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[映画鑑賞日記]「JOKER(ジョーカー)」(※ネタバレあり)


こんにちは、メモ野郎Dです。今回は、先日鑑賞した「ジョーカー」がとても面白かったので、初めての映画紹介記事を書いてみます。

⚠️以下ネタバレ含みます!!⚠️




舞台は1981年のゴッサムシティ。大都市でありながらも、貧富の大きな差が広がり、街は犯罪と暴力で溢れかえっていた。
そんな崩壊した街に住む、派遣ピエロのアーサー・フレックは年老いた母を介護しながら2人で素朴な生活を送っていた。
アーサーは、「場面を問わず突然笑い出す病気」を抱え、人々から疎外されてしまっても、「コメディアンになる」という夢を胸に、日々を懸命に生きていく。
しかし、暴漢や失業、持病の真実など、不幸の連続に直面した彼は、ある日長い間心に溜め込んでいた狂気を爆発され、やがて「ジョーカー」という名の悪のカリスマへと変貌していく。

メモ野郎Dの要約

以上が本作の大まかなあらすじです。では、この作品の見どころや特徴について触れていきます。

1.不幸の連続

この映画、とにかく主人公が不遇です。
仕事をクビになり、また新たな仕事をクビになり、を繰り返します。それだけならまだしも、帰り道に暴漢に遭うなど… とうとう耐えきれなかったアーサーは拳銃で暴漢を皆○しにするも、ニュースで市長の「トーマス・ウェイン」に遠回しに侮辱されたり(アーサーが犯人だということはこの時点ではバレていない)…

はたまた大好きなテレビの司会者に自分のコメディアンとしてのライブ映像を流され、笑い者にされたり…
後で触れますが、アーサーがこれでもか、というまでに追い討ちをかけられるのはまるで彼の不幸を共有しているような気分にさせられます。

その過程でアーサーは、暴漢を3人○してしまいます。ですが実はこの3人は、市長のトーマス・ウェインの会社で働く「証券マン」だったため、ウェインの忠実な部下殺害した「ピエロの男」は抗議デモの象徴となります。

こうして、街は犯人の目撃情報であるピエロの仮面を被ったデモ集団で溢れ返ります。意図せずとも、アーサーの狂気が世界へ広まる第一歩となるのです…

2.淡々とした人生

本作は不幸は連続するものの、人生大逆転とか、衝撃展開が特にないんですね。淡々とした、平凡な日常の中で不幸が重なることで、アーサーが狂気に呑まれていく描写を生々しいものとしています。

 それでも、アーサーの復讐シーンは爽快です! 笑い者にされ、暴力を振られ、ましては母親にすら裏切られた末に、彼が狂気をたたえた顔で次々と復讐を果たす姿はおぞましいながらも考えさせられるものがありますね。

最高の見どころ

本作の見どころというと、やはり後半のマレー・フランクリンの殺害シーンは外せません。マレー・フランクリンはアーサーが憧れていたテレビ司会者であり、同時に彼の映像を自身の番組「フランクリン・ショー」で流し笑い者にした張本人でもありました。

アーサーの映像は大きな反響を呼び、テレビ局にはアーサーの出演を望む声が殺到し、彼はある日フランクリン・ショーに出演することになります。

しかし、この時点で彼は番組の中で冗談を言い終わった後、拳銃で自○するつもりなのでした。

「ジョーカー」へ

そして、アーサーは「デモの象徴」であるピエロのメイクを施し、赤と黄色の鮮やかなタキシードを見にまといます。そう、皆さんご存知の「ジョーカー」の姿へと遂に変貌するのです。
その後テレビ局へ向かう最中で、有名な「階段ダンス」をします。

階段ダンス

マレー・フランクリン○害

そうして、控え室へとたどり着いたアーサーは、遂にマレー・フランクリンと対面します。彼が社会現象となっているピエロの仮面を連想させるメイクをしていたためディレクターはアーサーの出演時間の短縮を提案しますが、マレーはそれを否定します。
マレーは、再びアーサーを笑い者にしよう考えていたのでしょう。

 その後、遂に番組が始まります。マレーは徐々にアーサーを再び笑い者にしようとします。ここで、アーサーは「証券マンは自分が殺したこと」を打ち明け、「世間は狂っていて何もかも最低だ」と主張します。
こうしてマレーと口論になり、アーサーは「自○する」プランを変え、怒りに任せてマレーを拳銃で撃ち殺○します!

