【小説】廻る終に最後の2人
「里内明美はまだ高校生3年生であった。夢見る年頃から、朧げであった現実の切実さに気付き始め最近は何もやる気が起きなかった。」
私はふぅー、と溜息を吐きながら口からポコポコと吹き出る白い煙を見つめた。くだらない世の中の全てが煙みたいに霧散してぜーんぶ消えちゃえば良いのに、そう思いながら年頃には似合わないというかハッキリ言えばアウトな煙草を灰皿に押し込んだ。
『雨原小百合は大学中退の引きこもりであった。親からの小言を今日も耳に付けたイヤホンで、華麗にスルー。惰性で怠惰な日々だろうが、意味なく生きていると言われようが、ハッキリとどうでもいいと心強く思える気持ちを胸に抱えていた』
この寒さは流石に堪えるなぁと思いながら夜のコンビニにまで、とぼとぼと私は歩いていた。身体からニコチンが抜けていく、悲しさに耐えつつ、パーカーのポケットに突っ込んだ手をにぎにぎと意味もなく繰り返す。
目当てのコンビニに着くと、人も車も無くただ店の明かりが無駄なまでに周囲を照らしていた。
「なんかぁ幻想的って感じ」
ぼそっと、独り言を呟くがむず痒い気持ちが胸を呻いた、さっさと中に入るか…と入店。
「いらっしゃいませぇ…」
気の抜けた男性店員の声が、小さく響くガランとした店内。煙草の他に小腹を満たす何か買おうと、フラフラと足を進めた。ふと、気づくと店内には私以外にもう1人客が居るのが目に止まる。
「雨原先輩…?」
雑誌を読みながら立ち尽くしていた人物は肩をビクッと震わせて、私の方を一瞥した。
「明美ちゃん…?」
私は小さな子供の様に何度も頷き、口から溢れ出る言葉を矢継ぎ早に吐き出した。
「雨原先輩、久しぶりっすね!中学の卒業以来ですよね?先輩に何度か連絡取りたい気持ちもあったんすけど、私こんな性格だからなんでその…」
彼女は、昔と変わらない苦笑いを浮かべてポツリと
「明美ちゃんは変わらないね。」
「雨原先輩は、髪、伸びたっすね」
雨原小百合先輩は、私が中学生の頃に所属していた陸上部の先輩だった。中学の時から特に何かを熱中してやりたい気持ちには欠けていた私だったが、雨原先輩のおかげで継続する事が出来ていた。それ程までに先輩との時間は、確かに楽しいものだったからだ。懐かしい思い出、あの頃は良かった。ただノスタルジーが身体を脳を突き抜け、最後は鼻にツーンとした感覚だけを残す。
「先輩は最近調子どうすか?相変わらず文武領土でイケイケって感じなんすかね?」
私が聞きたい事をポツポツと口からこぼすと、雨原先輩は「あー…」と小さく声を漏らし、頬をかきながら「大学中退したんだよね、今無職。親の世話に現在進行形でなりっぱなし。」そういうと雨原先輩は罰の悪そうな顔を一瞬浮かべたが、直ぐにケロっとした顔で舌を悪戯にぺろっと出した。
あちゃー、地雷だったか…。と思いながら、あの先輩ですら人生の壁というのに辟易しているのだと感じて、少しばかり嬉しい気持ちになった。
「先輩も大変なんですね。私も今後の展望は特に無く、自堕落な日々送ってます。」
「明美ちゃん、昔からそーんな感じだもんね。何か安心しちゃった。でもこんな事言ったらアナタに失礼か!」
そういうと「あはは」と小さな笑い声を溢し、雨原先輩は手に持っていた週刊少年誌を陳列棚に戻して、公園にでも言って話す?と言い、私はただ静かに頷いてた。
寒い冬の夜空の下、私達2人は口元から白い息が出ては消え出ては消えを繰り返しながら、足を止める事なく目的地に向かって歩き続けた。先輩が手に持つ白い袋の中には、肉まん2つ缶コーヒー2つ。流石に先輩の前で煙草を買うに至られなかったが、先輩の奢りで(もとい先輩が親から貰っているお小遣いであろう)特した気分ではあった。何より、随分久しぶりに先輩に出会えた事こそが嬉しいものであったのが事実であった。
もう遥か昔の頃の様に感じるあの日々。ハッキリ言って私の人生のピークはあの頃だったのではと、切実に思う。いや、今だって未来溢れる若者だろ?というツッコミは完全に拒絶する気持ちなので、誰が何と言おうがあの中学時代こそが完璧絶対不可侵領域なのだと断言する所存である。
ふと言葉が出た「雨原先輩、まだ覚えてますか?あの夏休みに起きた事」
多分、覚えているはずだ。私も忘れる事が未だに出来ない。鮮明な記憶と共に、私の中学生2年生の夏に色濃く着いたあの印の事を。
「あぁ。あの時の事ねぇ、あれって結局何だったんだろうね。夏の夜空にピカピカ輝いて、私達の上をクルクルと旋回したあの光。やっぱり、UFOだったのかな?宇宙人が私達に何のようがあったんだよって感じだけどさ。」
私より数歩先を歩いていた雨原先輩は夜空を見上げながら、軽やかにクルッと回転してこちらを振り返り長い髪を揺らした。昔のショートヘアーも似合ってたけど長いのも良いなぁと思ったが、うんまあ今はどうでもいいか。
そう、あの夏。今からもう幾分も前になる、あの夏祭りの日の事を。
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あの夏の日は異常なぐらい暑かった。ホットプレートの上に自分達は転送されたんじゃないかと疑う程、気持ち悪く蒸せる異常な夏だったと云うのはよーく覚えている。まだ私は中学2年生で、雨原先輩は中学3年生で、夏休みの真っ只中に居た。陸上部の活動の小休止が発令された日、先輩に約束を取り付け「2人で夏祭りに行きましょう!」と半ば強引に誘ったような記憶もあるが…今思うと考えられないぐらい積極的だったなぁ、あの頃の私。
まあそんなこんなで、当時の私は全てに対し呑気に構えており、憧れの先輩と遊べるぞーと無邪気な幼心を久しぶり抱いているだけであった。もしその時の私に再会出来るなら「お前はこれから数年この夏の日の出来事に悩まされ続けるからよーく覚悟しとけよ。」と忠告しておきたいね…。
毎日、という訳でもないがヘトヘトになるまで部活動をしていると、夏休みなのに何やってんだが私は…という気持ちがどーしよもなく頭をもたげてくるのである。まるでこの世の終わりで、ゾンビや悪魔が地上を闊歩し出した黙示録が眼前に広がってるような顔で走り込んでいると、同じクラスの同じ女子である美浜陽子がこれまた汗をたらたらと流しながら並列走行で話掛けてきた。
「明美っち、何て顔してんのよ?いや、分かるよ?こんな暑い日にわざわざ学校から外に出て、こんな田舎町のアスファルトの上をえっちらおっちら走らされて、辛い辛いのは良く分かるけど、その顔は余りにも反則だよ?」
陽子は走りながらもベラベラと息を切らさず話掛けてくるので、相変わらず手の抜き方が上手い奴だと感心する。私はその不機嫌な顔を前に向けたまま、目線だけをチラリと彼女に合わせて
