「なめてんだろ!」
「なめてんだろ!」「やる気ないんだろ!」
これらは説教のときの常套句だが、この言葉ほど、どう対処したらいいか分からない言葉はない。
それらは所詮、主観の域を出ないからだ。
「なめてんだろ、お前」というのは、「俺は、お前が、なめていると思った」「兎角、俺はお前に腹が立った」という言明である。それ以上でもそれ以下でもない。
だから「なめてんだろ」と言葉にされた時点で、相手が「なめている」事実はほぼ確定なのだ。
以降はなんと言葉を返そうと、「いや、俺にはお前がなめているようにしか見えない」と反駁されて勝ち目がない。
怒られ方に正解はないというが、こういうときこそ、まさにそうだと感じる。
そんなときは、嵐が過ぎ去るのをただ待つしかない。
唐突だが少し思い出話をしよう。
中学一年生のとき、工作の授業での話だ。
授業時間を使って木で棚を作るという課題が出た。
その課題では、木材から各パーツを切り出すところから行う必要があった。
木材のカットには電動糸鋸を使え、と指示がでた。
電動糸鋸は、当時身長135cm、体重25kg程度だった私が扱うにはあまりにもパワフルだった。
刃が木材にあたるだけで、その衝撃と振動で、感電したアニメキャラみたいに連動して身体が跳ねた。
先生には、それがふざけているように見えたらしかった。
ある日の放課後、課題が完成していない私を含め数名の生徒が技術工作室に集められ、説教された。
取り組み方が悪いからだ、とかなんとか。
そして先生は私を名指しして、こう言った。
「遊んでるから完成しないんだ。なめてんだろ」
私たちは課題が完成するまで毎日、放課後に作業するよう命じられた。
「振動で身体が跳ねるんですよ」と私は弁明した。
すると先生は、「懸命に踏ん張れば問題ないはずだ」と答えた。
言われたとおりにすると、たしかに身体が動くのを抑えることができた。
しかし今度は、踏ん張ることでいっぱいいっぱいで、刃に木を当てるときの角度をまったくコントロールできなくなるのだった。私の手元には、組み立てようもないジャンクパーツばかりが残った。
私は、ちゃんと頑張ったところで、そのレベルだった。
先生も諦めたのだろう。私はとうてい使い物にならないグラグラした棚状のなにかを作り、晴れて放免となった。
会議で、部長が先輩に怒鳴っていた。
「やる気ないんだろ? だからこういうことになるんだよ」
そんなとき、どうしたらいいのか分からない。
本人や他人が何を言おうが、この「なめている」と思っていることは変わらないから。
諦めてもらうか飽きてもらう、つまり嵐が過ぎ去るのを待つ以外になにもできない。
「お前も、なんか言ってやって」
と、部長が私に言った。
しかし、この状況で私に言えることはなにもない。
怒られている先輩を一緒に糾弾したくはない。
かといって、部長の説教の「正当性」を挫くべく立ち向かう勇気もない。
悩んだ末に押し黙っていると「いいよ」と呆れた声で言われる。
なんだ。お前も「やる気がない」のか、と。
こういうときは、果たしてどうすればいいのだろう?
まったく正解が分からないまま、馬鹿らしくなってやる気が削がれていく。
嗚呼、これなら「やる気がない」でいいや、と──。