第二次世界大戦末期の遺産、陶器製手榴弾を取りに行った話
夜中にLINEが鳴る
A野「あのさ、手榴弾欲しく無い?」
久しぶりのLINEの話題それ!?何?どうゆう事!?
詳しく聞きながら調べて見ると終戦後、埼玉県のびん沼川周辺に大量に火薬を入れる前の陶器製の手榴弾が遺棄されてるとの事。
Googleの画像欄を見てびっくり。
いや、捨てすぎ!!!
一面遺棄された手榴弾で埋め尽くされてた。
面白そうなので二つ返事で行くといい日程を決めた。
狙うのはただ一つ「割れてない完品の手榴弾」
何故手榴弾が陶器製なのか
それは第二次世界大戦末期、あらゆる物資が不足してる中、鉄も例外じゃ無く金属製品の供出を行うほどだった国内情勢の中で苦肉の策として陶器製の手榴弾が考案されたらしい。
セトモノの生産が盛んだった地域で量産されるようになったそう。
この手榴弾有田焼きなん!?
有田焼きって言葉しか知らないので物の価値の分別は無いけどお宝ぽいので割れてない完品を探そうと息巻いてた。
友人を更に1人を召喚し、3人で埼玉の川越に向かう。
いや、めっちゃ近い。ちっか。マジで?
都心から30分で着くやん。ほんまに!?
なんやかんや昼前に着き、捜索開始!!!
時期的に川は水が結構張ってたので河川敷をひたすら掘る。マジで破片これでもかってほど出る。
え!?完品!?割れてない奴来たんちゃう!?
みたいなの掘ったら大体割れてる。なんやねん。
諦めかけたその時
コロンッ…え、これって…
で、出たーー!!!!うおおお!出たぞーー!!
マジで出た!!すげぇ!!!って皆んなで大喜び。
そして目的は果たしたのでそれぞれの戦利品を近所の公園で綺麗にする作業へ
泥を落としながら釉薬処理された物、産地の印が入った物、それぞれの破片の個性を議論しながら帰路へ
完品は掘り出した僕が貰いました。
80年前の遺物。
人を殺める目的で作られた手榴弾。
今では僕の生活を彩る一輪挿しとして第二の役割を果たしてくれてます。
いいね!!!
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