「私はね、陽子と違って部活に入りたいーとか、周囲の同調圧力に屈して部活に入っとかなきゃー、じゃなくて雨原先輩が居るから此処に居るだけなんだからね。別に陸上に精を出したい訳でも、青春を苦行に溶かしたい訳でもない。それだけ。」
私が少し息を切らしながら、言葉を捲し立てると陽子は見なくても分かるぐらいにやれやれなオーラを放ち。
「そんなに雨原先輩が好きなら、もっとあの人を模倣して陸上も頑張れば良いじゃない。現に雨原さん、中々凄い長距離選手なんだし。」
陽子は飄々と言ってのけるが、違う。私は、あくまで雨原小百合先輩の近くに居たいのであり、目標にするやらなんやらとは全くもって別問題である。そりゃ勿論、走る事に力を注げばもっと仲良く親しくなれるかもしれないが、ハッキリ言って今の関係で一先ず十分だし、それなら無駄な努力はしないに限ると云うのが私の確固たる信条である。そんな想いを滾らせながら、口を真一文字につぐんで真顔になった私を見て陽子は「難儀な人ねぇ…」と呟いたが、知った事か!と言ってやりたかった。
ベンチに腰掛けて「はーっ」と息を吐くと、私達陸上部一同は学校内に戻って来たのだ!と実感した。首にタオルを引っ掛けて、1人暑さの真髄に心底当てられたなぁと項垂れていると、頬に突然冷たい感触が走り思わず飛び上がりそうになった。
「明美ちゃん。運動の後は水分補給しっかりしないとダメだよ?倒れたりしたら大変なんだからぁ、心配しちゃうよ、私。」
顔を上げると雨原先輩が、部員共有のクーラーボックスから取り出したであろうスポーツ飲料を私の頬に当てていた。ああ優しい先輩、やっぱりこの人と一緒に居る事を選んで良かったぁと感慨耽りながらお礼を述べて命の水を受け取った。
「いやいや、雨原先輩!明美っちは、先輩の優しさに甘えようとしてわざと水分補給もせずに、ぼけーっとベンチに座ってたに決まってますよ!」
折角、女神の恩恵を賜っていた所に、ズケズケと入り込み尚且つ余計な事をほざく陽子をギッと鋭く睨みつけながら、喉の奥にスポーツ飲料をごくごくと流し込んだ。うーん、美味い。
「まあまあ陽子ちゃんもそう言わずにさぁ?ゆっくりのんびり休憩しようよ!今日はこの後かるーく流して終わりなんだからさ、夏休み時間に向けての期待を糧にね?」
「勿論!先輩の一言一句、完璧完全安心に遂行させてもらいますのでご心配なく!それでは失礼します!」
そういうと陽子はわざとらしく敬礼し、クルリと身を反転して他の部員達の所へそそくさと駆けて行った。何なんだアイツは…雨原先輩と私の蜜月に水を差すだけさして、どういつもりだったのか。向こうで陽子が談笑し始めたのを遠巻きに眺めながら私は
「どーもあの子は私に突っかかるのが好きなんですよねぇ、ちなみに雨原先輩の優しさに甘えようとしていたのは否定出来ない真実です。」
苦笑交じりの顔を先輩に向けると、彼女もまた同じような苦笑いを浮かべながら、もうっ、と一言呟いて私の鼻を指で摘んだ。イ、イタイ…。
雨原小百合先輩と私が出会ったのは、入学して早々の事であった。最初から私は帰宅部を選択する腹づもりだったのだが、部活見学を全くしないのもちょっとアレだと思い色々と見て回っていた。その日はぼんやりと陸上部の練習を遠巻きに見学しており、皆んなよくそんなに早く走るなんて真似出来るよなぁと感心していた。すると走る集団から1人突然飛び出てこっちにずんずんと近づいて来るじゃないか、理解する間もなく目の前には体操服姿に短いショートヘアーが似合う女子が立っており。
「一緒に走ろう!私雨原小百合、よろしく!」
「は、はぁ…」
一方的なアプローチではあったが、最高の出会いだったと今では思うのだ。
つるつる頭の顧問である渡瀬が「今日の部活は終わり!これから3日間は活動停止とするので、夏休みを多いに満喫して来なさい!」と宣言するや否や、暫しの休息の始まりを実感した我々部活生一同は、夏の気怠い暑さの中ふらふらと散り散りになっていった。3日間かぁ、ハッキリ言ってもっと休ませてくれないですかね?いや勿論、今の活動時間だってほぼ朝の8〜11時ぐらいなもんで、あくせく働く世の大人からすれば「ガキの分際で多くを求むな!」と目にクマをこさえながら叱責して来そうではあるが、それはそれこれはこれといった具合であり、学生であっても拘束されない時間は無限に欲しいし、そもそもな話こんな長期間の休みは学生という存在の特権ではなかろうかと思うんですよ。この宇宙が開闢したその日より、未来永劫学生生活に於ける長期休みは神聖不可侵の領域を保証されるべきである。つまり、今日、私は、雨原先輩を、確実に、夏祭りに、誘うべきであると確信に至る。この一度しかない中2の8月、後悔せぬ様に確実に行動を起こす、『鉄は熱いうちに打て』という言うじゃないの。
一緒に帰ろうと言って来た陽子に、要があるから先に帰って、と告げるとニヤついた笑みを浮かべながらもうんぬんカンヌン突っかかって来たので、ハイハイとだけ言い残し、私はチャリに飛び乗り雨原先輩の行方を大急ぎで追った。私が誘い文句をどうするか考えあぐねる内に彼女は先に帰ってしまったみたいだが、案ずる事なかれ、居場所に着いてはおおよそ検討がついている。いや、別に先輩について知り尽くしているストーカー等では断じてないのでそこの所はよろしく。
さっき迄、ちんたらと外練をしていた自分からは想像出来ない程に自転車のペダルを猛スピードで回転させ前傾姿勢のまま突っ走る。住宅街のマンション通りを駆け抜けて、買い物帰りのママチャリ奥さん追い越して、風切り目的地まで一っ飛び。
居た。団地の一角にある小さな公園、此処に雨原先輩がよく1人で居る事を私は知っていた。人当たりも良く、見る限り仲の良い人も多いと思われる先輩だが、あの人は1人でいるのがどうも好きらしい。雨原先輩はベンチに腰掛けて、近くに停車しているカキ氷の移動販売車で買ったであろう代物を黙々と堪能していた。打って変わって、すっ飛ばして来た私の足はパンパン、汗で体も髪もぐちゃぐちゃ、挙句には犬みたいに舌を出して肩で息をしている。こ、これは不味いと思いながら、深呼吸を一度二度ついてから心を決め、公園の入り口前に自転車のスタンドを立てて停車した。自然な態度を装い口笛を吹き髪を整えながら、先輩の座るベンチまで少しずつ歩を進める。
「あ!雨原先輩、先程振りの偶然ですね!いやぁ炎天下のカキ氷は夏を感じながらも、涼しさを味わえるので風流ですよね〜。私も買っちゃおうかなぁー」
「明美ちゃん、髪ぐしょぐしょ。ダメだよ?あんまり自転車でスピード出しちゃ。周りの人に迷惑だし、怪我したら元も子もないんだからね。」
ジトーっとした目をこちらに向けながら、雨原先輩は叱る口調とは裏腹に微笑みを湛えていた。しかし、最もな正論であり反省すべき現状である事を考慮しながら、私はただ一言呟いた。
