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肉屋だと思ったら八百屋だった
今日は半休。半休で明日から三連休。嬉しすぎる。
仕事終わりに梅田のカフェでコーヒーを飲み、地元の奈良へ。電車が遅れていた。のろのろ運転。
奈良に近づくと雪が降ってきた。雪は久しぶりに見る。だけどJR奈良駅に着く頃には晴れていたな。
親父にはバスで帰ってくるように言われたけど、俺はタクシーに乗った。俺は昔からタクシーが好き。お金は掛かるけど楽だし。
大阪のタクシーの運転手さんは面白い人が多い。めっちゃ話すし。ずっと話してる。目的地に着いてもメーターを止めて、話のオチまで話す人もいた。笑かしよる。
大阪のタクシーの運転手さんに比べると奈良のタクシーの運転手さんは大人しい人が多いかな。そして丁寧だし安全運転。静かに目的地まで運んでくれる。
親父に用事があって帰ってきたんだけど、鍋を用意してくれたから食べながらビールを飲んだ。昼ごはん食べてきたんやけど......。
親父に話が終わってからはどうでも良い話をしたり、先祖というか何世代か前の人たちの話をしたり。
親父の祖母は明治生まれ。11人も子供を生んだという。ひいばあちゃん、めっちゃ生んではる。むかーし、そんな話を聞いた気がする。
11人のうち半分くらいの方が早くに亡くなったらしい。
親父の祖父の代に法隆寺の辺りから今の地元に引っ越してきたとか。初耳だった。先祖代々、今のところにいるって思っていた。
そして八百屋をしていたって......肉屋ちゃうん?うちの親戚の家、肉屋の看板掲げてたぞ。そこ、じいちゃんがしてた肉屋やと思っていた。
「あれは同じ名字やけど誰か知らん。親戚が多かったからなぁ」
子供の頃、俺と同じ名字の肉屋の看板掲げている大昔に閉店したであろう寂れた建物を指さして
「うちの店やってん。おじいちゃんの店やってん」
そう友達に言っていたのに。俺は友達に嘘教えてたんか。
そして、じいちゃんは道楽息子だったから家業はじいちゃんの弟が継いだらしい。そう言えば、じいちゃんの弟は大きい家に住んでいた。
「うちのお父さんが本家やったんやけど、ずっと遊んでやったからなぁ」
ただの遊び人やんか。どうやって暮らしてやったんやろか。田んぼをいくつか持っていたけど、じいちゃんの癌治療のために田んぼはモルヒネになったと聞いたことがある。
「俺の代まで田んぼが残ってたら良かったんやけどなぁ」
親父はたまに田んぼの話をするけど、田んぼが残っていても売って遊ぶ金にしてたんやと思う。
ばあちゃんの話もした。ばあちゃんは昭和3年生まれ。口が達者な人だった。そして怖かった。よく怒られたけど可愛がってくれた。
理容師と美容師の資格を持っているから、子供の頃は何度か髪を切ってもらったことがある。その頃には美容師を辞めて化粧品販売の仕事をしていたけどね。
昔の手動のバリカン、めっちゃ痛い。痛すぎてギャン泣きしたことを覚えている。ずっと使ってなかったから錆てたのかも......母がそんな風に言っていたのを覚えている。
うちの母は、ばあちゃんが切った後の髪型が気に入らなかったみたい。
「古臭い髪型にされて......」
とか言われたことがあるし。バリカンが痛かったし、小学生に入ってからは普通の店で切ってもらっていた。
ちなみに母と祖母はよくある嫁と姑な感じでした。表向きは普通にしていたけど、お互いにめっちゃ愚痴っていたのは知っている。
今夜は市内のホテルに泊まります。この後に地元で働いていた時の人たちとご飯に行く。
飲み過ぎに注意しよう。