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ウィキッド、 ミュージカルと原作小説を反復横跳びしてみた。 【第2幕】 

第1幕については こちら。


グレゴリー・マグワイア著のウィキッド原作小説について、ミュージカル第2幕と照らし合わせて書きたいことは 山ほどあります。

たとえば、
グリンダとエルファバは和解せず仲違いしたまま終わることとか、
エルファバとフィエロは 思いっきり不倫関係であることとか、
フィエロは秘密警察に殺されて 上巻であっさり退場することとか、
ボックはブリキにならないし フィエロはカカシにならないこととか、
気球に乗ってやってくる前の オズの魔法使いの暗い過去とか、
エルファバは下巻の殆どを フィエロの妻が住んでいる城で過ごすこととか、
エルファバの息子や、エルファバの最期の真相や、エルファバの家庭事情や、ネッサの靴及びグリムリーの位置付け 等々。

ところが、『ミュージカル第2幕について』語っただけで 『ミュージカル第1幕と原作小説の該当部分について』語った冒頭の記事よりも文量が多くなってしまったので、いったん記事を放出します。タイトル詐欺やめろ。

原作小説については後日、書き足します。



No One Mourns the Wicked:Reprise (魔女が迫る)


ミュージカル


今や エルファバは国賊である。オズ国民は “悪い魔女” という共通の敵を与えられて結束している。
まさしく、オズの魔法使いが 第1幕で「私が初めてオズに来た時、国中に不平と不満が渦巻いていた。そんな時には恐ろしい共通の敵を与えてやれば良いんだ」と言っていた通りに。

原作



Thank Goodness (この幸せ)


ミュージカル


武藤さんフィエロも カイサーさんフィエロも、横にいるグリンダの楽しそうな様子を見て 少し微笑んでいる。

マダム・モリブルに「ハンサムな彼」と呼ばれた時、伏し目がちにフフッと笑っているカイサーさんフィエロも良いし、1ミリも笑わない武藤さんフィエロも良い。


フィエロに無断で婚約パーティーを開いたグリンダ。そうとは知らずパーティーに参加してしまったフィエロにとっては 青天の霹靂である。
フィエロ「なんだって?これって婚約祝いなのかい!?」
グリンダ「驚いた?」
フィエロ「そりゃ そうさ!」
グリンダ「良かった。あなたをびっくりさせようと思ったの」

フィエロの困惑っぷりを見るにつけ、二人の間には 結婚の けの字も話題に上がっていなかったのだろうと察せられる。

第1幕で 
グリンダ「秘密の話を言いっこしましょ。まず あたしからね。フィエロと、あたし・・・結婚するの!」
エルファバ「もうプロポーズされたの!?」
グリンダ「ううん、まだ彼は知らない話。」
という やり取りをした頃から、グリンダは 良くも悪くも変わっていない。一人相撲である。

一方、マダム・モリブルの意図は明白だ。グリンダを “善い魔女” という偶像に奉り上げ、エルファバを “悪い魔女” に仕立て上げるマダム・モリブルと、そのプロパガンダにおどらされるオズ国民。グリンダは もはや、マダム・モリブルにとって、使い勝手の良い ただのお飾りでしかない。

グリンダの隣に立っているフィエロの表情を観察していると、台詞は無くとも、初めはスンとしていた顔が曇っていくのが分かる。
武藤さんフィエロは ひたすら困惑し、理解に苦しむ様子で 苦悩している。カイサーさんフィエロは 険しい顔をしつつ、努めて冷静を装っている。

悪い魔女は綺麗な水に溶けるぞ、という誰かが言い出したデマに踊らされて オズ国民たちは水を用意しにいく。「みんな頭が空っぽだから何だって信じるんだ」と呆れるフィエロ。不安が渦巻く社会で 根拠のないデマや噂が伝播し大衆が煽動される恐ろしさに、思わず現実世界を顧みる。こういう時に 何も考えず水をいそいそと用意しにいく民衆のうちの一人に、自分もなっていないだろうか。


