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「自分に自信のない人ほど他人の悪口を言う」のはこの世の真理~大人になった今だからこそわかること~

#エッセイ #体験談 #マウンティング女子 #自分に自信のない人 #悪口はコンプレックスの裏返し #酸っぱいブドウ

以前から、ネットで学校やママ友間での、主に女性同士でのマウンティングに関する体験談や悩み相談の記事を読むと、必ず「自分に自信のない人ほど他人の悪口を言う」という一文を見つける。

私は長らくこの一文に疑問を感じていた。個人的な経験上、これまで出会った他人の悪口を言う人ほど、優秀な人が多かったからだ。学生時代なら成績優秀かつ運動神経抜群、発言力があったりカースト上位者だったり、社会人になってからは仕事の出来る人、ほとんどがそういう人達ばかりだった。

私は自己否定感の塊のような人間=極めて自分に自信のない人間である。だが基本的に他人の悪口は言わない。それは決して私が出来た人間だからではなく、

『自分は誰よりも劣っている存在だから他人の悪口など言える立場ではない』

という卑屈な考えからである。

だから前述のように、学校や職場で表立って他人の悪口を言えるのは優秀な人々の特権なのだと思っていた。優れているからこそ劣っている人をバカに出来るし、して良いものなのだ、と。しかし、ごく最近になってそれは大きな間違いだと気づいた。どんなに優秀であろうがなかろうが他人の悪口ばかり言う人は、誰も確固たる自信を持っていない。

【①中学時代のクラスメートAさんの場合】

中学生なんて、人間としてはまだまだ精神的に未熟なものだから、当時の彼女の言動は一方的に悪くはいえないし、責められない。彼女とは中学卒業以来一度も会っていないし、今どこでどうしているかも知らない。大人になった今、当時の言動は彼女の中では黒歴史になっている可能性もある。

ーーAさんはクラスの中心人物で、明るく社交的なカースト上位者。そして成績優秀、運動神経抜群、女子の中ではいちばん背が高く、さらに細くてスタイルもよかった。流行に敏感で私服は常にブランド物を身に着けているという、勉強も運動もダメで、当時からチビ・デブ・ブスの三重苦を抱えている私からすれば、非の打ち所のない、うらやましい人だった。

しかしこのAさん、口を開けば他人ーー相手は女限定だったがーーの悪口ばかりだった。要約すると、

「自分よりモテる」「自分より胸が大きい」女はすべて、親しい友人を除けば全員敵視し、それは同級生に限らず、芸能人も然り。

自分よりモテる女子は「男に媚びてるぶりっ子」自分より胸が大きい女子は「デブ」と認識し、女性芸能人はほぼ全員、「あいつ対して可愛くないじゃん」「あいつ胸がデカいだけじゃん」と、悪口三昧だった。

成績優秀、運動神経抜群、明るく社交的で長身かつスレンダーでスタイルもよいのに、いったい何が不満なのだろうか? と、彼女が他の女子、女性芸能人の悪口を言うたび、私は不思議で仕方なかった。                  Aさんは美人でも可愛いタイプでもなかったが、絶対にブスではなかった。顔立ちはごく普通。そしてクラスの男子とは誰とでもフレンドリーに話せるが、誰とでも気軽に話せるが故に、異性として意識されていなかった。

早い話が、モテなかった。悪口ばかりの陰湿さがある一方、フランクな人でもあったので、いい意味で男子達から女扱いされていなかったのである。そして残念ながら彼女は細身な分、クラスで1、2を争う貧乳だった。

今にして思えば、彼女は自分より女性として魅力のある女全般に嫉妬していたのだ。    成績優秀、運動神経抜群、社交的で明るく、長身でスレンダーという、端から見れば確固たる自信を持つに値する長所をいくつも兼ね備えながら、それらの長所に自分の存在価値を見出せず、恐らく当時のAさんはそれらの優れた素質より何より、「モテる巨乳」であることが、女性として最大のステータスであるという価値観に囚われていたのではないか。ズバリ、