「ごめんなさい」
「聞き分けの良い後輩でよろしい!ご褒美にカキ氷奢ったげるよ。」
そういうと先輩は、手に持ったカキ氷を私に手渡して「買ってくるね!」と立ち上がり、店の前まで駆け足でパタパタとかけて行ったかと思うとくるりとふり返り、何味がいい?と大きな声で問い掛けてきたので、いちご味でお願いしますと、取り敢えず聞こえる声量でぽつり呟いた。
ひんやりとした感覚が舌に心地よく広がる。いちごシロップがこれでもかとかかった原始的なカキ氷であるが、いやぁなに存外こういうありきたりな味な方が安心するというか、これだよなぁこれこれとなる代物である。
「で、明美ちゃん。要件は何なのかな?汗水垂らしてまで私に言いたい事とはこれ如何に?」
そう言いながら片手に持ったプラスチックのスプーンを指揮棒の様に振る彼女の姿は、少しばかり幼くも見えて、でも年相応にも見えた。何故かそれが、懐かしくも愛おしく、何故自分がこの人にこれまで、異常な愛情を抱いてしまうのか、その事全てに大きな疑問が膨れ上がる様な感情を覚えたが、特段気にも留めずに、喉の奥にグッと蟠りを飲み込み下してから、心の舵を少しずつ切り替えていく算段を始めていた。
一呼吸、二呼吸の落ち着きを経てから私は本題を切り出す覚悟を再度決めた。玉砕覚悟のお誘いを繰り出すには些か根性が足りて無い事は承知であったが、やむ無し。ここが正念場であると誰もが賛同した事間違いなしなのだからである。
「雨森先輩……あのですね、その。お伝えしたい事がありましてですね…。あの、この夏と言いますか、いや、この夏に限った事では無いのですがね。あるじゃ無いですか、夏祭りと称する物が、その風物詩にですねぇ、私と一緒に勇み足軽やかに挑み切って、中学生の夏と言うやつを謳歌して見る様な気はありませんですかね…?つまり明後日の夏祭りの事ですが…」
自分でも大概、下手くそでキモすぎる誘い文句である自覚を覚えながら、頬を伝う汗が夏のせいであり、自分の自信の無さに対する冷や汗で決して無い事を祈りながら先輩のリアクションの一挙一動をただ待つだけの物言わない置物になった気分であった。
雨森先輩は一瞬ポカーンとした表情で、かき氷を掬ったスプーンを宙に浮かべたまま、二度、三度瞬きをしたかと思うと、ニターっとした笑みを浮かべて、口元にスプーンを運び込んでから
「いいよ」
とだけ、一言だけ呟いた。そこからは話の運びもとんとん拍子で突き進み、明日浴衣を一緒に買いに行こうだとか何時に集合しようだとか、何だかんだの予定を簡単に立ててしまい今までの自分の気苦労や緊張はどこ吹く風だったのだろうと強く実感してしまった次第である…。
祭り当日は夕方になるまでがただただ待ち遠しく、朝から時間の消費に倦ねいていた。起きてからあーだこーだと、頭の中で本日の計画について考えていると存外時間の流動を忘れていた様で既に日は傾き出しており、気づけば約束の時間まであと少しとなっていた。
浴衣は昨日、先輩と一緒に買いに行った物を母に着付けてもらい、待ち合わせ場所にしていた例の公園まで、慣れない下駄をカランカランと鳴らしながら心持ち駆け足で向かった。
公園までの距離が近くなるにつれ、いや、よくよく考えれば浴衣姿の先輩を見たらぶっとんじまうんじゃないのか…と考えだしてしまった。まあ一緒に浴衣を買いに行った日に、浴衣を試着した雨原先輩を既に見た訳だし、もう眼福だった訳だし、これが隔絶された世界の真理かって程に美を痛感した訳だし。でも、今回は実際の当日だぞ、茜色のこの空の下で先輩の薄水色の浴衣に金魚の模様が点々と泳ぐ様を見た時に、私は生きいるのだろうか?呼吸はままならない息苦しさを覚えないのだろうか…。ぐるぐると渦巻く思考回路を、押しては返しながらも歩みは止まらず、うんうん唸っていると公園が見える位置までどうやら来てしまっていた。
私は何だか気恥ずかしくなってきて忍び足で公園の門に近づきそこから周囲を見渡した。やはり先に来ていた先輩がベンチの前に1人ポツンと立っていた。想像していたより、浴衣の姿の先輩は幼く見え純粋に可愛いと思ってしまった。いや何、綺麗ではあるのだけれどもね。
「すいませーん、雨原せんぱーい!待たせちゃいましたかぁー」
手をパタパタと振りながら駆け寄る私に、雨原先輩はニコッと微笑み片手を上げた。
「もう、凄く凄くすごーく待ったんだからね?足がもうアレだよ、棒になるってやつだよね。」
ニコニコしながら怒るので、それが冗談だという事は一目で分かった。しかし、待たせてしまったのは言い訳出来ない事実。
「ははぁ…すいません」
ぺこりと頭を下げると、上の方でうーんうーん罰はどうしてやろうかなぁとボソボソ呟く声が聞こえる。取り敢えず声が掛かるまで頭は下げておこう…。
「まぁ実際の所、私が此処に来たのは数分前なので明美ちゃんにはそこまで待たされていません。しかし、罰があった方が面白いと、私は考えます。」
腕を組みながらうんうんと頷く雨原先輩、まあまあ私は罰ゲームなんてどんとこいですよ。先輩の為ならたとえ火の中水の中、どっぷりドッカンと行ってやりますよ、えぇ。
「という訳で明美ちゃんには今日、思う存分楽しんで貰います!」
そういうと雨原先輩はガッと私の左腕を掴み、公園の外へとグイグイと引っ張って行く。その大胆な行動に思わず顔が紅潮しそうになるが、夕暮れの陽がそれを誤魔化してくれるだろう。ナイス太陽、欲を言えば手の平を掴んでくれても良かったが、それは余りに高望みだろうね。
屋台で食べる様々な物は決して滋味と言えない。しかしこの喧騒の中で食べるカロリー濃いめな味は中々乙なもんで、これが風流ってやつなのかなぁと改めて実感。そんな事をぼんやりと考えながら、目下でスーパーボール掬いに精を出す雨原先輩を見つめていた。先輩はスーパーボール犇めく水の中にぽいを突っ込みは破き、突っ込みは破きを幾度なく繰り返していたので流石にこれは詐欺なのではと疑い私も挑戦してみた。結果、簡単に掬えてしまいボールを入れる容器は直ぐパンパンになってしまった。詰まるところ先輩にはセンスが無さすぎる。
お互いに掬うのに夢中になっている最中、徐々に人の流れが変わり始めたのを感じ始めた。これは遂に花火が打ち上がるという前触れだ。
「雨原先輩、そろそろ行きますか?これ以上此処で燻ってるとよく見えるポジションは全部奪われちゃいそうですし。」
「そうだねぇ…流石に一個も掬えなかったのは心残りではあるけど、背に腹はかえられぬ。いざ参ろうよね、明美ちゃん!」
腰を上げてぐーっと背伸びする雨原先輩を尻目に屋台のおっちゃんにスーパーボールを袋に詰めてもらった。2人して足早にひらけた高台のある場所を目指していると、バンバン、と花火の音が鳴り響き出した。いかん、やはり出遅れたか?