グリンダの「そうかもね。でもそれって いけないこと?」「あたしもエルフィーに会いたい。だけど もう引き返せないの」「でもね、彼女、見つけて欲しくないのよ。わかるでしょ?」といった台詞。
中山さんグリンダの口調は柔らかい。
私は 山本さんグリンダの言い方と表情に胸がキュッとなった。山本さんグリンダは、詰問するような強めの口調でありながら、フィエロと心の距離が想像以上に離れていることに気付いて 縋っているようでもあった。やや怒っているような、それでいて今にも泣き出しそうな表情。サプライズ婚約パーティーを決行したのも、フィエロとの仲を喧伝して既成事実を作ることで 彼を繋ぎとめたかったのだろう。

「そうしたら、あなたも幸せになれるんでしょう?」
中山さんグリンダの声色は明るく、フィエロは当然Yesと答えるだろうと信じている。山本さんグリンダは 恐々尋ねている不安気な感じが伝わってくる。

フィエロの「君の言う通りだ」は、グリンダに対してというより自分自身に言い聞かせている。
フィ「君が幸せになれるなら、僕は君と結婚するよ。」
グリ「そうしたら、あなたも幸せになれるんでしょう?」
フィ「・・・僕は いつだって幸せさ」

そういうとこだよフィエロ。良い男とも酷い男とも言われる立ち回り。
フィエロはグリンダの質問にYesとは答えない。ボックと対照的だと思う。ボックはこういう時に優しさから ついYesと嘘をついてしまうタイプだ。第1幕で ネッサローズに対してやってしまったように。

フィエロは、目の前にいるグリンダに対し、自分なりに嘘をつかない精一杯の答え方をしたつもりなのだろう。決してグリンダの言う通りではないからYesと言うことはできなくて。
彼の返答は優しいようで残酷だ。「いつだって幸せ」なら、彼の幸せは彼ひとりの中で完結しているわけで、そこにグリンダとの結婚は必要ないということになる。

第1幕でエルファバに「全然幸せそうに見えない」と突かれた時には 言い繕うこともできず たじろいでいたフィエロが、グリンダからの質問に対しては 本音を飲み込んだ笑顔で「いつだって幸せ」と答えているあたり、グリンダとフィエロは根本的にすれ違っていると言わざるを得ない。

込み上げる思いと葛藤を押し殺して「いつだって幸せさ」と寂しそうに笑い グリンダに背を向けて階段を駆け登ってゆくフィエロも、きらきらした晴れ舞台に戻り 違和感や虚しさを抑え込んで「幸せだわ」と自分に言い聞かせるように何度も繰り返し歌うグリンダも、ふたりとも痛々しくて哀しい。

「(幸せには そうよ) 変わりないわ」を やや台詞調で歌う山本さんグリンダ。悲しげに微笑みながら少しだけ首を振り、胸に手を当てている。

「あなた、全然幸せそうに見えない」と、その場に居ないはずのエルファバの声が聞こえてくるような気がする。

これは単なる私の勝手な願望なのだが、「いつだって幸せさ」と言って階段を駆け登った後あたりで フィエロの短いソロ曲を挟んで欲しい。グリンダが歌う I’m Not That Girl のリプライズと同じくらい短いソロで良いから。
そこでフィエロの感情の機微を表出しておけば、グリンダとの婚約を飲み込んでから 再会したエルファバの手を引いて逃げるまでの ある種の唐突さが和らぐはず。だからといって、うじうじソングは絶対嫌だ。冷める。そういう所が無いのが、彼の美点なのだし。
フィエロという役は、心情の揺れを きっちり芝居で表現しないと、あっけなく頓珍漢で腑に落ちないキャラクターとなってしまう。

フィエロ、緑の軍服姿が良いね。
グリンダ、左手にキラキラ婚約指輪が光ってるけれど、それ自分で自分に買ったのか。


そういえば、カイサーさんフィエロの回で、7列目センブロ中央で観劇していた時のこと。
肉眼でも しっかり表情は見えているが、フィエロの細かい表情の変化をガン見するため、一時的にオペラグラスを使用することにした。

