人生最後の「記念旅行」 in 奄美大島
昨年の今頃、奄美大島にいた。
昨年6月に脳腫瘍の再発で亡くなった夫は、昨年の今頃には最後の切り札となる治療薬を使い始めて1年が経過し、歩行も困難になり、そろそろ薬の効果も限界だな、と思えるステージに入っていた。
ただ、幸いなことに、脳腫瘍は考えることや記憶する力を吸い取るので、彼はこの世から旅立つ日が近いことをあまり理解していなかった。
脳腫瘍を知らない周囲の方で「いや、そんなことないよ、きっと分かっていても心配かけないように振舞っているんだよ」と言われる人もいたが、一番接している方々が揃って、「幸いなことにピンときていなさそう」、という位、本当に理解をしていなかったと思う(ある意味、幸せ)。
そんな彼ではあったが、私としてはやはり何か悔いが残らないことをしてあげたいと思い、どこに行きたいか、誰に会いたいか、何をしたいかを何度も聞いて確かめていたのが昨年の今頃だった。
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やりたいこととして旅行が挙げられた。残念ながらコロナで海外は無理だったが、国内の旅行先として、彼は海に行きたがった。
彼が育った地域が海から遠かったことや、大学時代は日本海側の暗くて寒い海側だったこともあってか、太平洋側、明るい海を見たがった。
そんな時、ちょうど春の高校野球の選抜で出場していた奄美大島の高校の特集を目にした。
青い空、広い海。解放感。
「奄美大島行ったことないなー、いいなー、まだ行ったことないんだよね」と言うのを聞き、「じゃあ、行ってみるか」と彼を連れて行くことにした。
これが最後の旅行になるかもしれないと思って、急遽計画した奄美大島旅行。GWは人が多そうだし、GWを超えると梅雨の時期になりそう、ということで、急遽GW前に2泊3日を計画した。
それは、彼と私の誕生日のちょうど間の日程でもあった。
当時の彼はすでに歩行器無しでは歩けなかった。
そのため、奄美大島でのレンタカー手配はもちろん、航空会社にも連絡をして歩行器の利用や、飛行機内でも使える車椅子を手配したり、短期間の間に、仕事の合間にすごく色んなことを調整した旅行だった。
私のパワーはすごかった笑
海が見たいという彼のために、ホテルの部屋も奮発した。
海に近いところでゆっくり過ごせる場所を選んだ。
普段は泊まらない金額だったが、彼の最後の旅行。
彼がさんざん働いて稼いできたお金ではないか。
何をそこでケチるのか。
偶然にも彼と私の誕生日のちょうど間の日程。
これが最後の旅行になるなー。
ついでに、お互いの誕生日も祝うかー。
そんな気持ちで、ホテルの申込書の「今回の旅行の目的(記念日祝い、ハネムーン等)」みたいな欄に若干複雑な想いもしながら「記念旅行」と書いた。
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旅行は素晴らしかった。
飛行場でも、飛行機でも、ホテルでも、色々な人が至れり尽くせりのサポートをしてくれた。
飛行機では、色々と察してくれ、ゆったりとした席や、富士山が見えれば、それを教えてくれた。
トイレ利用時のサポート、機内での記念撮影、直筆の記念メッセージ等、本当に細やか良くしてくれた。
一人で旅行を計画し、ありとあらゆることを想定し、手配し、何とかしてこの旅行を実現しようと神経を使い果たしていた私にしてみたら、一緒に旅行が上手くいくように手伝ってくれた方々の存在は泣ける程嬉しかった。
空港もホテルもしかり。
何をすれば私たちが楽になるのかを考え、細やかなサポートをしてくれた。
特にホテルは、2泊目にはスタッフの方々に伝達があったのか、人が変わっても細やかな対応をしてもらえた。
彼は移動だけで体力をかなり使ったので、殆どホテルで休んで過ごし、あとは希望していた海を車で見に行けた程度だった。
私は彼が寝ている間、ひとりで、これが最後の旅行だなぁと、噛みしめながら過ごしていた。
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そのホテルの2泊目の夕食時。
歩行器を使う彼のために移動しやすい席と、ゆっくりとしか食べられない彼のペースに合わせて、ディナーコースが提供された。
久々のコース料理、しかも地場産のものを使ったコース料理を楽しんだ後。
そのコース料理の最後、デザートのタイミングで予期せぬサプライズがあった。
何と、ホテルの方が「今回のご旅行は記念旅行と伺ったので」と、
「Happy Anniversary」
と書かれた線香花火付きのデザートプレートが出されたのだ。
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確かに、ホテル予約時に「記念旅行」とは書いた。
でもそれは、彼の人生最後の旅行という意味での記念旅行で、複雑な気持ちで書いたものだった。
目の前におかれたハートマーク付きの「Happy Anniversary」プレートを見て、ホテル側の粋な計らいに嬉しい反面、めちゃくちゃ複雑な気持ちになった。
記念日って、本来そういうHappyなものよね。
でも、そういう意味じゃないんだよなー、って。
「ちょうど彼と私の誕生日の間の時期なんです~。嬉しい!」なんて言いながら、記念写真を撮り、美味しいデザートを頂いた。
彼は自分の人生が終わりを迎えるなんて意識は全く、純粋に誕生日を祝ってもらえてると思っている。
ホテル側もまさか、そんな事情があるとは思っていない。
私一人が、すべての事実を知っている。
その複雑さに涙を押さえられなかった。
記念旅行を本当にステキな記念旅行にしてくれてありがとう。
粋な計らいをありがとう。これは一生忘れられない。
でもね、そういうHappyな記念旅行ではないんだよ。
彼の人生最後の旅行なんだよ。
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頑張って、盛り上げながらデザートを頂き(あ、本当に美味しかった)、でもどうにもこうにも自分一人では感情を押さえられなくなりトイレに行った。
瞬間風速的にめちゃくちゃ泣いた。
そして、トイレの帰り、スタッフの人が夫をみてくれていることを確認して、レストランにあった海が見えるベランダに出た(真っ暗だったけど)。
2日目にして顔見知りになった年配のスタッフの方に、「実は記念旅行の意味は・・・」と伝え、またちょっと泣いた。
今もプロだなーと思うのだが、その年配スタッフの方は、私の告白を聞いても動じることなく「そういうことだったのですね」と受け止めてくれた。
本当の意味での記念旅行としてくれたことに心底感謝した。
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1年後の今日。
本当にあれが最後の旅行だった
彼はお骨になり、未だに家にいる。
私は就職し、仕事をしている。
そして、相続税の手続きや支払い方法等を一括してお任せしていた税理士さんから、一連の作業が完了したことを受けて、本日仰々しいくらい立派な「相続税申告書」のファイルが送られてきたのを受け取った。
何なんだろう、この気持ち。
色んなことはあれど、時計の針は進むし、人も変化する、ってとこかしら。
あとちょっとしたら1周忌になる。早いもんだな。
ね、あの旅行、楽しかったよね。
今、色々私も頑張ってるよね。
ほめてよね(笑)