【TITANE/チタン】「オイルの臭いと愛情」
・『RAW 〜少女のめざめ〜』でその才能を世界に見せつけたフランスの鬼才ジュリア・デュクルノー監督最新作『TITANE/チタン』を鑑賞。文句無しの素晴らしい映像体験作であり、彼女もまた次世代のクローネンバーグと呼称しても良い変態変貌に狂った監督であると確信させられた。個人的に『RAW 〜少女のめざめ〜』に感じていた残念なポイントは突出した演出に対して物語の答えが明確で普遍的な物であった事だ。しかし今作『TITANE/チタン』は前作のその様な構造へのアンチテーゼなのだろうか、最初から最後まで明確な答えの無い悪夢を見せつけられた気分であった。観る人の感性や感覚によって姿を変える美しく神秘的な映画体験を強要させられてしまったのだ。
・私的な観点から感じたのは"求める物と現実の乖離"だ。主人公は幼い頃より、父性を求めていた。だが実の父親に対してその父性を満たす事は出来なかったのだろう。そして彼女の歪んだ愛は車という無機質で無骨なメカニックな物体に向けられる。その後の人生で彼女は性的欲求、衝動的な感情を制御する術を失った。彼女は誰よりも愛を求めているのに、他者から向けられる感情を受け入れる事が出来ないから衝動の全てを解放して最悪な状況を生み出し続ける。
・そして彼女と出会う息子を失ったおじさん。2人の利害関係が妄想と期待と赦しとで繋がる。現実から向けられた悪意のナイフを処理しきれないでいる人間同士が擬似親子的な関係を超越した無制限の愛という感情で結ばれる。そこに産み出される結論は異常で狂っている様に見えるが、実の所は酷く純粋な想いの結晶だ。
・苦難や苦悩の連続性。ある種のニヒリズムを抱える人間は失った或いは失いつつあるもの、その全てに対して悲観的でありながらも期待を捨てきれずにいるものだ。救われるという名の肉体と精神からの脱却、自己の不安を共有してくれる存在の運命的な到来。
・アレハンドロ・ホドロフスキーを筆頭にした芸術的美しさを保った実験映画の魅力、デヴィッド・クローネンバーグを筆頭にした人体が精神と同調して変貌する異常。現代映画に於いても鬼才達の魂を受け継ぐ新しい世代の監督達が続々と産声を上げ始めている。ジュリア・デュクルノー監督はそう言った存在の1人として、本作で一気にその階段を数段飛ばしで駆け上がった。
・変態的、病理的、狂気的、歪んだ偏愛に満ちた映画フリークスの心に寄り添おうとする映画はまだまだ死なない。寧ろこの道はまだまだ明るくなっていくのかも知れない。それでしか満たせない感情を救おうともがき足掻く数多の監督達の成果を観る為に、まだまだ死ねない。
終
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