すると、スピーチ台に立っているフィエロが 黙って真っ直ぐ前を見ている間、
オペグラ越しにカイサーさんフィエロと目が合う → 動揺してオペグラ降ろす → そんなわけないと思い再度オペグラ覗く → また目が合い、恥ずかしくてオペグラ降ろす →  いや勘違いに決まってる と思って再び覗く → やっぱり目が合い、耐えきれずオペグラ降ろす → 以降 繰り返し

ということがあったので、大阪四季劇場7列目あたりのセンブロ中央付近で観劇する予定の方は ぜひ同じ体験をして欲しい。目線の高さ的に 合うんだと思う。
これは ただの言い訳なのだが、ハンサム王子様に、絵に書いたような正真正銘のハンサムをキャスティングするの、ずるいって。


原作



The Wicked Witch of the East (総督の椅子)



ミュージカル


重厚感のある総督室で、髪をきっちりとお団子にまとめて シックな黒ワンピースを身につけ、豪華な車椅子に座っているネッサローズ。感情を失くして能面みたいな顔になっているボックは1秒たりともネッサローズと目を合わさないし、彼女のことはマダムとしか呼ばない。

久しぶりに顔を合わせた姉のエルファバに対する、ネッサローズの一言一言に冷たい怒気が帯びている。「エルファバ黙って!」の気迫で客席が凍り付く。本当に第1幕の あの儚げで可憐なネッサローズと同一人物なのかと疑ってしまうほどの豹変ぶりである。

ネッサローズは エルファバが靴に魔法をかけてくれたおかげで立てるようになり、両腕を広げているエルファバにハグをするのかと思いきや素通りしてボックを呼ぶ。
「ネッサ、これで全てが変わったよ」と初めて まともにネッサローズの目を見て ネッサ呼びをするボック。彼の目に光が戻っている。

ネッサローズを なだめていた江畑さんエルファバは、ボックが「彼女 (グリンダ) がフィエロと結婚してしまう前に」と言った瞬間にピクッと反応してボックの方を見ている。

ネッサローズがボックからダンスホールへ誘われたことを喜び、胸を弾ませている時の歌(第1幕)
ボックがネッサローズの屋敷から出ていくことを告げる時の歌(第2幕)
ボックの命が助かるようにとネッサローズが祈る歌(第2幕)
上記3つとも同じメロディーなのが、しんどい。

泣いているように震えるネッサの歌声と、ボックに呪文をかけているエルファバの声が そっと重なる。

ボックは無事なのかと問うネッサに対してエルファバが「大丈夫よ。彼の胸は二度と痛まないわ」と答えるとき、私の脳裏をよぎるのは 第2幕 終盤の「あたしたち、彼の顔を二度と見られないわ」。

猿たちを解放するためエメラルドシティーへ行こうとするエルファバに、ネッサが「フィエロを探しに行くんでしょう。でも もう遅いわよ」と言うとき半笑いなのが怖い。
それに返事をせず黙って総督室を出ていくエルファバに「エルファバお願い、私を置いて行かないで!」と縋っておきながら、ボックには「私じゃないの、エルファバのせいよ。エルファバよーーー!!」と叫ぶ。

やっと解放されたと思ったら すぐブリキになってしまったボック。
やっと歩けるようになったと思ったら すぐ独りになってしまったネッサ。

取り残され 虚ろな目をして ひとりで車椅子を押して退場するネッサローズの背中が哀しい。

ネッサローズ役は 今のところ、ずっと連投されている若奈まりえさんを繰り返し拝見しているのだが、もう毎回お見事で。
ネッサローズというキャラクター自体は好きになれないし なかなか感情移入もしにくい。それでも、若奈さんの、第1幕とは打って変わった 貫禄のあるドスの効いた声や、依存と執着で狂う姿には いつも釘付けになる。

本編で酷い終わり方をしているから、カーテンコールでネッサとボックが二人手を繋いで笑顔で出てくるのを見られるのが嬉しい。

原曲の歌詞に “The Wicked Witch of the East” とあるが、和訳歌詞には「東の悪い魔女」の意は全く反映されていない。エルファバが第1幕 最後で歌う Defying Gravity の “If you care to find me  Look to the western sky” という歌詞についても同じく、「西」のニュアンスは和訳されていない。そのため、日本の舞台では
エルファバ=西の悪い魔女
ネッサローズ=東の悪い魔女
であることが分かりにくくなっている。オズの魔法使いの物語は 日本ではまだ それほど浸透していないから尚更だ。