「やばいやばいよ、明美ちゃん始まっちゃったよ!よく見える例の所、これじゃもうぎゅうぎゅうだろうね…」
「そうっすねぇ、この街は花火大会だけは有名ですからちょっと厳しいかもしんないすねぇ。うーむ…」
「私がスーパーボールを掬えないばっかりに、貴女に課した約束を果たせそうにないとは先輩実覚だわ…」
分かりやすいぐらいにズーンと肩を落とす雨原先輩に「そんな事ないですよ!十分楽しいですって!」と連呼しながら、どうしたものかと思案中していた。
私が俯きながら思案していると、雨原先輩が突然大きな声で「あっ!!」と叫び声を上げた。私は驚き直ぐに彼女の方に顔を向けたが、周囲の人達も同様に私達の方をおっかなびっくりに見ていた。雨原先輩は大声を発した口を両手で覆いながら、空を見上げた目を数度パチパチとやってから私の方に寄って耳打ちをしてきた。
「今UFOが飛んでた。」
えっ?何を言ってるんだ。少なからず雨原先輩はそんな不思議ちゃんめいた事を仄めかす人では無かったと思うのだけれども…。私がぽかんと馬鹿面を晒していると雨原先輩は私の手の平をグッと掴み「追いかけよう!」と一言だけ呟いた。手の平汗ばむ温もり、空飛ぶ円盤、人集りを駆け抜ける鼓動、単調に吐き出される呼吸、花火の音がその全てを覆い隠す様に激しく激しく鳴り響き明滅した。
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「うーんこっちの方に飛んでいったはずなんだけどなぁ。」
雨原先輩に引っ張られて辿り着いた場所は、夏祭り会場の裏手にある山『伊菜瀬山』の根本にある鬱蒼とした藪の中であった。というか結構なスピードで走ったというのに、雨原先輩は息一つ切らしていない。こっちはもうヘトヘトだというのに、流石は陸上部のエースと言うべきか。
「本当にUFOが飛んでいたんですか?先輩を疑う様な真似はしたくないですが、ちょっと非現実的は過ぎないですかね。」
「いやいや、飛んでたんだって。私達の頭上をクルクルと旋回してこっちの山の方にフラフラーって消えていったんだから?」
「何かの見間違えじゃないんですか?例えば飛行機の光を誤認したとか、夢のない話かもしれないですけど現実ってこうでしょ?」
「そんなの百も承知だよ、明美ちゃん!私だってオカルトじみた話は信じてないし、もしあったら面白いなぐらいの感覚しか持ってないの。その私が明らかにおかしいと思えるぐらいあれはUFOだったのよ!」
ここまで必死の形相で力説する雨原先輩は初めて見た。否定するばかりなのも悪いので取り敢えず私も協力して探すかと思い、天を仰いだ。じゃあさ、居たんだよ其処に。でっけぇ円盤のUFOがさ、古典的なSF映画に出てきそうな物体が頭上に居たんだよ。そこから青白い光が降り注いでくるのをただ黙って見てるしか無かったんだよ。
眩い閃光に身体が包まれたかと思うと、暗転。
次に瞼を開いたときには、青くぼやっとした天井照明の下に居た。おいおい、一体全体なんだって言うのよ、さっき迄雨原先輩と楽しい夏祭りデートに興じていたと思いきや理解の追いつかない超常現象に巻き込まれているってコレ現実?夢?どこからどこまでが?最初から?
脳みそが破裂する寸前の混乱を逡巡させていると、目の前に大きな銀色の扉があるのに気付いた。その瞬間、その扉が縦に開き目の前に私がこの短い人生で見たことも聞いたことも無い異形の怪物がぽつねんと佇んでおり巨大な目をこちらに向けていた。
この扉って横開きじゃないんだ…いやそうじゃない、そんな事考えていられる状況じゃないだろ!宇宙人?未知との遭遇?やっぱりアブダクションされたって訳?ちょーっと待ってよ、死。私死ぬの?とんでもない生物にあれやこれ身体の中をいじられて臓物引きづり出されてホルマリン漬けエンドで、はいさよならってなるの?
