オセロ~今どきの入社2年目のぼくたち~
野呂 晴史(のろ はるふみ)の場合
『ヨイショ―!」「ヨイショー!!」
始業10分前になると村山所長の掛け声とともに始まる。天突き体操。
「こんなのやってるの刑務所とうちくらいだよ。」入社当時は嫌で仕方がなかったが、1年もたつと違和感なくできるようになっている。月曜日はそこから、村山所長の指先チェックが入る。
全員、手の平を下にして、胸の前に差し出す。
「お客様に書類を渡すとき、必ず手元に視線が行く。爪の伸びたやつはそれだけで不潔な印象を与える。爪先まで整っていると、それだけで人は「細かなところまで気配りできる人」だと思ってくれる。神は細部に宿るぞ~。みてみろ!今日の晴史の指!お前ネイルサロンでも行ってるのか?」
そのあと、20人中10人が爪を切るこの光景も異常だと思う。
(昨日ネイルサロンで手入れしておいてよかった。)
営業成績が出ないボクは、これ以上怒られないように、村山所長の言いつけは守ろうとしていた。
朝のルーティンが終わり、パソコンに電源を付けると村山所長に呼び出された。
「晴史!このお客さんお前に任せるよ。大抜擢だ喜べ!ここは決まると大きいぞー!後ろに10社ほどひかえてるからな。一つ決まればあとは芋づる式だ。
お前知ってるかな。大月商事だ。今度全社で移転するらしいという話を聞いたんだ。頼んだぞ。」
「大月商事ですか。。。」
知ってるもなにも・・・うちのここ数年の退職者が大月商事の社長とのやり取りに疲弊して辞めていっている。誰も担当したくないお客様だ。
「あの・・・僕で・・・いいんでしょうか・・・」
Noと言えない僕の精一杯の抵抗だった。しかし、村山所長はまじめな顔をして言った。
「任せておけ。俺の秘策を教えてやる。お前はそれを実行すればいい。今月は決算だからな!土日返上で死ぬ気でやるぞ!」
にやりと笑う村山所長に、ボクは力なくうなづいた。
席に戻り契約書を作成しながら、今朝同じ電車に乗った幼馴染の翔(かける)のことを思い出した。
「お前、マジよくやってるよな。完全ブラックじゃん。俺なんか、ほぼリモートワークだから、満員電車に乗る日も少なくなったし。働き方改革万歳って感じだよ。
あっそうそう。実は今度表彰式で北海道に行くんだ。新人賞とっちゃってさ。表彰式のあとは観光旅行できるんだ。マジで今の会社に入って良かったよ。大企業っていいよね。
福利厚生もしっかりしてるし。晴史も転職すれば?」
翔は幼馴染の同級生。親同士が仲がいいので、会う機会も多いがなにかと比較されるので、なるべく会いたくない相手だ。
(転職すればって、簡単によく言うよ。ボクが就活苦労したの知ってるくせに。)
これから始まる大月商事との仕事を思うと、翔との境遇の違いに、ボクはため息しかでなかった。
合田 翔(ごうだ かける)の場合
俺はセキュリティカードを取り出しエレベーターに乗り込む。ガラス張りの街中を見渡せる高層エレベーター内は知らない顔ばかりだった。
満員のエレベータの中で、隣に立つ人からニンニク臭がした。マスクをしていても臭うってどんだけニンニク食ってんだよ。
「ちっ。」っと思わず舌打ちをした。
入社当初からリモートワークが導入されたので、同じ部内の人しか顔もわからない。
もしかしたら、同じ会社の人だったかも。と思うと舌打ちしたことを後悔した。
(やべぇ。社内では気を付けないとな。)
33階のオフィスにも久しぶりに顔をだす。出社時間もフレックス制なので、まだまだ人もまばらだ。
まずは席について、メールをチェックする。
件数はかなり多いが、返信の優先順位をつける。まず何よりも先に返信するのは上司の北上課長だ。クライアントなんて、はっきり言ってどうでもいい。どうせつまらない質問ばかりだ。上司にさえ早く返信しておけば、それだけで「仕事ができる奴だ」という評価がつく。新人賞だって同期が営業回りしているときに、完璧な提案書づくりに精をだした。それが、社内で認められた。社内でどう見えるかがすべてだよ。集中するべきは社内。これが俺が新人賞で学んだことだ。
「おはよう!翔くんっ!」背中をポンと叩かれた。
「おはようございます。」皆本さんは同じ部署で2年上の先輩だ。
長い髪を一つ結びにして、いつもニコニコしている。部署のムードメーカだ。
「ピアス変えたんっすね。」
「わっ。気づいてくれた~!嬉しい。そういうのいえる男子はモテるよっ!」
皆本さんが話すたびに耳元で揺れるピアスに光があたりキラキラと輝いていた。
新人賞の次の俺のターゲットは皆本さんだ。そのためにわざわざ出社してるんだ。この機会は逃さない。俺は皆本さんに向かって、いつも鏡の前で練習している営業スマイルでこういった。
「あっそだ。美味しいイタリアンの店教えてもらったんですよ。一緒にいきません?」
