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50代 偏屈な私にはクリスマスは来ない話
毎日が幸せであればそれで良い
今年もクリスマスが終わった。
今年は一人だった。
普通に仕事に行った。
大変だったけど充実していた。
一日を健康に無事に終えられたことを、
心から嬉しく思う。
一人のクリスマスは、
ケーキも買わないし、
シャンパンも買わない。
飲み物はお茶で十分だ。
夜はできるだけ内臓はお休みさせたい年頃だ。
しかしそれがみじめでもなければ寂しくもない。
なんだか快適だ。
素の自分のまま、
一人の時間を静かに過ごせる事は一つの幸せだ。
幼い頃、クリスマスをやりたかった私は、
母にねだってみると、
「うちはクリスチャンじゃない!」と一掃され、
食卓にケーキなんかが出た事は一度もない。
ついでに誕生日は、
「そんな祝う金がどこにある!」と、
祝ってもらった試しがない。
そんな環境で育った私は、
世間がキラキラしている時も、
自分にとっては普通の日だと思ってしまっている伏がある。
その世間と自分の文化のズレを、
受け入れる事ができるまでには、
時間がかかったが。
50代とはそんな年代だと感じるし、
それを受け入れられることがとても心地よい。
そういえば若い頃、
ディスコと言って、
今で言う、クラブみたいなところがあった。
そこでは髪の長いお姉さんたちが、
ボディコンという格好で、
お立ち台という高いところに立って踊っていた。
そしてそれを下から覗いている男性たちがいたような。
その男性たちは、
「アッシーメッシーみつぐ君」とか言われていて、
そんな女性たちの足になり、
せっせと食事に連れて行き、
高価なプレゼントを貢いでいた。
私と言えば、
そのような場所に行ったことは一度もなく、
足になってもらったり、
プレゼントをもらったりしたことも一度もない。
そして当時の女性の髪型は、
ワンレングスという髪型が主流だった。
そうそう、ソバージュというパーマも流行っていた。
そして、前髪をくるっと立たせていた女性が大勢いた。
思い出すのは、
今井美樹さんとか、ダブル浅野とか。
そう言えば、
友人の家に泊まりに行くと、
前の晩にいつも前髪にカーラーを巻いて寝ていたっけ。
ところが私はそんな事はやったことがない。
あ、正確には一、二度はやったかもしれないが…。
どうも性に合わない。
そしてショートカットが好きだった私は、
長い間ショートカットを貫いていた。
しかしロングヘア―主流の昭和時代。
その中でショートカットの女性は少数派だった。
そんなある時、
どこで言われたかはもう忘れてしまったが、
30代くらいの大人の男性に、
「髪が長くない女は女じゃない」と言われたことがあった。
まだ10代だった私は、
深く傷ついたと共に、
その男性に対して、
見解が浅いというか、
物事を表面的にしか捉えていないのではないかと、
深く失望し、
ついでにその言葉が深く記憶に残った。
それがどこの誰だかはすっかり忘れてしまったのだけど。
そしてその時、ハッと気づいた。
もしかしたら私は、
ショートカットが好きという以上に、
「みんな同じ」という文化に抗いたかったのではないか、という事に。
そんな私はかなり偏屈な子供だったと思う。
それはアッシーメッシーとかできないわけだ(笑)。
そしてほんのちょっとだけ、
そんな浮足立った昭和を、
子供なりに直感的に感じ取っていた。
「大人たち大丈夫かな」と。
その数年後、
バブル経済は崩壊していった。
lineスタンプを送ったけれど
クリスマスに息子からlineが来たので、
メリークリスマスのスタンプを辛うじて送った。
しかし、本心からそのスタンプを送ってはいない。
私は嘘をついている。
50代になってようやくわかった私の本心は、
世間がクリスマスだからとか、
ハロウィンとかもそうかもしれないけど、
私にとってはどんな一日も、
いつでも大切だということだ。
今日生きていることがただ幸せなのだ。
明日から6連勤、始まりますが(笑)
※あ、お正月はお餅食べま~す(笑)
それでは皆さんの一日が素晴らしい一日でありますように🍀
(※クリスマスの素敵な思い出をたくさん作った方々や、人生の様々なイベントを大切にされている方々など、この話をあまり良く思われなかった方には、申し訳ありません。)