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50代 「ありがとう」のすすめ


皆さん、おはようございます。

今日は「50代 ありがとうのすすめ」というテーマで綴ってみたいと思います。

私の育った家庭というのは、

常に母がいら立っていて情緒不安定。

家の中も暗く、汚く、カオスな状況でした。

そんな中で、

母から「ありがとう」と言われたことがほぼ一度もなかったな、

と思い返していました。


戦後生まれの団塊の世代を親に持つ

アラフィフの方々の中には、

そんな方々も多いと推測されます。


そんな中、

私の幼少期から成長期で、

家庭内でほとんど言われたことがなかった言葉、

それがこの「ありがとう」でした。

ですから大人になってからも、

使い方が良くわからない言葉だったように思います。


カオスな家庭環境の中、

自分の感情が麻痺し、

自分の心がわからないという状態だったかもしれません。


そのような環境の中、

人を恐れ、

人の顔色を見ながら生きてしまった私。

それは自分の人生を、

自分軸がなく生きてしまった証拠でもあります。


それが、このように文章に起こしてみるとものすごくわかってきました。


書くって大事
ですね。

書くと自分が見えてくる

書くとは自分と向き合う事なんですね。




多くの助けがあって感じた「ありがとう」




しかし、育った環境がどうであれ、

社会に出ればそんな事も言ってはいられません。

そしてそんな不器用な自分は、

様々な人生経験の中で、

様々な人に助けられ生きてきました。



そして一人では何にもできない事を痛感したことで、

沸き上がる感謝の気持ち

それが「ありがとう」だと、

やっとわかって来たのです。

それはほとんどが、

血縁のない他者からもたらされたものでした。




有難うとは
元々「有難う」とは仏教の教えのようです。「有る」+「難し」が組み合わさった言葉で、「有ることが難しい」という意味です。人間として生まれた事や、人に何かをしてもらえるという事が非常に稀であるという考えからきています。



自律神経が乱れやすい私は、

寒暖差がとても苦手です。


そんな中である日、

農業体験をすることになった私は、

ハウスの中の熱に意識がもうろうとし、

命の危機を感じました。

そしてこの経験を通して、

農家さんがこんなに大変なことを、

命がけで一年中やってくださっていることに気づき、


そのおかげで、

私たちはいつでもスーパーに行けば、

何不自由なく買い物ができるのだとわかり、


農家さんに対し、深い感謝の気持ちが湧いたのです。

それは自らの体と心で経験して、

初めてわかったことでした。


そのような苦行の中に沸き上がる他者への感謝

これが「ありがとう」なのです。




50代になってやっとありがとうを使えるようになってきた




この「ありがとう」という言葉、

遅ればせながら職場や家族でも、

やっと少しづつ使えるようになってきました。

私はこれまでは本来ありがとうを言う場面で、

「すみません」と言ってきたように思います。

それは自分を卑下して生きてきたからでしょう。


ですが50代に入り、

人生も折り返し地点を過ぎた今、

「すみません」からは何も生まれない事も理解できました。


自分のためにも人のためにもあまり役に立たない、

「すみません」

「ありがとう」に変換し、

様々な方々のおかげで生かされていることに、

心からの感謝の気持ちを持って、

日々生きて生きたいと思います。


そしてアラフィフの皆さんで、

「ありがとう」に慣れない方も、

日常の中で、

頭の片隅に「ありがとう」をちょこっとだけでも置いてもらえると、

私も嬉しく思います。


このお話が皆さんのお役に少しでもたてたら嬉しく思います。



それでは皆さんの一日が素晴らしい一日でありますように🍀













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