次のターゲットも逃さない。
皆本 祐香(みなもと ゆうか)の場合
酔っぱらうと赤い顔になることを、私はかなり効果的に使った。
「酒に弱い女」が男性は好きだと気づいたのは、新入社員時代だ。
狙った獲物は逃さない。
友達は、私をチーターと呼ぶ。
今狙っているのは二つ下の男。
仕事ができる。いや。できるのはうわべだけ。社内政治のうまい男だ。
でも、私は知っている。こういう男が最終出世する。
強い遺伝子を求めるのは女の性だ。
結婚するならこんな男に限る。今の仕事にも少し飽きたところだった。
もともと大手広告代理店での仕事は、結婚相手探し。将来有望株を探すには、同じ会社の人に限る。仕事ぶりがみれるからだ。
人間性なんてどうでもいい。結果を出す人にコミットしたい。
そもそも、自分の性格の悪さは知っている。
打算的であざといのも戦略だ。でも、女なんてみんなそんなもんだ。
自覚がない女のほうがたちが悪い。
自己分析をして自分の悪さを、強みに変えた方がうまくいく。
生きるってサバイバルだ。のんきにしていたら、搾取されるだけ。
賢く生き残る。そのためには、おなじようなタイプがいいと思っていた。
翔を見てすぐに同じタイプだと気づいた。要領だけいいやつ。新人賞の取り方も私は見ていた。誰にアピールすればいいのかを知っている。戦略として悪くない。
ただ、心配なのは私がやった仕事を引き継いでもらったこと。
これがちゃんと回っているのかが気になる。
これが出来なきゃリストから削除だわ。
「美味しいイタリアンの店教えてもらったんですよ。一緒にいきません?」
翔の誘いをさらっと断った。
まだまだ。もう少し様子をみさせてもらうわよ。
そんな時だった。
私が新たに担当になった、大月商事の打ち合わせの席で、橋爪社長の隣に秘書のように野呂晴史がいた。
ただ、おとなしいだけの男かと思ったが、声がセクシーだった。
資料をわたされる時に目に留まる、その整えられた指先にも惹かれた。
やばいな。これ。
その指に触れたい欲がでてきた。すこし橋爪社長が席をたった隙にこう声を掛けた。
「このあと、少しお時間あればお茶でも行きません?」
晴史は私が考えてきた理想とはかけ離れていた。
でも、フォルムがドンピシャだった。
誠実すぎて出世しなさそう。こういう男は私みたいな女は嫌いなんだよな。
でも、なんだろう。これを一目ぼれというのだろうか。
「私たち、付き合いません?」
自分の率直さに驚いた。落とすまで、練りに練る戦略はどこいった。
「皆本さん?」
驚いた顔も、みているだけでキュンとする。やばい。バグ発生。
「あなたの誠実さと私のあざとさが組み合わさると、これはもう最強のタッグになると思われます。」
やだ。我ながらダサい口説き文句。
晴史は優しい目で笑った。
野呂晴史の場合
村山所長の秘策はこういうものだった。
「いいか晴史。大月商事の橋爪社長はかなりのクセモノだ。ただな。だからこそ、うちに勝ち目がある。みんなが橋爪社長を嫌がっている。どこの業者もだ。
3か月だ。3か月お前の人生を橋爪社長に捧げてみろ。どんな無理難題にもこたえるんだ。
たぶん、見積もりをすぐもってこいだの言われるだろう。いや。そんなことは軽いもんだ。
ゴルフにも誘われる。マージャンも人が足りなければ呼ばれる。飲んでいる途中で迎えに来いという時もあるだろう。大月商事へかかる経費なら使ってもいい。全部やるんだ。
いいか。全部だ。一つでも要求をのむことが出来なかったら、ジエンドだ。わかったか。
プライベートなんてないと思え。最近付き合い始めたって聞いたが、彼女よりも、橋爪社長を優先しろ。たった三か月だ。
やりきれるのはお前しかいないと思っている。わかったな。」
到底できっこない。なぜボクならできるなんて言うのか。ただ、ボクが断れないのをしっているだけだ。村山所長を恨んだ。やりたくなかった。どんなことになるのか怖かった。
案の定、次の日から橋爪社長の無理難題が始まった。勤務時間内ならよかったが、すべて勤務時間外の連絡だった。勤務時間には、別のお客様の案件をこなし、夜は橋爪社長の接待。
飲めない酒も飲んだ。行きたくないキャバクラも同伴した。苦手なカラオケでも、橋爪社長が好きな1980年代から1990年代ソングをマスターした。
最後は決まって学園天国を歌わされた。
よっばらった橋爪社長にマイクで頭を叩かれたこともある。次の日にはたんこぶにもなっていた。
何よりも、飲んだ時の橋爪社長の説教じみた長話が拷問のようだった。眠くてウトウトするとすぐさま頭をはたかれた。
「気合や~!!晴史!!」(父さんにもぶたれたことないのに!!)昭和アニメのセリフが頭に浮かんだ。
地獄のような日々は2か月続いたもちろん休みなし。もう限界だった。ボクは村山所長に泣きついた。
