【Column】‘‘思い’’が強いゆえに涙なしには観られなかった『ハニーボーイ』
映画『ハニーボーイ』は、ハリウッド俳優シャイア・ラブーフの半自伝映画として、サンダンス映画祭で審査員特別賞を受賞した注目作だ。
ここでは、シャイア・ラブーフを子役の時から応援している映画ライターが『ハニーボーイ』に対する正直な感想を綴る!
筆者が抱くシャイア・ラブーフへの‘‘思い’’
2019年、サンダンス映画祭を初めとした世界の映画賞を席巻した作品がある。
『トランスフォーマー』シリーズなどで知られる実力派俳優シャイア・ラブーフが脚本を執筆した映画『ハニーボーイ』である。
子役としてデビューを飾り、その後、ハリウッド期待の若手俳優として才能を発揮してきたシャイア自身の父との関係性や実体験を描き出した作品で、まさにシャイア・ラブーフという一人の人間の人生が映し出されている。
筆者は、個人的にシャイア・ラブーフのファンである。ファンという言葉では収まりきらないほどにシャイア・ラブーフという男を愛し崇めている。
世間では‘‘お騒がせ俳優’’と揶揄されることも多く、ファンであることを公言すると「なぜ?」と言われることも多々ある。
そんな世の中に怒りさえ覚えたこともあった。なぜなら、シャイア・ラブーフという俳優が魅せる情熱的な演技は、現代ハリウッドにおいても群を抜いて、人々を惹きつける魅力があるからだ。
プライベートでの言動ばかりが取り沙汰されてしまい、彼の演技に目を向けないファンが多すぎるのが、どうにも歯がゆかった。
そういった気持ちを内に秘めた筆者の元に、シャイアが自身の半生や父との関係性を描く半自伝映画を作るというニュースが届いたのは、数年前のことだった。
この話題を聞いたときに真っ先に思い浮かんだのは、「これでシャイア・ラブーフという俳優を理解してくれるファンが増える」ということだった。
もうかれこれ20年以上、シャイア・ラブーフのファンをやっている身としては、これ以上ない喜びであった。
シャイアがどのような脚本を書き上げたのかを目の当たりにする日がやって来たことに興奮と期待を募らせながら、ついに映画『ハニーボーイ』を鑑賞する日がやって来た。
シャイア自身の人生が色濃く映し出されたストーリー
映画『ハニーボーイ』は、シャイア自身が投影された人気若手俳優オーティス(ルーカス・ヘッジズ)が、感情をコントロールするセラピーのために、自身のトラウマとなった経験を振り返ることから幕を開ける。
その昔、子役スターだったオーティス(ノア・ジュプ)は、前科のある父・ジェームズ(シャイア・ラブーフ)の生活を支えながら、日々の仕事をこなしていた。ジェームズは、かつてピエロの仕事をしていたが、酒とドラッグで問題を起こし、現在は断酒会に通っているような男だ。
時には暴力をふるわれることもあったが、オーティスはそんな父でも愛していた。この関係が、のちのオーティスに大きなトラウマを残すことになり、成長したオーティスは酒におぼれるようになってしまう……。
本作は、シャイアが子役時代に経験したエピソードが色濃く映し出されている。筆者が初めて、シャイア・ラブーフという俳優を知ったのは、2000年から2003年までディズニー・チャンネルで放映された『おとぼけスティーブンス一家』だった。
当時、同作への出演でお茶の間の人気者となったシャイアだが、劇中では圧倒的なコメディセンスを発揮し、等身大の中学生の姿を見事に体現していた。筆者自身も日本で初めて放送された当初は、シャイア演じるルイス・スティーブンスと同じくらいの年齢だったため、一緒に成長しているような感覚だった。そのため、これまでもシャイアと共に成長しているような気持ちがあり、彼が俳優としてブレイクしていく姿が何とも眩しかった。
ただ漠然とシャイアの出演作を鑑賞しては勝手に感情移入をしてきたが、この『ハニーボーイ』を鑑賞して、あまりにも異なる人生を歩んできたことを痛感させられて、涙が止まらなかった。
普通の生活をしていた自分はものすごく恵まれていたことを思い知らされ、あのTVの中で笑顔を見せていたシャイアが、当時、このような生活をしていたという事実が受け入れられず、涙が溢れてきたのだ。