嫌な予感で青ざめている私とは裏腹に正面に立つソイツは、推測で身長が3m強もあり、紫色の大きな風船みたいな頭部に子どもが折り紙で丸型を雑に切った様な黒くデカイ目玉が張り付いていた。その上、頭から下はひょろ長い棒というか長方形がそのままくっついてる奇妙な姿で、そこから糸の様な手足らしき物が生えている。今しがた見た事も無い怪物だ!と思っていたのだが、少しずつ既視感を覚え始め、それがペッツだと理解した時思わず笑いそうになってしまった。やばい状況が笑えるってマジなんだなぁと、妙に冷静になりながら口元の渇きが尋常じゃないと悟り、二度三度生唾をググッと飲み込んだ。
『一先ずはこの度の非礼を謝罪させて頂きます。私達にはあまり時間が残されていませんので、手荒な真似でしたが今回の計画を実行させてもらいました。貴方方との接触は必要な事でしたので。』
目の前の宇宙人は流暢な日本語をペラペラと話すが、口らしき物は見当たらず脳内に直接語りかけている様であった。取り敢えず私は高速で瞬きを繰り返しながら、今の言葉を必死で噛み砕き理解しようと努めた。第一に礼儀正しそうな宇宙人だ、いやいきなり誘拐したのだからそれはどうかとも思うがひとまず危害は加えてこなさそう…。第二に私の存在が何やら宇宙的な急務に該当するっぽい所。第三にこのヘンテコ宇宙人、結構イイ声してる。
「あっあの、言葉が分かるようなので、あの手短に簡素に用件を、出来るだけ分かりやすく、理解しやすく教えて下さりませんですか?」
自分でもこの状況下にしてはよく話せた方だろ、と満足感を覚えながらも体全体をガタガタと震わせて涙を目尻にこさえていたのは言うまでもない。
目の前の宇宙人は細長い手足らしき物を頭上にゆったりと掲げてから『"里内明美"貴方ともう1人"雨原小百合"の強い"想い"の接触が宇宙的なバグを誘発する特異点だからです。』またもや脳内会話を放って来たソイツの言葉の意味を私は一切理解する事が出来なかった。当たり前だろ?いきなり宇宙人に拉致されて、意味不明電波な内容をぶつけられて飲み込めるほど柔らかい頭してないっつーの。
ひとまず部屋を変えましょうと言われ、困惑も恐怖も整理がつかないまま、ソイツの後ろをカルガモの雛みたいにちょこちょことついて歩いた。船内の廊下はSF映画で見るような物とは少し違い、壁はよく見るガラス張りの様だが中に映っているのは魚みたいなよく分からん生物がフヨフヨしている。宇宙船というか水族館だなぁこれはと考えていると、ソイツは私の思考を読んだのか説明を始めた。
『疑問に答えますと、これは貴方が考える通りの生物です。分かりやすく翻訳すると宇宙魚って安直なネーミングになりますね。ただこれらの生命体は我々にとって観賞用であり、食用であり、導き手でもあります。』
壁を細い触手でひと撫ですると、世界の選択が迫られていますよ、と小さく呟き、ソイツはまた歩き出した。世界の選択って何?着いていけば答えは用意されているのだろうけど、さっきまで夏祭りではしゃいでいた唯の中学2年生である私に何が出来ると言うのだろうか。
着きました、とソイツの声がした時には私の眼前に白くて巨大な楕円型の扉が異様な空気を醸したながら鎮座していた。よく観察すると扉の表面は蜘蛛の巣の様な靄がかかっており、それが表面を白く保っているのだと理解したが、この光景自体に対する言葉を得ない私からすれば全てどうでも良かったと言いたい。呆然と立ち尽くす私を他所にソイツは、理解不能な宇宙言語的思念を辺りに漂わせた。辺り一面の空気に一瞬、ピリッとした違和感を覚えたかと思うと、正面にあった白い靄の様な塊は滝の様に勢いよく下に流れ跡形も無く消えた。
『どうぞ、足元にお気をつけて下さい。』
そう一言だけ残すと宇宙人野郎は、扉の中へとその巨体を隠した。私の目の前に広がるのは漆黒の闇そのものであり、扉の先には部屋も何も無いように見えるのだが、其処には確実に答えがあるという奇妙な確信が頭の中で反芻していた。行くしかないよね…選択なんて最初から存在してないのだけれどさ、分かってても自分がそれを選択したって思いたいんだよ、取り敢えず今は。
大きく深呼吸をして、息を止めた私はその闇の中へ、深く深く海へ潜るダイバーってこんな気持ちなのかな?と考えながら、自分の身体全てを沈み込ませていった。一瞬、誰かの声が聞こえた様な気がした、しかしソレを認識する前に私の身体は、私の精神は、水の波紋の様に感情の起伏の中で揺らいだ。
眩しい、それが最初の印象だった。暗闇を抜けるとそこは、巨大な電球に照らされた宙船の司令室という様な場所であり想像通りの形であった。あたりを見回すと先程の宇宙人野郎が、私の左斜め前に立ち尽くしており、右斜め前にはソイツに似てるけど少し印象の違うこれまた珍妙な宇宙人が居り、尚且つその隣りには、そう雨森先輩が不安そうな顔でぽつんと立っていた。
「雨森先輩!!無事だったんですね!!!」
自分でも存外驚く程の大声で彼女の名前を叫んでしまった。宇宙人連中は特にリアクションをしなかったが、雨森先輩だけは私の方を向きぎこちない笑みを此方に見せてくれた。その姿に、妙な違和感を覚えたが深く考える間もなく宇宙人による説明会が始まってしまった。
『お二人が揃いましたので、我々が何故貴方達を此処にお連れしたのか。その理由をお話ししたいと思います。まず私達はこの世界軸の生物でありながらも、違う次元層の存在であります。貴方達の世界は所謂三次元と呼称されているのはご存知ですよね?一次元は点と線であり、二次元は平面であり、三次元は立体です。我々は四次元位置に存在しており、通常は三次元側の存在からは視認出来ませんが、同じ位置に存在はしているのです。ただ視えないだけであり、同一空間で並列的に繋がっており、全て共有しているのです。』
な、何の話なんだよ…。次元がどうとか何だとか…言ってる意味はフワッとだけ伝わるけど、それが私と雨原先輩を拉致する事に何の繋がりがあるって言うんだ。私のちんけな考えを他所に、宇宙人野郎は説明を続けた。
『先程、お二人方に最初説明した通り、貴方達2人の強い"想い"の接触は次元的観点に於ける重大なバグなのです。大変悲しいお知らせではあるのですが、お二人の仲が深まるに連れて次元層の歪みが少しずつ、少しずつ、大きくなり全ての次元層の境目が無くなり、我々はやがて一つの形を失い、全てが相であり全てが相では無くなるのです。何故、お2人の絆が宇宙的なバグに連鎖しているのかは…正直分かりません。ただ、残念な事に、それが我々すら感知出来ない運命による物であり、バグと呼称する他ない呪いなのです』
理解出来ない言葉だった。私と雨原先輩が宇宙的なバグを引き起こす要因?仲が深まれば、なんだか分からんが次元が破滅する?馬鹿も程々にしてくれ…夢なんだろうか、これは。どこから、どこまでが?そう認識をしたいのに、私の記憶の連続性と精神の確かな実感がこれは現実なのだと強く否定してくる。