ついでに言わせてほしい。
ヴィンカス(ウィンキー国)の出身であるフィエロは、終盤で「僕の一族が城を持っている。隠れ家には丁度いい。そこで落ち合おう」とエルファバに教えている。
これは具体的にはキアモ・コという城のことを指している。(フィエロは、原語の台詞では明確にキアモ・コという名前を言っている。)
フィエロのおかげで 護衛兵から逃げおおせたエルファバが No Good Deed を歌って闇堕ちするのも、
グリンダとエルファバが For Good を歌って別れを惜しんでいるのも、
エルファバがドロシーに水をかけられるのも、
いずれも場所はキアモ・コである。

ウィンキー国も キアモ・コも 舞台の緞帳の地図に しっかりと描かれている。もちろん、オズ西方に。
エルファバが “西の悪い魔女” たるゆえんであり、ウィキッドという作品が うまくできていると感心するポイントなのだが、これも 日本だと なかなか分かりづらくなっている。


原作



Wonderful (ワンダフル)



ミュージカル


前場面からの移り変わり方が 容赦無くて好きだ。
寂しい総督室から 一転、星空のような背景で幻想的な美しさのダンスホールへ。舞踏会で華やかに着飾っている人々。愛するボックが去って独り取り残されたネッサローズが虚ろな目で退場した後、グリンダとフィエロが 先の短い見せかけの愛を披露している。エルファバは その二人の後ろ姿に向かって手を伸ばすけれど 追いつくことはできない。

小林さんエルファバは オズの魔法使いから目を逸らすことなく話している。
江畑さんエルファバは「あなたにして欲しいことなんてないわ」と言ってそっぽを向いた後、オズの魔法使いの「いや、ある。君は闘うのをやめたいんだ」という台詞で 思わず振り向いている。

「私のふるさとでは、皆の信じたことが “歴史” と呼ばれている。」とオズの魔法使い。つくづくブラックな名言である。
ちなみに 劇中では明示されていないが、オズの魔法使いの ふるさとは アメリカのネブラスカ州 オマハである。
とはいえ、アメリカのみならずオズの国についても的を射ている。たとえ真実ではなくとも、“悪い魔女はドロシーに水をかけられて溶けて死んだ” と皆が信じれば それがオズの歴史となるのだから。

陛下が歌うワンダフルの途中で 一瞬だけ入るエルファバのパート「このあたしが」のところ、好き。

「(まず猿たちを) 自由にして」のところ、江畑さんエルファバの音ハメがいつも完璧で 地味に好き。
猿たちのほうを指すとき、江畑さんエルファバは人差し指で、小林さんエルファバは指を揃えて手のひら全体で 指している。

言葉を完全に奪われたディラモンド先生を見て、「やっぱり あなたとは一緒にやっていけないわ。死ぬまで闘うわ!」とエルファバが宣言し、オズの魔法使いは護衛兵を呼ぶ。

護衛隊長フィエロと エルファバが対面して以降の流れ、目まぐるしくて好き。

フィエロが 驚きのあまり「エルファバ・・・!」と思わず声を漏らしたのを見て エルファバが 「フィエロ、良かった」と ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、すぐに銃を構え直して「黙れ魔女」「黙れと言ったはずだ」。この台詞は、私にとって、全編通したフィエロの台詞の中でも屈指のお気に入りである。

武藤さんフィエロの「黙れ魔女」「黙れと言ったはずだ」は、ゾクっとするような冷たさが たまらなかった。軽蔑と嫌悪の声色。第1幕で好青年感のあったフィエロだったからこそ、その落差が際立っていた。

カイサーさんフィエロの「黙れ魔女」は再会の喜びを僅かに隠しきれていなかった。「黙れと言ったはずだ」も、頼むから今だけは何も言わないでいてくれ、とでも言いたげな 焦りの色が滲んでいた。

