おじちゃん、さようなら。

昨日の朝、おじちゃんが天に召された。86歳だった。

おじちゃんの肺に癌が見つかったのは2年前。高齢のため切除は断念するも、放射線治療が奏功。一時は寛解したかと期待したが、1年後に副腎とリンパ節への転移が見つかり、一気にステージIVへ。主治医から「あと1年は難しい」と告げられた。それでも何かできないかと、提案された新しい分子標的薬を試してみたが、副作用が強く出て投薬中止。治療の手がなくなり、緩和ケア病棟を持つ病院を紹介されたのが3ヶ月前。それでも自宅での生活は引き続きできていた。薬を止めるとすぐに食欲も気力も回復し、もしかしてこのまま落ち着くのでは、と淡い期待もした。

しかし現実は厳しく、少しずつ調子を崩すおじちゃん。ちょうど1ヶ月前には、初めて夫婦で家を訪ねて楽しく会話し、帰りは車で街まで送ってもらったのに、2週間後には呼吸困難となり夜中に救急搬送。病院では積極的な治療はも行わず、酸素とモルヒネと鎮静剤だけで過ごし、わずか2週間の入院生活だった。

癌という病気はギリギリまで通常の生活ができると聞いていたが、本当にその通りだった。転移の痛みはおそらく相当なものだったと思うが、それを口に出さなかったのは、できるだけ長く自宅で過ごしたかったからだろう。

先週末帰省して病室でおじちゃんに面会できた。県外からの来訪者も特別に受け入れてくださった。会話はできなかったが、呼びかけには応えてくれた。耳元で感謝を伝えたが、聞こえただろうか。亡くなる前に会えてよかった。お通夜と告別式が土日になり、仕事に穴を開けずに参列させてもらえたのは、自分たちに最期まで気を遣ってくれたのかもしれない。

脚に障害を持つおばちゃんを看取るのが最大の目標だったおじちゃん。そのために酒もタバコもやめ、毎日の運動と定期検診を怠らなかったのに、おばちゃんを置いて先に旅立つことになり、さぞかし無念だろう。

おじちゃんの存在は自分にとって本当に大きかった。もしおじちゃんがいなかったら、生き延びていなかったかもしれない。おじちゃん夫婦には子供がいなかったこともあり、自分と妹を我が子のように可愛がってくれた。酒乱でDVをやめられない父親から、自分たち二人を無言で守ってくれていたのだろうとも思う。

おじちゃん、本当に本当にありがとう。おじちゃんのおかげで、自分は今生きています。自分がそっちに行くのはもう少し先になりそうだけど、それまで待っててくださいね。おばちゃんは母と妹と3人で守りますから、安心してお眠りください。おつかれさまでした。

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