「そ、、それが何だって言うですか…じゃ、じゃあ何ですか、高次元に存在するアンタ達は私達をウイルス扱いして始末する事で宇宙を守ろうって言う魂胆なんですか…」
ブルブルと声を震わせながら、精一杯の言葉をぶつけた。雨原先輩の表情は俯き加減であり、表情までは読み取れない。何とか言ってやって下さいよ…このペッツ野郎に雨原先輩も抵抗してやって下さいよ…そう思ってしまうが、そんな言葉口が裂けても言えない。彼女だって怖いのだ、当然だろ。
『いえいえ、ご心配無く。その様な野蛮な処置は考えてなどおりませんよ』
宇宙人野郎はそういうと、触手をふよふよと浮かべながら否定のジェスチャーを行ってきた。よ、良かった…取り敢えず命の保証はされたみたいだし安心していのか…。
『つまり我々は貴方方2人の"想い"がこれ以上強まらないように貴方方の"心"を弄らせて頂きたいと思います。好意という感情に一定のリミット上限を設け、次元層の断裂を防ぐ次第です。』
心を弄る?それって私の雨原先輩に対する好きって気持ちを勝手に無かった事にするって事!?冗談じゃない、何の権利があって人の気持ちを踏み躙る行為が許されるって言うんだよ。宇宙のピンチだが何だか知らないが私の気持ちを否定するのかよ、うら若き乙女の純情な愛情を…。憤りが絶えず止まず能を掻きむしり回った、口には出さないこそ私の修羅と化した顔を見ればコイツらに言いたい事は伝わったらしく。
『お気持ちは分かりますが、我々は最新の注意を払い里内さんと雨原さんの心を触らせて貰います。お互いを嫌いになるといった安直な処置はせず、お二人方の今の関係性は崩さないように現状の関係性を保ちながら、互いの好意レベルを良い先輩と良い後輩止まりにします。しかし今回の一連の事に関しては申し訳ありませんが記憶から抹消させて頂きます。これで貴方達は何も知らず、良好な関係を維持して尚且つ宇宙は守られるという訳です』
長々とした理屈が並べたてられる。気持ちや記憶の消失は自己の消滅だろ。その後の私はそれまでの自分と今の自分に違和感を覚えず生きていくというのか?これまでの日々の実感や証明は、確かな形をして心の中に残っている思い出の数々は、どこかの四次元生物のボタン一つで跡形も無く否定されてしまうのか…。
「納得出来ません…」
『申し訳ありませんが、納得など必要ないのですよ。自己の権利を尊重したいのは山々ですが、我々は個人の感情より多くの生命の維持を肯定しているのです』
「雨原先輩も何とか言って下さいよ!!!先輩が、私の事をどう思ってるのか何てこの際どうでもいいんです!これって私の我儘なんです!?」
口から出た後にはもう止まらなかった。雨原先輩に対しては八つ当たりの様な口調を飛ばすつもりなんて無かったのに、苛立ちだけが無常にまろび出た。
「私はね、貴方が思っているより明美ちゃんの事、凄く大切に思っているし感謝してる。でも、多分。これが運命なんだと思うの、私と明美ちゃんに刺された楔なんだよ。」
寂しそうな顔で微笑み私を諭そうとする雨原先輩。何故なんですか、何でそんなにこの状況を簡単に受け入れちゃってるんですか…。
「雨原先輩、それ本気で言ってるんすか?」
「明美ちゃん、ごめん。取り敢えず私を信じて、それで彼等の言葉を受け入れてあげて欲しいの。」
目尻涙を浮かべる雨原先輩、私達が2人が会話をしている最中に宇宙人連中は何やら機械を弄り準備をしている様だった。多分、感情抑制装置みたいな物を起動しているのだろう。徐々に周りが強い光に包まれていく、異常な輝きは私の視力を奪っていく。その中にあっても私は先輩の顔を凝視し続けた。自分の感情に嘘偽りがない事を証明する為に。ただそこにある我儘な想いを消さんとばかりに。
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気がつくと林の藪の中で、私と雨原先輩は大の字になって倒れていた。意識がモヤモヤするのを感じる。ひとまず何故こうなったのかと記憶の糸を手繰り寄せようと身体を起こすと、酷い立ち眩みが起こりまた崩れ落ちそうになった。何とか堪えて両膝に手を置いて、精神を集中させていると雨原先輩も気がついた様で、むくりと上半身だけを起こした。
「あれぇ?UFOは?」
そのぽつりと溢した先輩の言葉で、脳のピントがパチリと合った。そうだ、花火の上がる中に雨原先輩が謎の光を見つけて、それを追ってたら、こんな藪の中にまで迷い込んでしまったんだ…。
「雨森先輩、大丈夫ですか?どうやら私達なんだか分からないけど気絶してたみたいですよ。」
「えっ!そうなの?ていうか、明美ちゃん顔色悪いけど大丈夫??熱とかない??」
そういうと先輩は、私の側にすぐさま駆け寄り、おでこに手を置いてきた。先輩の手の冷んやりとした熱を感じながら、この人はやっぱ良い人だなぁというのをただ何となく思った。
その後、私達は何事もなかった様に花火の見える場所に戻り。綺麗だねぇなどとたわいの無い会話をしたのを覚えている。それから、夏休みもとんとん拍子で過ぎ去り。部活動にそこそこ精を出したりしながら、学園生活を送った。雨原先輩が卒業したりとか、あまつさえ自分が卒業したりとか、その日が来るまで想像さえしていなかったというのに時の流れは早いと今では思う。
そういやあの夏の日、部活が再開した辺りだったと記憶しているが、陽子が「最近変わったね」と私に言った事があったなぁ。その時私がどういう返答をしたのか今となっては曖昧だが、確かにその頃から私の未来に対する展望が何だかぼやけてしまった気もする。
多分あの日。決定的な何かが、私という存在の何かを変えってしまったのではないかと思う。これが怠惰な現状に対する単純な言い訳であれば良いのだけれども、このUFO発見事件以後の私は本当に私なんだろうかと、時々ぼんやり考える。スワンプマンだったり哲学的ゾンビだったりってこんな気持ちなんだろうかと、俯瞰的な目線で自分を捉えている感情に居心地の悪さを覚えながらも、淡々と年数を重ねていた。
だから、今ここで雨原先輩と数年越しに再開したのは何だか特別な意味があるんじゃないかと思わずにはいられない。ここがターニングポイントじゃないのかと気持ちのざわつきが渦を巻いている。
過去の事をふんわりと思い出しながら、歩いていると目的地である例の公園が見えた。雨原先輩はいち早くその門をくぐり抜け、中に入るや否やブランコに軽やかに飛び乗った。
「明美ちゃんもほらー」
ブランコをぐんぐんと揺らして、コンビニの袋がブンブンと揺れて、雨原先輩はニコニコと手招いて笑っている。相変わらず元気な人だなぁと感心しながら、私も隣のブランコにひょいと飛び乗った。
「いやー、まさかこんな形で雨原先輩と再会する事になるとは思わなかったっすね。」
「私もだよ。最近さ、なんだか妙な実感があったんだよね。何かが変わるチャンスが到来するっていう、予感って言ったら良いのかな。そういう漠然とした決意があったんだよね。そしたら明美ちゃんに再開した。」
「あー、私は逆にずっと怠惰っすね。まあでも先輩の根拠の無い自信と私の根拠の無い不安ってなんだか似てるかもしんないっすね。」