エルファバに銃口を向けながら「早く水を持ってこい。できるだけ沢山の水を持って来い。」と部下に命令しているフィエロ。他の護衛兵をその場から追い払って時間稼ぎをするために 咄嗟の機転をきかせたのだ。

「フィエロ怖かったわ。あなたまで変わったのかと思った」と吐露するエルファバの言い方が胸にくる。
エルファバは、第1幕の最後で “悪い魔女” として国民の敵に仕立て上げられた時でさえ「怖がってなんかないわ。あの人たちの方よ、あたしを怖がっているのは。」と言ってのけた人だから。

エルファバを逃がすためにフィエロがオズの魔法使いに銃を向けているのを見て、グリンダは「あなた頭がどうかしちゃったの!?」と強い口調で詰める。グリンダはフィエロの頭を冷やそうとしたのだろうけど、皮肉なことに、頭が冷えたフィエロの結論は「・・・僕は彼女(エルファバ) と一緒に行く」。ここまで来て まだオズ陛下を庇うグリンダを見て、フィエロも とうとう踏ん切りがついたのだろう。


なんとかしてエルファバをおびき寄せようとするマダム・モリブルとオズ陛下。
ここでグリンダが「ネッサだわ。ネッサよ」と言ってしまったばかりに、本件に無関係のネッサローズが巻き込まれて命を落とすことになる。ボックといい竜巻といい、結果的に ネッサローズの人生は最期までグリンダによって狂わされている。第1幕でネッサは「グリンダさんに お礼言いたい」と健気に歌っていたのに、なんとも皮肉な事だ。

グリンダは、第1幕の最後でマダム・モリブルが悪玉だと分かっているし、彼女自身が ついさっき「ここは危ないわ。誰かに見つかったら・・・」とエルファバに言っている通り モリブルやオズ陛下の手に落ちれば エルファバの命が危険に晒されることも分かっている。
それにも関わらず、グリンダは、エルファバをおびき寄せるためにはエルファバの妹を利用すれば良いと提言するのだ。これはグリンダのWicked (邪悪) なところだと思う。彼女の失恋の腹いせで死人が出る。

グリンダが恨むべきなのはフィエロである。フィエロが「僕は そのつもりだった」と言った時に まっすぐ詰め寄って 彼の胸ぐらを掴めばよかったのだ。エルファバに先制ビンタできるグリンダなら それくらい簡単だろう。

マダム・モリブル「この辺で 雲行きを変えましょう」はダブルミーニング。


原作




I’m Not That Girl:Reprise (私じゃない:リプライズ)


ミュージカル


リプライズを違う人が歌うの、良き。

グリンダ自身が Popularで「外面飾る それだけよ 難しくない」と歌っていた通り、表面的に見栄えのいい体裁を保つことを 内実よりも重んじてきた。フィエロとの帰結は、そんなグリンダの因果応報である。

第1幕でグリンダは、エルファバやボックやネッサを建前で騙して自分の思惑通りに事を進めてきた。Popularで エルファバが去った後「魅力なら このあたしが上よ」と上機嫌で歌っていた彼女。そうやって ずっと上手く世渡りしてきたPopularなグリンダにとって、それが通用しなくなったフィエロの件は 痛恨の打撃であり、だからこそ彼女はその決定的な失敗を経て ぐんと成長することになる。


思い返せば、
第1幕の最後 Defying Gravity の時 エルファバに「一緒に来て」と箒を差し出された時も、
第2幕の冒頭 Thank Goodness で扇動された民衆に愛想を尽かしたフィエロから「じゃあ、何で僕達ここにいるんだ?行こう!」と言われ 手を握られた時も、
その手を振りほどいたのは 他ならぬグリンダ自身なのだ。


原作



As Long as You’re Mine (二人は永遠に)


ミュージカル


前曲の l’m Not That Girl が終わった直後に入る一音目の低音が好き。前奏が Overtureと同じメロディーだ。

この曲の何が好きって、愛を歌うデュエットでありながら 旋律が不穏なところ。
オズ陛下に反旗を翻した 元・護衛隊長と、オズで一番のお尋ね者である“悪い魔女”。極めて危険な状況に置かれているこの2人が、オズの国で共に幸せになれる未来は無い。それを暗示しているかのようだ。

