無題-2
私は保育園に通っていた。
山から近く、園庭の真ん中にイチョウの木がそびえる自然豊かな保育園だった。
当時の記憶はほぼ思い出せないが、いくつか心に刻み込まれた記憶はある。
その園では給食がある。農業が盛んな地域性か、白米は各自持参して来ることになっていた。給食ではおかずのみを提供してくれるのだ。
しかし当時の不思議なルールとして、時間内に完食できなかった時、完食できるまでいつまでもテーブルに座らされるのだ。
今ならば、飯くらい自由に食わせろだの、子供の権利を侵害しているだのと主張するだろうが、当時の私はそんな言葉も論理的思考力も当然持ち合わせていなかった。
ご飯のあとはお昼寝休憩の時間なので、食べるのが遅い園生はみんなが寝ている中も食べ続けるのだ。苦手な野菜があっても、体調が悪くても。私も食べるのが遅い中の一人だった。
そんなある日私はまたしても給食を時間内に食べられず、居残りさせられていた。デザートはスイカだった。ようやく完食すると、先生が近づいてきて私の皿の上にもうひとつスイカをのせた。
しかし、そのスイカは明らかに赤黒く変色しており、悪くなっていた。
先生もそれが見えていないはずがない。置かれたスイカを食べない私に先生は「なんで食べないの?大好きなスイカでしょ?食べなさいよ」と威圧してきた。
私はひとくち齧った。しかし、予想通り、嫌な味が口に拡がった。
私は「せんせい、これ、おかしくなってる」と拙いながら言葉を絞り出し、食べることを拒否した。
しかし、先生は何も言わずどこかに行ってしまった。10分ほど経過した後、しぶしぶ先生がスイカをボウルに戻し、そのボウルを私に手渡した。
「すみませんでしたって給食の先生に謝りなさいよ」
と言い残し、私ひとりで給食室へ下膳しに行かされた。
ようやく開放され、昼寝をするために布団に入ると、先生は私の隣に添い寝した。
その瞬間、耳に激痛が走った。
先生が、私の背中側に耳を引っ張っているのだ。
その時、何か言われていた気がするがよく覚えていない。覚えているのは、私は痛みに耐えて声をあげなかったことと、お昼寝休憩の時間ずっとそれが続いたことだけである。
その先生はその後も、意図的に私を仲間外れにしたり、お遊戯会のダンスの練習をしている時に私を突き飛ばしたりした。
だが、私は泣かなかった。強い意志があるという訳では無い。罰を受けるということは、自分が悪い人間であると、自分で結論づけたからだ。当時はまだ罪悪感や、恥といった感情は希薄であり、論理的に物事を結論づけることができない。
それ故に、他人から暴力を受けることが当然であり、私の感情を他人へ伝える事は困難であると思い込んでいた。
私は6才にして、心の平衡感覚を失いかけていた。