「それ、言えてる。」
その後は2人してケラケラ笑い食べて飲んで、ブランコを漕ぎながら昔話に花咲かせた。あの先生って今思えばどうとか、他の場所に進学した子とか今どうしてるんだろうかとか、他愛もない会話をずっと続けた。
「そういえば聞いて良いのか分からないんですけど、何で大学辞めちゃったんですか?」
少しばかり踏み込み過ぎかなと思いつつ、1番気になっていた話題を放り込んだ。私が記憶している以上、途中で物事を投げ出す様なタイプでは無かったと思うし単純に疑問だ。すると雨原先輩は考える素振りを見せて、顎の方に手を寄せていた。
「うーん、なんて言ったら良いのかなぁ。さっきも言ったと思うんだけど、これも"予感"なんだよね。電波な事を発するやばい奴だと思って欲しく無いんだけどさ。」
どこか寂しそうに微笑む彼女、あれ何だか既視感ある様な…。すると突然、強烈な違和感と共に世界が回る。ぐるりと暗転、ぐるぐるぐるりと回り出す。ブランコが?世界が?わたしが、、、?凄まじい頭痛だ。頭痛かどうかも分からない、目頭が熱く燃える様な気配は理解しているのに、今が冬か夏かも分からない。不快感を超えた一定の波が意識の範疇を上回り、身体全身にのしかかってきた。朦朧とする中、雨原先輩の方に顔をやると、彼女の顔は認識出来なかったが恐らく似た状態にあると思われた…。
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雨原小百合side①
多分、彼女は覚えていないんだろう。私と同じ中学に入学して来た彼女をたまたま校内で見かけた時、私の方は君があの子だって事に直ぐ気づいたんだけどね。
小学5年生の頃を思い出すと今でも胃のキリキリとした嫌な痛みを覚える。きっかけは何だったか正直覚えていない。私は元々内向的で友達付き合いも中々どうして得意な方では無かった。でも小学4年生まではそれでも何とかやってこれたし、別にひとりぼっちというのでも無かった。
大きく針が歪み出しのは、5年生の辺りからだ。私の通っていた小学校は田舎の少人数クラスだったので、同学年には男女が計20人しか居なく比率は綺麗に半分だった。
そんな小さなコミュニティの中で、浮いた人間は当然いじめの対象になってしまう。自意識が高まりつつある年齢と幼さ故の残酷さが相まった人間の闇の部分の毒を私が一身に受けたのは言うまでも無い。無視をされたり、物を隠されたり、トイレに閉じ込められたりというのが日常茶飯事で最早1番辛い嫌がらせが何だったか、それすら今思い出せない程である。
でも私はそんな目に遭っても親や教師に相談する事が出来なかった。まあ教師はいじめを知っているのに黙認していたのに違いなかったのだが。ヒエラルキーの最下層に位置する私を無い扱いにして、表面上の片田舎の平穏を演じるのに必死だったのだ。両親については真面目で優しく勤勉な人だった。だからこそ、2人に心配をかけたくない一心で私は現状を隠し通そうと必死だったんだ、あの子に出会うまでは。
ある時田んぼの畦道で嫌な連中に大事な物を投げ込まれた。そいつらは笑いながら直ぐにバタバタと逃げていったが、私は膝の方まで泥に塗れて、お母さんに何て言い訳しようと考えながら必死に投げ込まれた物を探していた。すると突然甲高い声が私の耳に飛び込んで来た。
「何してるのー!!!」
その声の正体は自分より少し幼い見知らぬ少女だった。田舎で子供の数もそれなりに限られているので、年齢の近い子は大体見覚えがあると思うが、全く知らない少女だった。
「えっえっと大事な物を落としちゃってねぇ。」
自分より年下の子に関しても怯えを感じるのが我ながら情けなかった。たははっと愛想笑いをしてから、再度目の前にある泥を探り探りしていると。ドポンっと音が響いて、その少女が泥の中に足を突っ込み立っていた。
「私も探したげる!」
私が何のリアクションも取れずぽかんとしているのに、彼女は自分が汚れるのも気にしないのか目を凝らしながら泥の中を見つめていた。
「なにを探してるの?」
「そ、そうだよね。言わなくちゃ分からないよね。あ、あと手伝ってくれてありがとね。えっと私が落としちゃったのは、「丸い蛸さんのペンダント」なんだ、ちなみに色は銀色なんだけど…」
それは亡くなったおばあちゃんから貰った大切なペンダントだった。おばあちゃんが何処かのお土産で買って来てくれた「蛸のペンダント」何故蛸なんだろうと思ったりしたけど、それはもう自分が人生から崩れ落ちないよう支えてくれる重要な装置になってしまっていた。毎日こっそり隠し持っていたのだが、今日に限って奴等に見つかり敢えなく泥の中に沈み込まされたのだ。
「うーんどこだろ」
バシャバシャと泥水を掻き分ける少女、顔に泥水跳ねているというのに見ず知らずの私の為に尽力してくれている。その優しさに触れて涙腺がホロホロと崩壊しそうになるのを感じながら、それを必死に耐えて私も探し続けた。
それから十数分経った頃だろうか、見つけた!と少女の大声と共に天に掲げたペンダントが夕陽にキラキラと照らされる光景を見た時私はこの記憶死ぬまで忘れないだろうと感じた。
それから畦道に座りこんで、少女に感謝の旨を伝えながら談笑した。見た目からもう少し歳下かと思ったがその子は私より1つだけ歳下だった。そして夏休みの間に家族の都合でこの地域に住む親戚の家に数年ぶりに来ていたらしい。通りで見知らぬ顔だったわけだ。
「お姉ちゃんの大切な物が見つかって良かったー。悲しい気持ちになる人が1人減って私も安心した。」
「優しいね…。みんな貴女みたいに善意に溢れていたらどれだけ救われる人がいるんだろうね?」
「お姉ちゃんの言う事は分かるけど、世界は自分から回さなきゃいけないってお母さんがよく言うんだよ。自分の手で全部を引き回せーって、だから私は自分の気持ちに素直にお姉ちゃんのお手伝いを選んだんだよ。」
そう言い切ると彼女は屈託ない泥だらけの笑顔でニコニコと笑った。私は自分より幼い少女のその顔を見た時、心の中に隠す様にしてバラバラに折り畳んでいた何かが形を成していくのをただ茫然と受け入れていた。暫く談笑してから、少女はもう帰るねと言い残し足早に駆けて行った。私は遠くに離れても時折り振り返っては手を振る少女を1人畦道で見つめていた。
そこで私はもう決めていた、両親にいじめられている事を相談すると。彼女の小さな優しさに感慨を受けた私は自分から環境を変える選択をする勇気を既に貰っていた。
そこからの話は早く、心配した両親が学校や相手の親達と揉めに揉めた。結局、自分達がこの土地を離れる結果になってしまったが、父と母が引っ越し最中の車の中で「ごめんね」と言ったのだけは鮮明に覚えている。
そう、その年下の女の子が明美ちゃん、貴女だったの。私が引っ越した先がたまたま貴女の住む故郷だった。だから私は貴女の住む土地で貴女の先輩になった。必然的な運命に惹かれる様に私達は再び邂逅したんだよ。