「所長!もう無理です。このままでは精神的に病みそうです。最近夜中に悪夢で目が覚めるんです。」
村山所長はこういった。
「なぜ担当をお前にしたのかわかってるか?お前はここにいる誰よりも、自分を変えたいと思っている。気の弱さをなんとかしたいと言ったことがあるよな。自分の殻を壊すためには、荒療治も必要なんだよ。
橋爪さんは、無茶を言うが、言っていることは筋が通っている。それを嫌々食べるか、すべて吸収して栄養にしてやると前のめりに聞くのかでお前自身に変化が起こる。
これをやりきったら、きっと違うお前になっている。お前が立ち向かいたい相手に、立ち向かえるようになる。あと一か月じゃないか。やってみろ。やりきったあとにしか見えない景色をみてこい。お前ならできる。おれはお前に賭けたんだ。」
期待されたことなんて今まで一度もなかった。いつも翔と比較されバカにされる人生だった。
変わりたかった。こんなに人に期待されたこともなかった。
とにかく3か月だけ。あとすこしだけ頑張ってみよう。
そう思って、今日も大月商事へと向かった。
三か月が過ぎた頃、ボクはいつものように大月商事の橋爪社長に呼び出された。
もちろん、すぐに駆け付けた。
「晴史、今日は契約書持ってきたんか?」
「えっ?」
「なんや。契約欲しくてがんばってたんやろ。」
「いや。その・・・」
「まだまだやなぁ。そういうのは、いつも鞄にいれておくんや。」
「いや。いつも鞄には入ってます!これですが・・・」
「おっ。なんや。もってたんか。やるな。」
橋爪社長は書類を僕の手から奪い、すぐにサインをし、ハンコを押してくれた。
「あっ。あのきちんとご説明をしなくてはいけなくてですね。」
ボクは慌てて声をかけた。
「わはは!ええんや!お前は信用できる。内容なんて二の次や。誰と契約するかが、わしには大事なんや。お前のことは、他のやつにも言ってある。この会社リストのとこ行ってこい。
全部契約とれるはずや。山内工業の社長は、学園天国歌えばええ。丸新産業の社長はお前と行った「たなべ」っていう寿司屋連れていってやれ。抑えるポイントは人それぞれや。一応俺のアドバイスも書いておいた。大事なんは人や。お客さんにどれだけ心尽くせるかや。時代がかわってもそれは変わらへん。お前にはそれがある。嫌々でも、いつも俺のことを気遣ってくれた。タクシーで見送ってくれるときも、いつも俺の姿が見えなくなるまでお辞儀してくれてたもんな。おまえのとこの村山さんええやつ雇ってうらやましいわ。あの人も会社ブラックや言うて、周りにたたかれてもやり方変えへんかったもんな。まぁあの人の勝利でもあるな。よろしく言っておいてや。」
泣きそうになっているボクをみて、橋爪社長は言った。
「でも、まだまだこれからも付き合ってや!じゃないと、わし寂しいやん。」
そういって、笑いながら肩を2回叩いてくれた。
大月商事を出た後、村山所長にすぐに電話をした。
「村山所長。やりました。契約・・・とれました。」
電話口で生まれて初めて、うれし泣きをした。
合田 翔の場合
悪夢に目が覚めた。一週間前に聞いた晴史の言葉は悪夢そのものだった。
いつもの電車のいつもの乗り口にいる晴史に声を掛けた。
「おう。」
「あっ。おはよう。」
「あっ。そうだ。俺父さんから聞いたぞ。お前結婚するんだって?まだ24だぞ?早すぎるだろ。
どこのあばずれに引っ掛かってんだよ。お前ホント貧乏くじ引くの得意だよな。もうちょっとうまく生きろよ。」
「相変わらず口悪いよ。翔くん。」晴史の口調に怒りがにじんでいた。
なんだよ。いつもへらへら笑ってやりすごすのに、今日は言い返してきやがった。
俺はむっとしてさらに追い打ちをかけた。
「どうせ、出会い系サイトで知り合った女だろ?そんなやつは、結婚してもすぐ浮気するって。捨てられて泣くのがおちだって。」
「まぁ急な話ではあるけどね。でも、どんなこともタイミングを逃すなってのは、うちの上司の教えでもあるから。
あっそうだ。彼女翔くんと同じ会社だよ。まぁ大きい会社だから知らないだろうけど。」
「えっ?そうなのか?誰だよ。お前なんかと結婚するもの好きは。名前なんていうんだよ。
まぁ聞いても分からないとおもうけど、教えろよ。探してみてきてやるよ。」
俺は興味本位で軽口をたたいた。
「皆本佑香っていうんだ。」
「えっ?」
俺の心臓の音が大きくなった。
「みなもと?へっ?」
「あれ?翔くんまさかの知り合い?」
そこからどうやって会社に辿り着いたのか記憶がない。
これを聞いてから一週間仕事は手につかなかった。リモートワークでつくづく良かった。
ショックだった。こんなショックを受けたことがなかった。
皆本さんに彼氏がいるならまだしもだ。結婚?それもアイツと??