「モテない貧乳」

である自分に強いコンプレックスを感じていたのだろう。「悪口はコンプレックスの裏返し」とはまさにこのことだ。          彼女にとっての「酸っぱいブドウ」(=欲しくても手に入れられないものは悪いものと見なす)はモテる女子はぶりっ子、巨乳はデブ、という言い換えだったのか。それは本人しかわからないことだがーー。

【②中学から高校卒業後も付き合いのあった友人Bの場合】

中学時代から付き合いのあった友人Bは、とにかくプライドの高い人だった。そして彼女もまた、Aさんとは異なる意味で悪口ばかりの人だった。ただし、彼女の場合は悪口というより悪意の強い毒舌という感じというかーーとにかく、自分の価値感に合わないものは徹底的にけなす。私の読んでいる漫画や小説、聴いている音楽すべてにケチをつけられた。今となっては何でそんな輩と付き合い続けていたのかとしか思えないが、彼女は誰に対してもそんな調子でしか接しないので、友人が出来てもすぐに離れて行く。そして彼女は口癖のようにいうのだ。

「私は友達運がない。私と友達になった人はみんな私を裏切って離れて行く」

と。それは裏切ったのではなく、彼女の極度の自己中さに嫌気が差して離れて行くのが真相なのだが、彼女は自分に非があるとはこれっぽっちも思っていなかった。そして離れて行った元友人達の悪口を聞かされるのだ。

私が彼女と離れられなかったのはこの部分が大きい。情けない話だが、Bさんと離れてしまうと、私もその「裏切った友達」の仲間入りをし、自分も悪口の対象になるということを恐れていたからだ。

Bさんは高校入学と同時に、シャネラーになった。高校生でシャネルってさぁ……とは思うが、自分で稼いだバイト代から出して買うなら何も問題はないが、彼女の高校はバイト禁止、購入金はすべて親持ちだった。この金銭感覚の違いから、私は次第に彼女に違和感を覚え出した。

彼女は学校で、シャネルのポーチやその他の小物を使っていた。最高級ブランドを身につけることでしか、自分に自信を持てなかったのだろう。誤解のないようにいうと、高級なブランド品を持つことが悪いといっているのではない。自分が持っているブランド物のレベル=自分の人としてのレベルに相当する、としか考えられない、その価値観に違和感があるのだ。

高校入学の際、私は彼女から当時のJKの必須アイテムだったポケベルを持とうと提案されたが、我が家の教育方針ではOKは出なかった。それは決して理不尽なものではなかったし、私自身納得の行く理由だった。その旨を彼女に伝えたところ、Bさんは激怒した。もう少し親に自己主張をしろ、そんな調子ではこれからずっと親の言いなりになるよ、と。

Bさんはその件以外にも私に自分と同じ行動を取るよう強制することが多かったが、それらの言動はやはり自分に自信がなかったからだろう。やっと出来た、長く付き合えそうな友人を失いたくない、自分には人望がないという、自信のなさ。私がポケベルを持てないといったことに対して悪口を言ったのは、その現れだったのだと思う。常にモバイル機器で繋がっていなければ、友人関係を確かめることが出来ないというーー。

しかし彼女はその後、まさに因果応報、自業自得の言葉そのもの、ポケベルが原因で学校でいじめに合い孤立した。後に私は彼女と縁が切れたが、彼女はその後、不幸な境遇に陥った。

自分に自信がない人ほど他人の悪口を言う、というのはこの世の真理だ。         悪口は自己紹介、コンプレックスの裏返しというのも、また然り。

俗にいう【言霊】とは単なる迷信ではなく、常日頃から口に出している言葉がその人の印象に繋がり、周囲の人達からの心証を良くも悪くも左右する、という先人の戒めではないか。

一見社交的で友達が多いように見えたAさんも、実際にクラスの中で確実に友人と呼べる相手は、たった1人だけだった。Bさんに至っては、その後、友人は1人も出来なかったらしい。

だが、悪口は楽しいものであることもまた事実だ。                  悪口をいう側、いわれる側、生きていれば人間誰しも、どちらにもなり得る。少なくとも私はAさんとBさんのような、他人の悪口をいっているようでありながら、その実、自分で自分を貶めているような存在にだけはなりたくない。

文章もまた言霊であるのなら、余計にだ。




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