短編小説「架空妖怪談義」

 ミーンミンミンミンミン

「うへー暑いよー」

 旧校舎のとある一角にて間宮楓は机に項垂れて夏の暑さを享受していた。一方隣に座り淡々と本を読み進める黒羽美鈴は涼しげな顔をして、窓から入り込む風で十分だと言わんばかりの表情である。

 ここは現在使用されていない旧校舎の一室であり、木造建築であり、クーラーなどという高級品は当然付いていない。目下この場所は女子高生3人組の秘密の溜まり場と称する無断の間借り駄弁りスポットに成り果てている。

「おい!お前ら!!!」

 不意に教室のドアが開けられ、馬鹿でかい大声と共にこの場の最後の主である霧目鏡花が乗り込んで来た。

「鏡花ちゃん、待ってたよー。」
「鏡花、あなた煩い。」

 先客2人が霧目の方に顔を向けると、彼女はニタニタした笑みを顔に貼り付けながら一言。

「架空妖怪談義やっぞ!」

 お決まりの文句に間宮は姿勢を正し、黒羽は本をパタリと閉じ、霧目は空いた椅子にどかっと座り込んだ。これがこの3人が此処に集まる理由であり、この不可思議ディスカッションこそが共通点の余り無い彼女達の唯一の繋がりであった。

「今回話そうと思う議題は『足跡』だ。」
「足跡?それって言葉通りの意味かしら?」
「足跡ってー?」

 霧目は分かりやすくごほんと咳き込み、机の上に鞄をドンと放り上げ、それからごそごそとその中を漁りスマートフォンを取り出した。

「なあ、2人ともこういう事を考えた事はないかな。ネットの履歴を消せるという行為って便利だなぁと、それってリアルでは中々難しいとは思わないかい?現実で自分の生きた痕跡を消すのはまあ普通は困難だ。例えば現実世界に物質として存在する"写真"、これを捨てようと思うと何だか心理的に難しい気分になるだろ?でもデジタル内に存在する"写真"、これはワンクリックで捨てる事が出来るし、気分的にも楽だ。他にもネットでは検索履歴やSNSの垢爆破や書き込みを削除する事が容易に出来る。しかし広いインターネットの中では一度流失した物は消えない場合もあるのだが…それはその当人の行いの重さや面白さと言った"拡散されやすさ"てのが主な原因だ。誰からもメンションを受けていない様な内容が突如ネットから消えた所で誰も気にしないのが現実だな。」

 そう言いながら霧目は2人に彼女がSNSに投稿した『横綱の横っ腹と下乳』という発言を表示した画面を見せてからそれを削除した。勿論この様な呟きに対して世界中の誰一人として反応していなかったのは確固たる事実だ。

「で、それがなんだって言うのよ。貴女が前提に出した足跡とそのインターネットの履歴の話、特段繋がりのある会話には到底聞こえないんだけど。確かに履歴=人の歴史、ひいてはそれを足跡と表現する事に関しては多少の理解は示せるわよ。でもこれは架空妖怪談義でしょ?」

 黒羽は訝しげな顔をしながら、霧目の顔と彼女のスマートフォンの画面を交互に見た。間宮の方は画面の方を食い入るように見つめて「お相撲さんのお肉って柔らかいのかな?筋肉質なのかな?」と一人ぶつぶつと唸っていた。

「ちっちっ、甘いなぁ美鈴さんよ。例えばだ、砂浜を歩いて残る足跡ってのは海が消してしまうだろ?それと同じさ、ネットにつけた自分の足跡を消しているのも海、つまりこの場合はそれを妖怪の仕業にしてしまうって話さ。」

 そう言いながらニヤニヤと鼻高々に宣言する霧目に対し黒羽は可哀想な奴を見る同情の眼差しを隠しきれなかった。一方間宮の方はまだ先程の事柄についても黙々と1人思考の渦に落ち込んでいるらしい。

「だから、それをどう架空の妖怪と結び付けるって言うのよ。足跡を消してくれる海の波が妖怪って言われてもピンと来ないし、それを妖怪と呼称する根拠を示してくれないと理解したくても出来ないわよ。」

 黒羽は現代では最早古典的とも言えるやれやれのポーズを披露していたが、霧目が一体全体どういった答えを用意してくれているのかと心の底では少し期待していた。それを受けた霧目の方は顎に置いた手を二度三度撫でる様に動かしてから、机に肘をつき拳を組みその上に顎を乗せた。彼女の掛けている眼鏡も相まり宛ら司令官といった様相である。

「つまりだなぁ、私が提唱したい足跡の妖怪の全容はだ。人間に過去を消したいと思わせる作用与えるって事だな。別に消さなくて良い様な内容まで消さなくてはいられなくする。人の意識をコントロールしてそれを無意識に変換しちゃうってわけよ。」

 そう言いながらも霧目は液晶に映るSNSの戯言を削除して削除した。彼女から言わせてみればこの行為こそが自分の意思とはかけ離れた超次元的な力、つまりは妖怪による心理的欲求の作用だと提言する訳だ。

