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5. 天は長く地は久し            (てんはながくちはひさし)


自分に固執しない


この章で老子は、天は永遠で、地は久遠であるからこそずっとそこにい続けられるんだよ、と説いています。

それを人の生きる「道」とたとえ、無心で見返りを求めない事。勝ち続けようとか、我が我がと自分にこだわることがなく、自然態でいることが道を造り、長生きができるんだとおっしゃっています。

しかし私は未だに学生時代の名残があり、人より何か劣っていると、そのことばかりが気になって、修正しようとか、自分を変えようとか思って力んでしまいます。

しかし、頑張って修正しようとすればするほど、違う自分を演じているような気がして、空しくなったり、慣れない事をするために疲れたり、ストレスで体調不良になったりしていました。

特にダメだったのが、「良い人になろうとすること」と、「人に好かれようとすること」でした。

介護福祉士だった私は、一生懸命に利用者様の人の事を理解しようとしました。しかしすればするほど、利用者様のことがわからなくなったり、自分の脳内が混乱していきました。

またプライベートでも、人の理解をしようとすればするほど逆に人が離れて行った感じはあります。むしろ嫌われていったんじゃないかと思います。当時そんなこともわからなかった未熟な私は、「人を変えよう」とか、「人の役に立とう」とか、とても自分の力に及ばない難しい事ばかりやろうとしていたんですね。

そして未熟な頃の自分と言えば、例えば、相対的に何か自分が優れていると思い違うこともありました。

しかし人はそう思わなかったり、ましてや他人が自分の事なんかに関心を持ってくれることなどない事に気づくと、そんなちっぽけな虚栄心のために余計に虚しさが増していきました。

有名なたとえ話では、貧しかったある人が苦労して金銭的に成功を治めて、自分へのご褒美として若い頃からの念願のヨットを購入したところ、もっと大きなヨットが自分のヨットの隣に置いてあったことに愕然としてしまい、それ以後、一切そのヨットに関心を持てなくなったという話があります。

そういった訳で、人と比較することや競争とは私利私欲の賜物であり、きりがなく、我が生命にばかりこだわると敵が増え、命を縮めるいうことでもあります。

力まず、自然態で生きる。老子の思想はこの「自然態」が常にキーワードとなっています。

物理的にも、心理的にもこの「自然態」こそが人間のあるがままの姿なのです。

ただ今日を精一杯生きているだけで十分なのです。


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