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大学生、大地に立つ 26
はいよろこんで
僕は二年前に軽い鬱症状を発症したことがあります。
何もする気が起きず、家からは出られないし、部屋はゴミだらけになるし。
バイトも行けなくなって三ヶ月でやめてしまいましたし、大学もやめました。
そんな僕はいまだに多少その気があって、今の仕事もたまに欠勤してしまっています。
二年前の僕はかなりどん底にいました。
そんな僕を救ってくれたのは推しの存在で、バイトもあまりしていなかったので親から送られてくる生活費を使ってライブに行ったこともありました。
それをしていなかったら僕は死んでいたと思います。
今現在、これを書きながらも、仕事を休んでいます。
そんな自分も嫌になって余計負のループに陥ってしまうので、とりあえず精神安定剤のようにnoteを書いています。
鬱は精神力が弱いからなるんだという人がいますが、そんなことは全くありません。
僕は今までの人生で辛いこともなんとなく受け流せるタイプの人間でした。
まさか自分が鬱になるなんて考えもしなかったわけです。
それでも鬱にはなります。
何がきっかけかはわかりません。
僕の場合は大学に入学して体調があまり優れなくなり、バイトを始めて夜中まで働き人間関係など色々考えることが多くなった結果、気づいたら家から出られなくなっていました。
だから鬱の人に出会った時、もしくはパニック障害など精神的に作用する病気の人に出会った時は、”気持ちの問題だ”とか冷たい言葉をかけないであげてください。
そういう言葉は余計に負担になります。
自分が弱いせいで他人に迷惑をかけてしまっているんだとか、どうしようもないのに悪い考えばかりになってしまいます。
我々も頑張りたい気持ちはあるのです。
それでもどうしようもできない時があるのが鬱やパニック障害という病気なんです。
憾
皆さんは作曲家の瀧廉太郎の遺作をご存知でしょうか。
見出しにもつけた”憾”が病床に伏せる瀧廉太郎の最後の作品になりました。
”憾”はピアノ曲であり、日本で最も古いピアノ独奏曲の一つとしても知られ、1903年に作曲されました。
憾という字は”遺憾”などに使われるように、無念などの意味を持ち、自身の若すぎる死を悔やんだ曲なのだろうと思われます。
器楽曲があまり浸透していなかった当時の日本においては革新的な曲だったと僕は思っています。
主題部は短調で激しく悲劇的な和音で構成され、中間部は長調へ転調し穏やかな雰囲気になっていきます。
ですがすぐに主題部に戻ってくると、クライマックスでは低音と高音を半休で打ち鳴らし、自らの無力を嘆くかのような重々しい低音で終結します。
まさに瀧廉太郎の人生への心残りと祖国への愛が表現された曲です。
僕は五年前に発表会でこの曲を弾いたのですが、やはり何か心に伝わってくるものを感じました。
作られてから百年以上も経っているのに、今もこうして人の心に想いを届け続けていると考えると、何だか感傷的になります。
こうしたところに音楽の素晴らしさが詰まっているのではないでしょうか。
昔の曲でもそうですし、今流行りの音楽でも良いですが、人に何かを伝えるということはそれだけでとても美しいのだと思います。
俺に死にたいって言わないで
なんだか僕は相談されやすい体質でして、友人から相談を受けることがよくあります。
ちょっと荷が重すぎる相談事もたまにあるわけで、そういった時に”死にたい”と言われても困ってしまいます。
”死んじゃダメだよ”といっても何の解決にもならないし、もちろん”死んじまえ!”ということではないわけです。
死にたいと思うのは勝手ですが、それはどうか心の中にしまっておいてくれませんかねと思ってしまいます。
友人や好きな人が困っていたら力になりたいと思うのは、人であれば多少はあるもので、それが僕の性分でもあります。
しかし、”死にたい”と言われてしまったらその時点で僕にはどうしようもない領域です。
それは自分自身よくわかっていることなので、尚更力を貸すことが難しくなってきます。
なので僕は友人には申し訳ないですが”俺に死にたいって言わないで”といつも心の中で言っています。