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雨原小百合side②
それは突然の事だった。夏祭り会場でUFOを見かけて、それを明美ちゃんと追いかけていたはずなのに気がつくと銀色の個室の中に居た。そこで私は妙ちくりんな宇宙人さんと2人きりになり、貴女には全てを先に伝えますと言われて洗いざらい妙な話をされた。
つまる所、私と明美ちゃんが宇宙を崩壊させる要因なると言う事らしい。どういうこと?ただその疑問に尽きる。何故か彼女と私が外れくじを引く役目を与えられたらしい。
でもここからが1番重要だった。目の前に居るこの宇宙人さんと私だけの秘密。彼?彼女?が与えてくれた選択肢が私達に委ねられた力をどうするか最大のチャンスだった。
『先程ご説明した通り我々は半ば強制的にお二人の心を弄り、心の向き方を変えます。我々という高次元生命体は個で有り、個で有りません、ですからこの考えは総意で有り、合致しているのが当然のはずなんです。ですがね、貴方達が世界のバグである様に実は私もそうなのです。私は他の個とは違う考え持つ事が出来るし、それを他の個に悟られる事は無いのです。これが今まで私には不思議だったんです、何故私だけなのかと。でも今回貴方達が現れて合点がいったのです、私の役目はこれだと。』
宇宙人さんには表情がない為、一切の感情を推察する事も出来なかった。でも嘘をついているという事はまずあり得ないと確信出来るだけの切実さが私にも分かった。
「でもどうするんですか?貴方が他の宇宙人さん達と違う事は分かりました。でも他の人達は私達の心をコントロールする手段がある、それにどう抵抗するんですか?」
『当然の質問ですよね。お2人の心や記憶を弄る装置なのですが、実はそれを操作をする役目を今回私が担っています。その時に少しばかり追加の要素をこっそり足します。前提として貴方達に対する処置は一旦行われます、ですがこれを永続では無く時限式で解除される様にします。』
「そのタイミングは?」
『ごめんなさい、それはランダムにさせていただきます。これが本当に必然だと言うならば時間による縛りは無粋でしか有りませんからね。然るべき時に解除が発動される、それこそ正しい運命であると私は考えます。』
という事は解除が何時になるか分からない、けど私達には解除されるタイムリミットを待つ自覚がそもそも無い訳か…なら別に気にも出来ないし良いのかなぁ。しかし、何故ここまで親身になってくれるのだろうか。この宇宙人さん達の言葉を信じるなら、私と明美ちゃんは万物に影響を及ぼす恐怖の大魔王だろうに。
「どうしてこんなに協力してくれるんですか?私と明美ちゃんは世界を破壊する危険分子かも知れない。それなのに貴方が仲間を裏切ってまで味方してくれる意味ってあります?」
『私は与えれた物には必ず意味があると思います。まあ思いたいだけなんでしょうけど、だから協力してるんですよ。それでもし世界が終わっても、それは避けられない衝突であり一つの結末なんだと思いますよ。あ、ちなみにこれは他言無用ですので、今から里内明美さんと私の仲間が来る場所に移動しますが何も知らない振りでお願いしますね。』
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全ての記憶にパズルのピースがビタビタと嵌まり込んでいくのを実感した、いや体感したと言うべきか。混濁した意識から解放された時には、私と雨原先輩はブランコから落下していて湿っぽい土の上に身体を横たえていた。強烈な吐き気と脳の一部が焼け焦げた様な痛みを憶えながらも、ハッキリと明確にあの日の事を思い出した。
「雨原先輩…大丈夫ですか?私思い出しましたあの時の事…」
夏祭りの日、私達は間違いなく宇宙人にアブタグションを受けた。それで記憶も心のパラメーターも触られたんだ。これであの後の人生に於ける妙な違和感に対する答えが今正しく符合した。
「ごめんね、明美ちゃん。私知ってたのここで記憶が元に戻るって事。厳密には私も今まで忘れていたのだけれど、あの日私だけは特別な宇宙人さんに聞かされていたの。私と貴女の齎す結末に対するチャンスが与えられているという事に…」
仰天する間もなく雨原先輩は、ぽつりぽつりと彼女にだけ明かされていた内容に付いて話し始めた。ある宇宙人が世界の崩壊を招く私達の力についてそれは与えられた物であり、それは必然なのではないかと言う考えであるいう事を。
少しずつだけどバラバラだった気持ちが整理されてきたと思う。忘れていたのだ、今の今まで、私が雨原先輩の事を好きだったという事実を。そしてこれこそが私に与えられた最後のチャンスであると、今こそ立ち上がるべきであると
「記憶を取り戻して早々にこういう話って可笑しいと思うんですけど…私は雨原先輩の事好きです。その、それはライクじゃなくてラブの方の…女同士で変だってもしかしたら思われるかもですけど。これが私のあの頃伝えられなかった本音です。」
打ち明けた言葉には真実しか無い、例え世界が終わろうともこの発言を翻すなんてするつもりは毛頭無い。
「私も好きだった。多分、明美ちゃんが想う前からね。」
顔が近づき、不意に唇にキスを重ねられる。その時、辺りにボヤッとした光輪が浮かび。くるくると回転しながら、周囲の景色を消しゴムで削るみたいに白く染めていく。上方では青白い光が慌ただしく飛び交う。もしかしたら宇宙人野郎が慌てふためいてるのかも、ざまあみろ。
………………………………………………………
身体が眩い光に包まれている。
「雨原先輩、私達正しかったんでしょうか。本当にこんな理不尽な我儘を選択して良かったんでしょうか。」
「たぶん、正しくないんだろうね…でも私ね、止められなかったと思うんだこの結末。坂道で転がり出した小石は何かにぶつかるまで止まらないかも知れない、でもその何かが無くなったら、小石はまた転がっていっちゃうんだよ。ころころ、ころころと終着点であるゴールまで…。」
彼女は泣いてるような笑っているような顔を浮かべていた。
身体が眩い光に包まれている。
いざ実行すれば、後悔や罪悪感の種はあっという間に発芽して自分の心に巻き付いていた。分かってたのに、この安易な行動で数えきれないモノが消滅してしまうというのに、母さん父さん、ごめんね。私、この人と世界を終わらせちゃうよ。馬鹿な娘でごめん。ごめん。愛が終わりを迎えるまで、無限のような時間が尽きるまで。
世界が眩い光に包まれている。
もう周囲の景色はおろか、彼女の顔すら視認出来ないんだ…感覚だけが鋭敏になり全身が尖ったナイフみたいになってバラバラになるまでの精神運動をしているに過ぎないんだ。
でも、多幸感に満ちていた。そう、幸せだったんだ。世界が終わるその瞬間だけは、1番自由で、1番綺麗で、ただただ全てが満ち足りていたんだ。
終末の世界に愛だけは確かに眩い光に包まれていた。
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