元恋人と、私を初めて組み敷いた人についての思い出

毎週顔を出していた二丁目も随分と疎遠になった。ワイワイと賑わう人が眩しかった鳥居も、ハロウィン時期限定のパフェが楽しみだったココロカフェも、店子さん仲間とお通しを買いに走った100円ローソンも、最後にいつ行ったのか思い出せないくらい、記憶が遠い。
レズビアンバーの空気は、薄いオレンジの甘ったるい靄が常にかかっているようだ。誰も彼もが上気していて、歩き方がふわふわしている。ここに来る人はきっと、甘い薄いオレンジの靄を吸いにきてるんだな。そう思っていた。テーブルの陰で絡まる細い指と、細い指。女の手は関節が華奢だ。うっすらと脂肪をまとう体は、触れたらずぶずぶと沈み込むようで、どこもかしこも柔らかい。細い指と柔らかな体。組み敷いて、組み敷かれて。

どちらかといえば組み敷く立場だった私が、初めて組み敷かれた人と久しぶりに顔を合わせたのは、たまたまと言えばたまたまで、意図的といえば意図的のタイミングだった。

芳紀まさに22歳の頃。やけに白いのにゴツゴツとした関節がアンバランスの手で、組み敷かれた。どちらかといえば、組み敷いてもらった、という方が正しいと思う。
当時の私は、大切で大事で何よりも愛しかった頭のおかしい浮気性の元恋人と別れて、全てがヤケクソだった。私の理性は限界で、破局の選択を最善だと受け入れていたけれど、気持ちはまだまだテラテラと光って生々しく鼓動を続けていた。
白魚のように滑らかな手にもう一度触れたかった。私があげた、ターコイズブルーのトルコ石が嵌められた指輪は、白い右手の薬指によく映える。別れ際も元恋人の右手になお光っていたトルコ石を思って、音もなく降る11月の雨のように、毎晩さめざめと泣いた。
誰かに受容されたくて、優しくされたかった。もう私は、誰かを甘やかして許して受け入れて、組み敷くことが、2度とできないと思った。そんな時だった。

昔よりも少しだけふっくらした様子を見て、ぼんやりとしていた時の流れに、急にピントが合う。相手の印象が随分変わったことも後押ししたのか、何事もなかったかのように会話をできた自分の神経の図太さに、自分でびっくりした。私もすっかり"芳紀"という言葉が相応しくない年齢になってるわけで。数字にして3年。相手が何も変わらないわけがない。ただ、ほっそりとした白い手にゴツゴツとした関節がアンバランスな事だけは、なんだか変わっていないような気がした。無骨な手に嵌めた大ぶりのシルバーの指輪。こんな事を言うのは未練がましく聞こえるかもしれないけど、やけに艶めかしかった。

帰り道、終電に乗っているのに、頭がさえざえとしている。お酒を一杯しか飲んでないからだ。酸っぱいだけの、ぬるくて薄いレモンサワー。薄手のシャツしか着ていないせいで肌寒かったのも、酔ってない一因かもしれない。帰ったら衣替えをするべきだな。そう思って、聞いている音楽をtofubeatsの『衣替え』に変えようとしたら、手が滑って、『nirvana』をかけてしまう。“薄れていくあの日の君との事”。友達からもらった金木犀の匂いの香水は最初こそ甘ったるくて、鼻の奥で長いことモッタリと存在を主張した。“君と二人 寄り添った日は 遠くにいっちゃったよすっかり”。口パクで歌ってみる。今私を取り巻く空気は心地よくて、金木犀の匂いが冴えた頭をゆるゆると包む。

もし次があるなら、こっそり、あの時のことを謝りたい。意外と高い電車の天井を眺めながらそう思った。

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