「ご高説、どうも。まあ大体貴方が言いたい事は分かったわ。じゃあこの場合はこの足跡妖怪が及ぼす影響、又はその効力がどの範囲にまで行き届くのか考えましょうか。」

 ようやく霧目の言う足跡妖怪の全貌が掴めた黒羽は少し安堵した。想定していたよりも中々面白い設定が投げ出されて来たなと高揚感が少しずつ膨れ上がって来た所だ。

 少し前まで力士の肉質に気を取られていた間宮もいつの間にやら現代進行形の話題に食らい付いていた様で、鋭い観点から霧目の設定に対する疑問点を投げかけ始めた。

「はい!はい!私思うんだけどさ、鏡花ちゃんの言い方からするにこれってインターネットのお話だよね?ネットの中には干渉出来るのに現実の人には干渉出来ない。これって何だか変な感じがしない?」

「間宮、あんたおとぼけた顔して鋭いねぇ。私の言った事に対する違和感をこうも痛くつくとはいやはや流石。これに関して、私が思うのはこの妖怪の誕生は現実世界からでは無くネット世界からだと考えるね。言わばこれはまだ進化の段階にあると言う訳だ、いずれこの妖怪はネットの水面下から浮上して現実世界に影響を及ぼす。現状まだ産まれたのヒナって所ね」

「成る程ね、そうなると進化の幅が足跡妖怪の能力にどれだけの変質を及ぼすのか。それが重要なポイントになってくるわね。初期段階がネットの痕跡を自発的に消したくなる、でもそれは個人の意識では無く無意識に操られた結果だと。すると次の進化はどうなるのかしら、消す力にフォーカスを当てるのならば他者から見てその対象者のネットの痕跡さえも消し去るってのはどうかしら?」

「おー、つまりアレだな?例えば炎上とかしちゃって多くの人に注目されていたとしても、進化した足跡妖怪の力さえあればそれすら初めから無かったと、存在しなかったという事に出来る訳だ!」

「バレなきゃセーフの理論はダメだよ、鏡花ちん!」

 悪びれた笑みを浮かべる霧目に間宮は子供を叱る母親みたいな真剣な目を送った。だが霧目は一切気にしていない様で手をパタパタと動かしながらと言葉を受け流す。

「でもそれはアレだな。ネットからソイツ自身の歴史が消えたって事だよな。自己の消失を果たすって炎上が無くなるどうこうの規模の話題では収まらんぜ。」

 腕を組みながら天を仰ぐ霧目鏡花、目を瞑りながら妖怪進化の行く末を思案する黒羽美鈴、
いつの間にやら自分のスマホを取り出してSNSの確認をしている間宮楓。3人の思考が宙をふわりふわりと浮き出した所で、間宮が椅子から急に立ち上がり素っ頓狂な驚き声を上げた。

「あれれ!?鏡花ちゃんのフォロワーの数さっきより5人ぐらい減ってない?」

「うおっ!?マジかよ!」

「あら、鏡花の馬鹿みたいな呟きにも関心ある人が居たって事なのね。」

「それならそれで何かしらのリアクションをいつもくれよ…」

 どよーんとしたしょぼくれ顔を隠す事なく、机に突っ伏した霧目は指で液晶をスクロールして遣る瀬無く弾いた。

 そこからは先は淡々と話を膨らませるだけの工程に入り、3人はひたすらにその足跡を消すという妖怪の肉付けをこれでもかと足しこんでいった。

「うーん、流石にキリが無くなってきたなぁ。このままいけば神の存在を消す事も出来るし、それで世界に影響が出るなら神の存在を証明すら出来ちまうじゃないか。いや、それこそ世界の存在、人間の文化、文明、生きた証である全ての足跡を消してしまえるという事にまで発展してしまう。」

 沈黙が暫くの間、続く。先程まで聴こえていた夏の蝉の声が遠く、いや最早それさえも聴こえないと言っていいだろう。じっとりとした居心地の悪さを3人の周りを少しずつ確かに包み込んでいた。

「じゃあ実際問題、私達も足跡だったりするのかなぁ?この世界が突然消されてしまわない保証ってどこにも無いよね?」

 不安そうな面持ちで語る間宮を霧目と黒羽は虚をつかれた様に凝視したのち、次は互いの顔を見つめ合い「これは架空妖怪談義だろ?そんな訳ないない」とたははと2人で笑いあった。そう、これはあくまでも仮定のお話。創作物なんだから、足跡妖怪が本当に存在して現実に干渉する様な効力性を秘めている訳ないだろう?と考えている様だ。

 そんな彼女達を囲む四角いコマにペンをやりながら、椅子に座る男も暫く考え込んでいたが、やはりアイデアが上手く回らなかったのかこれはボツだなぁとぽつり呟いた。それから消しゴムを取り出したかと思うとコマの隅の方から彼女達の世界の足跡をただただ白く塗り潰すみたいに消しさった。

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