思い出の美化を教えてくれた、新宿のルミネ

思い出の場所には2種類あって、来訪することによって当時を再現できるものとそうでないものだ。

そして後者は思い入れが強くなるものだったりする。

例えば私にとって、前者は大阪城や、京都のお寺などがある。どちらも無心な観光気分ではしゃいだ。もう一度行けば、きっとまたはしゃぐだろう。

後者は、浅草の商店街だったり、後楽園のジェットコースターなどが挙げられる。その中で最近思い浮かべるのが、タイトルのルミネ新宿だ。

実はルミネ新宿は、良い思い出の場所ではない。昔の交際相手に何度も約束時間を破られて、その度に途方に暮れ行くあてもなく店から店へ彷徨ったのだった。

今思えば彼にとって私はもはやどうでもいい存在で、もしかすると何人かのうちの1人だったのかもしれない。私にとっては、家族から反対されて嘘に嘘を塗り重ねた命がけの恋愛だった。束縛や詮索の激しい親に、大抵職場の人と買い物に行くと言って出かけた。約束の時間に彼が現れることはほとんどない。メール一本すら寄越さなかった。でも、今日こそは先に待っているかもという淡すぎる期待を抱いて私はいつも予定より早く到着するのだった。

そこから延々と彷徨う。煌びやかな照明、ひたすらに明るい呼び込み。少女たちが行き交う。中には、従順で眠たそうな恋人を連れた少女もいる。私は少女たちを横目にしながら、なんとも言えない心境で歩く。「もう少しで、私だってかっこいい恋人と歩けるんだから」という強がりと、「いつまでこうしているんだろう」という焦りと、「彼は何回同じ目に遭わせるんだろう」という怒りと、「彼の端正な顔を早く見つめたい」という期待と「もういい加減終わりにしたい」という諦めと。

カフェで大人しく待てば良いのにとも思うが、それが出来ないのだった。この雑多な新宿でカフェの空席を探すのが面倒だし、座っていてもどうにも落ち着かないのだ。彷徨っていた方がマシに思えた。たまに、コートやベルトなどを衝動買いした。

そして私の不器用な待ちぼうけは1時間以上に及び、そこでやっと「ごめんね、あと30分」というメールが来たりするのだった。

今、同じ場所に1人で行ったところで、当時の様々な感情が入り混じった心持ちにはなれるはずがない。心を焦がして待つ人はいない。家に帰れば「もっとゆっくりすれば?」などと言ってくれる夫と、やっと帰ってきた!と顔を明るくしてヨチヨチ歩きで駆け寄ってくる息子がいるのだ。

当時の私はあんなに苦しい思いをしたのに、この思いが2度と経験できない今では懐かしくなるのが不思議だ。

勝手なものだなと思う。

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