ただ父に愛してほしかった。父からの愛を求めて、日々を過ごすオーティスが何とも痛々しく映ってしまう。
これは、おそらくシャイアを子役時代から観ており、ずっと追いかけてきたからなのだろう…。
劇中には当時の共演者の実名も登場しており、より一層の感情移入を引き起こし、脳内ではただただTVを見つめていた自分の姿と当時のシャイアの感情が入り乱れ、もう途中で鑑賞を止めてしまおうかとさえ思った。この記事を執筆している現在でさえ、涙をこらえられそうにない。
子役スターのオーティスの目を通して追体験されるシャイア・ラブーフの半生…こんなにも大きな傷を負い、痛みに耐えながら生きていたことを知らなかった。
本作は、シャイア・ラブーフが父親から解放されるための物語であり、シャイアにとっては最良の治療薬なのだろう。
決して父親を悪者として描くわけではなく、息子への愛を上手く表現できない不器用な父として描いており、父から‘‘愛’’をもらっていたことに気づかされるラストは、大きなカタルシスを生み出す。
これまで、シャイアが‘‘お騒がせ俳優’’として認知されていることやプライベートでの度重なる奇行が取り沙汰されることに怒りを覚えていたが、これもすべてシャイアの人生の一つであり、ここにいたるまでの道程だったのだなと思うと、筆者にとっても‘‘怒り’’を解放するセラピーになったと言えるかもしれない。
実力派子役の好演と自らの父親役を熱演するシャイア・ラブーフ
本作で、子役時代のオーティスを演じるのは、『クワイエット・プレイス』(2018)や『フォードvsフェラーリ』(2019)での演技も記憶に新しい、ノア・ジュプ。
次世代スターとして大変な注目を集める彼が、シャイアの子役時代を投影したオーティスを熱演しており、内に秘めた父への感情を見事に体現している。年齢的にもまだ10代前半の俳優であるが、影を落とした巧みな演技を魅せている点には驚かされる。
オーティスが成長した姿を演じるルーカス・ヘッジズは、その成りきり度に衝撃を受けた。
映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(2016)でアカデミー助演男優賞にノミネートされた実績を持つ若手実力派である彼は、物語の語り手となる成長したオーティスを演じている。その佇まい、仕草、話し方にいたるまで、完全にシャイアになりきっているのが印象深い。
観る者にオーティスはシャイアであるといわんばかりのその演技は圧巻で、この演技があるからこそ、物語がリアルに伝わってくるのだろう。
オーティス役を演じる、ノアとルーカスの2人の演技は大変素晴らしく、それぞれが独自の個性を放っている印象だ。
そして、本作の脚本を執筆したシャイア・ラブーフは、父のジェームズ役で出演している。
自身の心の傷となった父親との関係性を脚本として発散させ、なおかつその父親を演じるというのは、相当な挑戦であったと思う。それでもシャイアは臆することなく、ジェームズというキャラクターを見事に演じて魅せた。
息子への‘‘愛’’を感じさせながらも、暴力性や狂気などを同時に体現しており、その緩急の付け方が素晴らしい。
いくらシャイアが好きだと言っても、いや好きだからこそ、思わず目を背けたくなるような場面もあるのだが、これまでのシャイアの集大成とでも言うべき演技が観られることは間違いない。
これまで長きにわたり映画人生を生きてきたが、ここまで感情が揺さぶられる作品を観たのは、初めてかもしれない。
それほどまでに胸に迫るものがあり、もっとも好きな俳優の半生を眺める‘‘痛み’’を感じさせられた。
それでもシャイアファンは絶対に必見だし、シャイアをよく知らず‘‘お騒がせ俳優’’としてのイメージが強いというファンにも観てもらいたい!
きっと、鑑賞後にはシャイア・ラブーフという俳優への気持ちが変化していることだろう。
(文・構成:zash)
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