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50代 自分の話を聴いてくれる人がいたらそれは奇跡



皆さん、こんにちは。

今日は、「自分の話を聴いてくれる人がいたらそれは奇跡」というテーマで綴ってみたいと思います。


皆さんの身近な人間関係の中で、


いつもこの人、

自分の話を聴いてくれていい人!

この人と話すると気持ちいい!


と感じる人はいませんか?

もしそうだとしたら、


それは奇跡的な事だと思ったほうが良いでしょう。


しかし人の話を聴くって、

難易度が高いと思いませんか?


相手に目線を合わせ、

じっと耳を傾け、

合間合間に相槌を入れ、

否定も肯定もすることなく聴き、

うなづき共感する。


この時点で、

聴く側の人って、

実は自分の事を後回しにしてでも、

頑張って聴いてくれている感じが、

何となくわかりませんか?


そこに利害関係がある場合は

今はちょっと置いといて…。


そうじゃない場合、

話しを聴いてもらえるということは、

奇跡的な事かもしれません。



話を聴いてくれる人に感謝の気持ちを



人の話を聴くことが自然とできる人って、

ものすごい高い傾聴スキル

自然と身についていると言っても

過言ではないと思います。


それはきっとその人が、

日常の中で聴くことを何度も何度も学習してきた

訓練の賜物だと思います。


その人は訓練していると思っていないかもしれません。

しかし、傾聴はスポーツなどと同じで、

何度も何度も訓練しないとできないはずなのです。

一朝一夕にはいかないはずなのです。


なぜなら、

ほとんどの人は、

自分の話をしたいからです。


すなわち、人の話をちゃんと聴くという事は、

ある程度の我慢が必要であり、

聴ける人は少数派であるという事なのです。



自分の話をして欲求を満たすという事は…



自分の話をしたいという事は、

自分の欲求を満たしたいという事ですね。


という事は聴くという事は、

逆にある程度欲求を抑えないとできないという事かもしれません。


欲求を抑えながら相手の話を聴くという事は、

相手の好きな食べ物を、

相手のペースに合わせて食べて、

相手の喜ぶ顔を見て自分も一緒に喜んであげる、


そんなイメージだからです。



傾聴し過ぎて自分を犠牲にしない




でもその傾聴のさじ加減はなかなか難しく、

ついつい、相手にアドバイスをしたり、

余計な一言を言ってしまったり、


自分を抑えながら人の話を聴くことが、

いかに大変かは、

私達みんな経験済みだと思います。



ですので、逆に考えれば、

じっと話を聴いてくれる人がいた場合、

それは奇跡的な事と言えるでしょう。


そしてそれに気づかず、

ベラベラと一方的に話している場合、

その人の時間を奪っている可能性すらあります。



自分の話ばかりで相手の話を聴かないと老害になりかねない



人生の折り返し地点を過ぎた、

私達アラフィフ世代。


若い時期に、

おしゃれもできず、

家族のお世話ばかりで、

仕事もしなければならなかった。

自分の時間なんてまるでなかった。

辛かった、大変だった。

そんな事を誰かに聞いてもらいたい

そんな気持ちになることでしょう。


しかしそんな時こそ、

そんな自分自身の気持ちを自分で大切にし

周囲の人の事も気にかけてみるのです。



年齢を重ねれば重ねるほど、

段々と人に合わせられなくなり、

過去に固執したり、

心身共に固くなってくるのは紛れもない事実です。

気付けば、同じ話ばかりしていることもあるでしょう。


しかしそんな時こそ、

自分自身を客観視したいものです。


そしてもし今、

そんな自分の話を聴いてくれる人がいたとしたら、

心から感謝すべきでしょう。


周囲に感謝し、謙虚な気持ちを持ち続ける

それこそが老害にならないたった一つの道だとも言えるでしょう。





このお話が皆さんのお役に少しでも立てたら、嬉しく思います。
そしてこの話は、自分自身へのメッセージでもあります。


それでは皆さんの一日が素晴らしい一日でありますように🍀







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