた時、全然喜んでくれなかったことも思い出して。
小説の時みたいに、よろこんでくれる!と思って報告したのに、
その時はまだ入籍もしてなくて、1年後の結婚式に向けて、それこそ母と一緒にキャッキャ言いながら、ブライダルフェアを見て回っていた時で。
その時も、おめでとうの一言もなく「え、なんでなん?なんで今なん?」と。
それからバタバタと私は同棲を始め、入籍し、そのまま家を出てしまった。
それが、寂しかったんだね。
思えば母は、ずっと自分のことよりも人のことを優先して生きて来たような人で。
きっとそれがあの人のスタンダードというか、ずっとそうやって生きて来たんだなと。
それが、祖母から私、私から息子に変わったんだ。
父の愚痴もよく口にすることも思い出した。
あんたの旦那さんはいいね、お父さんなんて…と。
そしていつもこう締めくくられる。
あんたももうちょっとちゃんとしなさいよ、と。
それは母のように生きろ、ということだったのかと。
私も辛かったんだから、あんたも同じ思いしてよ、と。
母娘で、思っていることは一緒だったんだと。
どちらも「私の気持ちわかってよ」「私と同じでいてよ」を求めていたのかと。
最後に先生は言いました。
「今、お母さんに言いたいことはありますか?言うとしたら何と伝えたいですか?」
「わたしは、お母さんとは違うから、わたしが良いと思う人生を生きる。やりたいことをやる。
だから、お母さんも、自分のやりたいことをしてほしい。もう人のためじゃなく、自分のために生きて欲しい」
終わった後はもう放心状態で。
でも憑き物が落ちたよう、とはこのことか、と思うくらい、肩が軽くて。
大げさに言うと、まさに生まれ変わったみたいな気持ちでした。
あれから一日経ちましたが、本当に色々見方というか感じ方が変わっていて驚いてます。
まず、母からのメールが苦痛じゃなくなった。
タイムリーに、息子を二日間預かりたい、というメールが来たんですが、
いつもみたいな感情に囚われることがなかった。
それはとても心地よかった。
以前は折に触れて母に似合いそうなものがあれば買ってあげたりしてたんですが
母のことを考えるのが辛くなってからはほとんどそういった気持ちになれてなくて。
そういう気持ちも本当に久しぶりに復活していました。
あとは、息子に対する見方も変わって。
前は、どこか、見ているようで見てない、みたいな状態だったんですよね。
私が見なくても、旦那や母が見ているからいいじゃん、と。
多分、これって、まさに自分がされていたことをしている状態だったんですよね。
怖い。すごく怖い。
自分が見られずに育ったから、息子も見ない。
こんな無意識に表れるもんなんや、って。
息子にまで、自分のような苦しみを抱えさせるところやった。
それに気づけた。
あと、前は本当に、何をしてても「時間がない」「私の、私のための時間がない」と、ずっとどこか常に焦っていて。
それこそ息子に手間取るとすごくイライラして。
時間に常に追われて、何をしてても、好きなことをしてても「時間がない時間がない」ってずーっとイライラしてる感じというか。
毎日土曜日の夜7時みたいな気持ちで過ごしてて。
だから買い物も行きたくなかったし、息子迎えにも行きたくなかったし、
車の移動ですら時間がもったいない、と思ってた。
でも、それがすごく改善した気がします。
全く思わないわけではないけど、前よりは段違いにゆったりした気持ちになれてることが、とてもうれしい。
苦手だった「リラックス」が少し上手になったというか。
これが、わたしの初めてのカウンセリング体験です。
本当に受けてよかった。
体が不調になったら病院行くみたいに、心が不調になったらちゃんと治しにいかなあかんねやと再確認した。
確実に生きやすくなりました。
これからも、「今自分はどう思っているのか?」にちゃんと注目して、
それに蓋をしないでちゃんと大事にしていきたい。
足をひっぱるものの呪詛に負けない。
まずは自分を一番大事にしてあげる。
人を大事にするのはその次だ。
それが、母であっても、息子であっても。
さぁ、やりたいことやるぞ!