自分を再び笑い者にしようとしたマレーに「報いを受けろ、クソ野郎! !」と言い放ち、狂気を爆発させる様子は、何回見ても爽快で、引き込まれてしまいます。マレーに文字通り「報いを受けさせた」ということに何ともいえない魅力があるのです。

ゴッサムシティでの暴動

警察に捕まったアーサーは、窓から無邪気に暴動で燃え盛る街を眺めます。すると、救急車パトカーに突っ込み、暴徒たちはアーサーを救出します。
そして、起き上がったアーサーは暴徒たちに囲まれながら、「ジョーカー」として覚醒するのでした…


ラストシーン

その後場面は病院へと切り替わり、尋問されるシーンが短く映されたのち、アーサーは血まみれの靴で脱走し看守から逃げ回ります。
よく見ると、このシーンは挿入歌「That's life」が流れており、逃げ回るアーサーを遠くから撮っています。

おそらくこれはチャップリンの名言「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」という台詞を表しているのでしょう。
実際、劇中でアーサーは「僕はずっと、自分の人生は悲劇だと思ってた。でも今分かったよ。僕の人生は喜劇だ」と発言していたため、おそらくこの名言を意識してのことでしょうね。

「ジョーカー」が起こした社会現象

本作は、公開と同時に観た人々を魅了し、大きな話題を呼んでいました。米国では警察が「暴動を起こしかねない映画」として「何か起こった場合は速やかに鎮圧する」という体制を取るほどだったといいます。

では、なぜここまで「ジョーカー」はここまで深く人々の心を惹きつけてやまなかったのでしょう。

それは、この映画のコンセプトにあると考えています。
「心優しい男が、社会の厳しい現実に直面しても、最後まで希望を捨てずに生きていく。しかし、度重なる絶望を前に、遂に悪のカリスマとして覚醒する。」
この内容が、現代の社会情勢と見事に一致していたからでしょう。アーサーと同じとまではいかないものの、生きづらい社会の中を懸命に生きている。
すなわち「アーサーと同じ境遇」の人々にとって、彼はまさしく「カリスマ」としてうつったのだろうと思います。

また、ここまで人々に影響を与えたジョーカーを演じる、ホアキン・フェニックスの驚異的な演技も忘れてはなりません。
この映画を通して、ホアキンは「アカデミー賞有力候補」「キャリア史上最高」とも評価されています。

こうした要素が相まって、ジョーカーは「完成された映画」といえるのです。

トリビア

  • 有名なシーン「階段ダンス」では、普段辛そうに登っていた階段を楽しげに躍りながら降りている。これは、アーサーがジョーカーとしての自分を受け入れた、というように解釈できる。

  • アーサーは顔の左右で人格が分かれているかのように描写されている。左がジョーカーで、右がアーサー。例えば、自分を欺いた母親を殺す前などは顔の右側を撃つような素振りを見せる。これは、心優しいアーサーの人格を消しているということ。また、マレーを○す前は左側だけを映している。

  • アーサーには同じマンションに恋人的な女性がいて、一緒に過ごしたり自分のショーに呼んだりするシーンがあるが、これらは全てアーサーの妄想。実際、アーサーが女性の部屋に行くと、女性はとても驚き「なんでいるの、出ていって」といった反応を取る。映画館で見ると妄想のシーンだけ画面が狭まり、分かりやすいそう。

  • 本作の挿入歌は、フランク・シナトラの「That' life」。この歌は「人生は良いことがあっても、次は悪いことだってくる。人生そんなものさ。」という内容。映画の内容に反して「人生はすぐに諦めるものじゃない」というような明るい歌であるため、考えさせられるものがある。

  • 階段ダンスで流れている曲は、ゲイリー・グリッターの「Rock and roll part2」。この曲はカナダやアメリカでは、様々なスポーツ行事の際に流される。主に地元チームが勝利したときなどに使われるそう。だが、ジョーカーで流れると不気味かつ狂気的に聞こえるのだから、不思議である。

以上、「ジョーカー」映画紹介でした。
 それではまた。


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