藤井風に1ミリも心が動かない人って?
こんにちは。
藤井風を知ってから脳内それ以外受付停止してるメメリーヌありさです。
藤井風の感動を分かち合いたい
さて、藤井風を知ったエピソードと
藤井風そのものの感動を誰かと分かち合いたくて、
ほぼ毎日LINEで深い話をしている同世代の友人2人に訊いてみた。
1人は建築家のE、もう1人はハワイ在住の不動産関係のY。
「ねえねえ、藤井風って知ってる?私は一瞬で心を奪われたけど、どう思う?」と「満ちていく」の動画も添えて訊いてみました。
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う〜ん、何度聴いても泣けますね。
テーマは多分すごく大きい意味での「愛」でしょう。
言霊の波動が声に乗ってまさに
風になって私の方へふわっと吹いてくるような。。。
ところが!
藤井風に1ミリも心が動かない人登場
Eの返事は「1ミリも心が動かない」。
Yの返事は「嫌いではない。もし誰かにチケットあるけど行かない?って言われたら行くかも」。
うわ!この、私と彼女たちとの違い、つまり藤井風にハマる人とそうでない人の違いって、何なんw?と気になってきたのでした。
で、周囲の友人たちに片っ端から「藤井風どう思う?」を訊いてみた。
結果、私が思ったことは以下に。
結論
藤井風に1ミリも心が動かない人とは、一言でいうと
「迷いがなく安定した人」。
これはほんと主観でしかないけど。
どういうことかというと、
藤井風にさほど心が動かないという私の友人・知人たちは、それぞれ実業界でそれなりのポジションにいて、自分の力を発揮して活躍していて、日々迫られる重要な選択に迷わず適切な判断ができる人たちだったのです。
もちろん、アートや芸術へのセンスも当然持ち合わせてるけど、
それはそれ、これはこれとそこまで立ち止まらない感じがします。
それに対して藤井風に心奪われる(私みたいな)人は、まだ何者かになりきれず、迷いや葛藤を抱えながら足元の小さいもの・ささやかなできごとに心が揺れている人なのではないだろうか。
たとえば刺身に添えられた、食べられることもなく捨てられる菊の運命に切なさを感じてしまうとか?私、昨日そう思ったんですよねえ。スーパーで買ってきた寿司パックの菊を見て。
私はこんなに魅力を語れるのに
藤井風は小さくてささやかなことを慈しむ眼差しで世界を見ていて、
それを、音と言霊に乗せて世界中誰もが共感する世界観で魅せてくれる人。
子どものように、感じるままに、全身音楽とひとつになって、
喜びや切なさやをカラダいっぱいで私たちに届けてくれるではないですか。
魂も体も心もありのままで美しい類まれな天才(としか思えません!)。
いつまでもこのまま伸びやかでいて欲しい、この純粋さをお守りくださいと言う親みたいな心と、そういう子どもでありたかったなあ、という憧憬がないまぜになって、うるうるするわけなのです。
それに1ミリも心が動かないって・・・
自分が好きな人たちが私の好きに心が動かないのは
なんだか寂しかった。
だけど、まあ、人それぞれ。
藤井風にハマる友達
一方、私と同じ年で小学校の時すごく仲良かったMちゃん。Mちゃんとは中1で私が引っ越した後、連絡も途絶えていたけど、最近になってSNSを通して付き合いが復活した間柄。
Mちゃんはyoutubeでほんとに初期の頃に藤井風を見つけたそうだ。それからずっと追っているって。
Mちゃんが藤井風に感じる気持ちは私と共通してる。
あんな自由でのびのびと子ども時代を過ごしたかったなと羨ましく思う気持ちと、親の視点で純粋なまま世界に通用する才能を開花させて、と感動する2つの気持ち。
「すごいよね〜😍」「寝そべり配信私リアルタイムで観てたよ」「そんなやり方よく考えついてやれるよね、自由だよね〜」なんて盛り上がってしまった。
彼女はここ何年か、ずっと気持ちがモヤモヤしてたらしい。日常で特別悩みごとはないけれど、私、このままフツーに年取って、死んでいくのかなあ、って。つまり戸惑う人なのです。
と言う訳で。
再び結論
藤井風に1ミリも心が動かない人とはどんな人かと言うと、
大人で、迷いがない人である(言い切る💦)
多分だけど、私やMちゃんがいまだに心囚われてしまうような小さきことを、とうの昔に卒業してしまってるのかもしれない人。
私やMちゃんは、モヤモヤする気持ちも実は愛おしいものとして
大切に扱いたい人。
どっちがいいとか進んでるとかそういうのではなくて
何が好きだと自分が「今」幸せを感じるかってことが大事かなと。
あなたはどちらのタイプでしょうか?