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宗教二世だった

宗教二世という言葉を最近よく聞くようになりました。わたしも母が某宗教団体に入っていて、兄弟と共に集会や活動に参加させられていた過去があります。現在は、母も私達兄弟も完全にその団体とは関わっていません。

わたしが育った地域にはたくさんの信者たちがいた気がします。とはいえ、比較対象がないのでなんとも言えないのですが、同級生や先輩後輩の家族にも普通に信者がいたので、仲良くしていた記憶があります。

母がいつから、なぜ、信者になったのか。そのへんのことは一度も聞いたことがありません。というより、触れてはいけないような気がしています。母はまわりから優しいと言われるような人物です。社交的で、活動的。誰かと何かをするのが好きな人です。地元はかなりのど田舎で、「こんな田舎に嫁ぐとは思っていなかった」と母がぼやいているのを何度か聞いたことがありました。父は東京の会社に勤めていたため、わたしたちが幼い頃から週末しか家に帰って来ていませんでした。そんな環境で、孤独感を感じながら一人で子育てをし、もし救いのあるような言葉を掛けられたら…母の性格も手伝って、入信してしまうのはあり得る話なのかなと、思います。しかし、これは大人になってから考えられるようになっただけで、子供の頃は非常に母を恨んでいました。

幼稚園生〜小学生の頃、わたしは宗教の教えに則って生活していたため、同級生から仲間外れにされ、いじめの標的になっていました。幼稚園や小学校で行われるイベント事に参加できず、終わるまで別部屋で待機、休日や放課後は活動に参加する毎日。娯楽は許されず、アニメや漫画は観ることができませんでした。母は先生や同級生の親たちに、宗教勧誘をする。いじめられて当たり前だと思います。母からの暴力的な行為もありました。教えに反した行動を起こしたり、母の言うことを聞かなかったとき、問答無用に暴力を受けました。また、父は宗教に反対しており、母と顔を合わせると常に喧嘩をしていました。殴り合いなども当たり前のようにあり、母が父に殴られ、痣だらけになっている姿はかなりショッキングなものでした。(手をあげることは絶対に良くないことですが、父はやめさせるために必死でした)親戚や近所のひとたちからは、あそこの家族はおかしい、気をつけろと言われていました。

このような体験からわたしたち兄弟は心に傷を負って成長してきました。実際に社会に出た今でも、兄弟全員が精神的な病気で病院にお世話になっています。それぞれ、色々な要因はあるのですが、幼少期の経験は確実に一因になっています。

わたしが中学生になると、父は地元で働くことになって、毎日家にいるようになりました。兄はその頃、ストレスからよく問題行動を起こしており、わたしは反抗期も重なっていたからか、異常に母に反抗するようになっていました。それらが重なり、だんだんとわたしたちは団体からは離れていくようになりました。幼い頃こそ母の言いなりになっていましたが、元々その団体の教えを良いものだと全く思っていなかったわたしは、成長したことで、母やその団体を拒めるようになりました。父が猛烈に反対している姿を見てきたため、洗脳されずに成長できたと思います。


しかし、母が宗教から離れたことで、すべてが解決したわけではありませんでした。トラウマを植え付けられたことはもちろん、母と子どもたちの関係はかなり不安定なものになりましたし、親戚や近所、同級生たちからの目は変わりませんでした。いまでも親戚との関係はぎくしゃくしているため、みんなで集まることはないですし、地元に連絡先を知る友人は一人もいません。父が高校生のときに亡くなったこともあり、片親で兄弟を育てきった母を恨み切ることはできず、今は普通の親子関係を築こうと必死です。会うたびに母の老いていく姿を見ると、なんとも言えない気持ちになります。優しいと言われるような人物であるはずの母は、信じている物のせいで、自身の子供たちを身も心も傷つけてきたことに気付かずにいました。本人が今どう思っているのかはわかりません。

わたしたち兄弟にとって、地元というのは嫌な思い出ばかりの場所です。何ひとつ良かったことがありませんでした。大事なものが抜け落ちている感覚です。

東京に出てきてできた友人や知人たち、誰にもこのことは話せずにいます。いまでこそ宗教二世は注目され、話題になりますが、悲しい経験をしてきた過去を誰にも言うことができず生活している二世の方たちはたくさんいるのでしょう。ニュース等で「宗教二世」という文字を見るたび、辛い気持ちになります。わたしにとって消したい記憶で、今までは打ち明けたくても、誰にも話せなかったことです。最初で最後、ここに書くことで、おさらばしたいと思います。

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