ありえない!
おれは大きく頭を揺さぶった。
いや。俺が晴史に負けるわけがない。そうだ、俺のアプローチが弱かったんだ。ここからだ。
まだ巻き返せる。奪うんだ。あいつの持っているものはすべて奪ってきた。
小学生の読書感想文でもらった賞も晴史が書いたものを、写して提出した。
あいつはそのあと、自分の書いたものがないと言ってさがしたが、俺がシュレッダーにかけたからあるわけがない。あいつは、もう一度書き直していたが、俺の方が賞をとった。
中学の自由研究も一緒にやろうと声を掛けて一緒にやった。提出するときは、俺の名前だけを書いてだした。あいつは、いつだって俺の腰ぎんちゃくだった。これからだってそうだ。この関係は変わらない。
もう一度皆本さんにアタックする。俺は晴史に負けるわけにはいかない。
そう思うと闘志がわいてきた。戦略を練るのは好きだ。目的さえ決めれば、あとは戦略を立てて実行するだけだ。
久しぶりに仕事をする気分になったので、パソコンを立ち上げてメールをみた。
そうだ。今日がイベントの日だった。おれは昼からの立ち合いになっているので、慌てることはない。皆本さんから引き継いだイベントのチェック事項に目をとおしていくと、背筋が凍った。
「俺がそんなわけ。。。」
今日のイベントで使うはずのシャトルバス10台の手配が抜けていた。
そのシャトルバスがなければ、お客さんは会場に来てもらえない。
完全にミスった。
メールを見返した。何度もバス会社から問い合わせも来ていた。完全に見落としていた。
先週一週間仕事していなかったことが、大きかった。手配時刻を伝えていなかった。
慌ててバス会社に電話をした。
「なんども問い合わせたのに、連絡がなかったのは、そちらのミスだ。当日の対応は無理だ。但し、今回の件はそちらのミスなので、しっかり請求はさせてもらう。」と断られた。
北上課長に連絡しようとしたが、連絡の手がとまった。
新人賞をとった社員がこんな初歩的なミスをするなんて、北上課長の顔にも泥を塗ることになる。
俺が積み上げてきた、社内評価がこんなことで台無しになるなんて。
完全にパニックに陥った。
計画がうまくいかないことなんて今までなかった。
どこで間違ったんだ。
全部晴史のせいだ。あいつが皆本さんと結婚なんて話をするから。
「くそっ!!」部屋の中でクッションを投げながら大きな声で叫んだ。
「あっ。」その時俺はひらめいた。会社に行く準備をし、俺は家をでた。
駅にある公衆電話からイベント会場に一本の電話をいれた。
「爆弾を仕掛けた。今日のイベントは中止にしろ。即刻中止しろ。」
手の震えが止まった。我ながらナイスアイデアだ。
これで大丈夫うまくいく。
だって俺だよ?失敗なんてするわけがない。
エピローグ
晴史はいつもの電車にのった。今日も翔はいない。
「今日もリモートかな。」
今の晴史には翔をうらやむ気持ちはなかった。
「俺にはあの会社があってる。ブラックだって言われても、ボクが変わるには、あの環境が良かった。うるさく言われたことがすべて今を作っているし。」整えられた指先を見ながら、誰にも聞こえない声で晴史はつぶやいた。
ふと、電車の掲示板のニュースに目が留まった。
「今朝、爆破予告をした男が業務威力妨害の容疑で逮捕されました。名前は・・・」