そもそも自殺を美化する風潮がいけないのです。
僕は死にたいと思った時に、”死んだら悔しいな”とか”周りに迷惑かかるよな”とか”推しのライブに行けないのは嫌だな”とかそういう感情が勝りました。
別に残された人が悲しむとかそんなことは知ったことではないのですが、我々人間は自殺は決して美しいものではないということを改めて理解する必要があるのではないでしょうか。
サボりの極意
僕はサボるのが大の得意でして、特に高校生の頃はサボることしか考えていませんでした。
そもそも高校の授業は寝ていた覚えしかありませんが、それ以上に如何にサボっていてもそこそこの結果を出すというのが僕の至上命題でした。
実際、模試の成績では、300人ほどで人数は少なかったものの学年ではトップ30を下回ったことはありませんし、ちゃんと中堅どころの私立大学にも受かっています。
サボりつつ結果を残すのにもコツと自分なりの流儀があります。
まず宿題は基本的にやりません。
僕にとっては無駄なことでしかなかったので。
あくまで僕にとってはです。
本来はちゃんと意図を持って出されていることくらいわかっていますが、あくまでサボることに主眼を置いた僕にとっては宿題はいりません。
ですが全くやらないわけにもいかないので、提出物が厳しい先生から出された宿題と、長期休みの宿題はやります。
その他の普段出される授業課題などは一切やりません。
では家に帰って何をするかというと、ゲーム、Youtube、寝る、たまに勉強です。
僕は授業を受けず自習室を借りるためだけに塾に行っていました。
これは塾長から公認済みで、僕は共通テストを使わないと宣言していましたし、英語試験も英検を使うため受験の必要がなかったので、特に授業を受ける必要もありませんでした。
そして自習室でやることは、片っ端から政経と倫理の教科書を読み込み、青ボールペンでノートにひたすら書くことです。
青色はどうやら記憶に適した色らしく、基本的に勉強をする時は青ボールペンと赤ボールペンしか使わないことを徹底しました。
そんなことをやっていると政経はそこそこ解けるようになります。
僕は暗記は覚えるものではなくて、覚えようとしなくても如何にその物に触れた時間が長いかだと思っています。
好きな歌の歌詞って何故か覚えているじゃないですか。
それって多分、大好きだから何回も聴いて自然と頭に入っているからだと思うんですよ。
だからまずは惰性でも良いのでとにかく社会の教科書や参考書に触れる時間を増やすことだと思います。
その際、音楽を聴いていようがYoutubeを見ていようが関係ありません。
頑張ろうとすると続かないので、半分サボりながら勉強していると、秀才にはなれませんが、そこそこにはなります。
しかし、お勧めはしません。
ちゃんと勉強をしていい大学に行った方が、努力した証になりますからね。
恐ろしい話
先日、歳の離れたいとこと会う機会がありました。
いとこ一家、祖母、親父、そして僕の六人で食事に行きました。
そもそも会うこと自体久々すぎたので、色々近況を聞いていました。
どうやら地元で一番頭がいい高校に行きたくて、まだ小学生ながら塾に通い始めたらしいのです。
そこで担当になっている先生が、僕と歳が同じだということを嬉しそうに話してくれました。
なるほど、と思いつつ戦慄する僕です。
そうなんですよ、21ってもう人に教育ができる歳なんです。
恐ろしいですよね。
僕もバイト時代は、三ヶ月で辞めたもののセクションリーダーというポジションにあったため、新しく入ったバイトの教育などはしていましたが、いざ子供に勉強を教えることは露程も想定していなかったので何だか恐ろしくなりました。
塾の講師というのは多少でも生徒の人生を背負わなくてはいけない職業なわけで、今の自分が人の人生を背負えるだろうかと考えさせられました。
バイトも会社員も経験してきましたが、人の人生を背負うおなんてそんな大義名分を背負ったことはないですから、何だかその塾講師の人が少し大きな存在に感じました。
僕と同じ歳ということはおそらくバイトなのだろうと思いますけれど、それにつけても、バイトでも誰かの人生を背負う存在になってしまうこの社会は恐ろしいですし、自分がそういう年齢になっていることも恐ろしいです。