九条先生と整くん。
九条先生の言葉。
→あなた方を苦しめる原因の大半は想像です。
目に見えない順番もそう。こうしたらこう思われると配慮する人間関係もそう。
そして、その想像に1番苦しむのはいつも優しい人です。
なぜ優しい人たちが損ばかりをする世界で日々を過ごさなければならないのか…。
これを聞いてたら、整くんを思い出した。
「ミステリと言う勿れ」の整くん。
整くんの説明…
→「イジメる人=病んでる」っていう判断、
欧米の一部では、そんな風に考えるみたい。
日本は、いじめられてる子に逃げ場を作って何とかしようとする。被害者側を逃げさせる。
なぜ、イジメられてる側が逃げるの?
損ばかりすることになるのに。
まともではなく病んでいるのはイジメてる側。
カウンセリングを受けさせてあげましょう。←
そんな感じのこと言ってたと思う。
でも、別に日本人だってそうだよね。
おかしいよ、何でって思ってるよね。
九条先生も…
「何であんな理解も出来ない人間たちの自由を尊重しなければならないのか…」って言ってた。
なら、どうしてなんだろうね。
「逆らえないのは、余計に面倒くさい事になるのがわかってるから」
整くんは言ってた…
歩いていて突然知らない人に殴られたら、すぐ周りの人に言うでしょ…
(日本人は声を上げれない人も多いかもだけど。)
それと同じように、先生や親に伝えましょう。
イジメられたよ。あの人病んでるからカウンセリング受けさせてあげてって。
そう言えるようになればいいと思う。
って言ってた。
人を追い詰めるのは、歪んだ行為。
小さな事なら日常にも溢れてる。
正しさを伝えるために相手を詰め始めたり。
それもまた、正しさを証明する事だけしか見ず歪みが生じる行為。
対自分でも、対誰かでも、常に中心で軸を保ちながら過ごすのは、とてもとても難しいね。
でも、ゆらゆらして当然。
ただ、匙を投げずにいること。
それが、お互いのためになるよね。
面倒な事はたくさんあるよね。
健全に生活するためには避けられない。
お風呂に入るのは面倒。
部屋を掃除するのは面倒。
暮らしの中にある色んな手続き面倒。
人に伝えるのも面倒?
幸せって、手放した先にはないのかもしれないね。
手をかけることでしか触れられないのかもしれないね。
やるべきことは、面倒な事多いね。
でも、こなしていくと容易く出来るようになるね。歯磨きみたいに。
紡ぎあっていく一つ一つの作業は面倒だけど、それを続けることでしか形は作られないし、得られない関係性があって、願っているのも求めているのもきっとそういうものだよね。
たぶん…
本当の望みは何だろうね。
必要なことは、なんだろうね。