哀悼 志村けん(さん)
リモートワークにもすっかり慣れてきた3月のある日、いつものように朝のシャワーから上がって、そろそろパソコンに向かおうとしていた時だった。
「ねぇ、志村けん 死んだって」
夫の言葉に、私は裏返った悲鳴をあげた。動転した自分を、人生で初めて自覚した瞬間だった。「うそ?えー、え、えー」徐々に速まる鼓動。じわじわとわきあがる涙。近親者の不幸が飛び込んできた時、きっとあんなふうになるんだろうなと、今になって思う。何も考えられなかった。手が震えていた。胸がズキズキと痛かった。芸能人が亡くなってここまで取り乱すことは、後にも先にもこの時限りじゃないかと思う。それぐらい、私にとっては大きな出来事だった。たしかに数日前から彼の病状が芳しくないというニュースは見ていた。でも、「そうはいったって大丈夫だろう」「まさかコロナで」という、どこか楽観的な気持ちがずっとあった。きっと、日本中の多くの人がそうであったように。とにかく信じたくなかった。すべてが嘘であって欲しいと思った。その日は一日中、ふと気を抜くと涙がこみ上げてくるような不安定な状態だった。仕事もなかなか手につかない。あまりの落ち込みように、夫もきっと驚いたと思う。
私にとって志村けんとは。ちなみに、私が著名人のことを敬称をつけずに呼ぶのには、心からのリスペクトを込めている。チャップリンのことを「チャップリンさん」と呼ぶ人はいないだろう。チャップリンはチャップリン、志村けんは志村けんなのだ。話をもとに戻すと、自分にとって志村けんとは一体何なのかを何度も考えてみた。正直今でもうまく言語化することができないでいる。好きな人?ファン?家族のような?いや違う、なんというか、そういうことじゃない。そういう言葉が全部、しっくりこないのだ。言うなれば「原体験」。志村けんは私にとって「人」というより「体験」なのだと思う。
私が生まれてきた世界には、もう当たり前に志村けんの笑いが存在していた。夕食時のテレビは当然志村けん。男兄弟が2人もいるのに、我が家にはチャンネル争いというものがほとんどなかったと記憶している。世代的にど真ん中なのは「ドリフ大爆笑」「だいじょぶだぁ」「バカ殿」の志村3大エンタテイメントだ。
「ドリフ」にいたってはもう、その時の自分が幼すぎて、何が面白かったのかすら思い出せないほど果てしなく遠い記憶だ。細かいことは覚えていないけれど、ドッドッドリフの大爆笑〜の音楽に毎週ワクワクしていたことだけは間違いない。余談だが、なぜか雷様のコーナーだけは退屈で、そこまでいくと見る気を失っていたことはなんとなく覚えている。なんでだろう。高木ブーの眠そうなゆるトークが、子どもの私には難しかったんだろうか。「だいじょぶだぁ」で好きだったコントは挙げだすときりがない。「変なおじさん」「いいよなおじさん」「だいじょぶだぁ教」「ひとみばあさん」に「お花ぼう」……。これらは大人になってからも大好きで、たまにYouTubeで見ては元気をもらっていた。かつて会社で徹夜作業を余儀なくされた時に、同じく志村けん好きの同僚と大音量で志村コントを流して爆笑したこともある。志村けんの笑いは、ちょっとおかしくなった深夜のテンションにもぴったりだ。
思い出して書き連ねている今も懐かしくて胸の奥がきゅっとなる。毎日のように兄たちや両親とモノマネをして大笑いしながら過ごしていた。私が大人になってしばらくするまでダウンタウンのお笑いが理解できなかったのは、20年以上かけて志村けんを身体に染み込ませすぎた弊害だと思っている。予定調和で、牧歌的で、底抜けにピュアで、誰も傷つけないわかりやすい笑いが今でも大好きだ。とてもありがたいことに、私はよく「素直」だとか「明るい」とか「よく笑う」とか言ってもらうことが多いのだが、これはもちろん家族のおかげという面もあるが、よくよく考えてみると、大部分は志村けんから与えられたもののように思う。なにせあの頃は、「なまたまご」のたった5文字だけで、一日中笑える幸せな人生を生きていたのだから。
パンくんとの再会を孫とのそれのように心から喜ぶ志村けんがいない。古希に突入してもなおオナラ芸でお茶の間に笑いを届ける志村けんがいない。美女の隣でスケベな笑いを浮かべる志村けんがいない。TOKYO 2020で聖火を持つ予定だった志村けんが、初主演を務める映画に胸を踊らせていた志村けんがもういない。こんな悲しいことがあるだろうか。
志村けん逝去からあっという間に3ヶ月が経って、だいぶ気持ちも落ち着いてきたと思ったけど、こうして改めて思い出してみると、まだまだ心に空いた穴の傷口がぐじゅぐじゅと痛む。また折を見て彼への思いを綴りたいと思う。
それでは最後に。
どんなに苦しいことや辛いことがあっても、泣きながら笑えるパワーをくれる、スーパーポジティブエキストリームハッピーソングをどうぞ。
※この動画がいちばん好きなんだけど、YouTubeにあったのがいつのまにかなくなっていた…