実は ウィキッド初見の時には 和訳歌詞の面で いまいち刺さらなかった曲なのだが、原語で聴いた途端、一気に好きになった。 原語だと 先の見えない二人の切なさと情熱が より伝わってくるし、どことなく艶やかで色香の漂う歌詞も好きだ。

武藤さんフィエロは、真剣な顔で ひたむきにエルファバのことを見つめる。まさに「燃えるような眼差し」である。もう目を逸らさないという覚悟が伝わってきた。その近くて熱い視線に、なんだか私までガチ照れしてしまった。
カイサーさんフィエロは 終始にこやかで、エルファバを見つめる目線も優しい。おかげで私は、前から4列目の真正面でデュエットを浴びても溶けずに済んだ。「(恋の海に)落ちてゆく」はキーを下げて、情熱的というよりは柔和な響きに。

第一幕で拝見した それぞれのフィエロ像から、あとは 私の勝手なイメージで、カイサーさんフィエロのALAYMにドキドキさせられて 武藤さんフィエロのALAYMは ほっこりする感じを想像していた。ところが実際は その真逆だったのが新鮮だった。嬉しい裏切られ方だ。

「抱きしめてキスをして」と歌うエルファバの手の甲に フィエロが そっとキスするのも、「さぁ強く抱いて夢のよう」の直後の間奏でハグするのも、「今 心は愛に満ち」と歌いながらフィエロがエルファバの手を取って自分の胸に当てる仕草も、「月の夜も」でエルファバが腕を広げて上体を反らせるのも、どれも良い。

二人が向かい合って歌い続ける曲だから 観客は横顔を見守ることになる。武藤さん、鼻筋が綺麗で 横顔が端正なのが良いな〜と思いながら眺めていた。言わずもがな、カイサーさんの横顔は彫刻。

As Long as You’re Mine を歌い終えた後のエルファバの台詞「ただ、生まれて初めて・・・幸せ」
これは原詞だと
“ It’s just for the first time I feel… Wicked. ”
である。

グリンダの彼氏であり人気者の王子様だったフィエロが、 自分と共に世界から追われる側になってしまった。そのことに対する罪悪感と、それでも抗えない歓びが、“Wicked” という一言に詰まっている。
生まれてこのかた ずっと差別と偏見の目に晒され、Wickedと呼ばれて忌み嫌われてきたエルファバが、フィエロと結ばれた場面で 自ら “Wicked”と笑って言えるようになったことの意味は大きい。

しかし 和訳された台詞だと エルファバは単純に「幸せ」と言っているだけ。
原詞の大事なニュアンスを 和訳に掬い上げられていないのは残念だが、確かに 他の日本語に訳しようがないなとも思う。


「エルファバ、君とグリンダはいつかお互いのことを・・・」まで言いかけたところでエルファバに遮られるが、フィエロが続けてどんなことを言おうとしていたのかは、原語の台詞を聞けば分かる。
“ You and Glinda will make up. And someday we'll look back at this- ”
お前が言うな案件である。


「あたしたち、また会えるわよね・・・?」
「エルファバ。空飛ぶ家が見える君なら、僕たちの未来だって見えるだろ?」
ここのフィエロの甘い言い方、バックで As Long as You’re Mine のメロディーが流れているのも相まって最高。たまらない。


エルファバが去った後、武藤さんフィエロが 風に煽られながら振りかざしていたランタンを、最後の ダン!という音と同時に力強く振り落とす仕草が好き。


原作



No Good Deed (闇に生きる)


ミュージカル


ネッサが家の下敷きになった所で繰り広げられる出来事、シリアスとコメディの緩急に 情緒が追いつかない。

「あたしたち、話すことなんてないわ」と 怒っていたのに、崩れ落ちたエルファバを見て 思わず駆け寄るグリンダ、優しい。グリンダはエルファバを心から憎んでいるわけではないのだ。

エル「あなたは見せかけの幸せを国中に宣伝してまわるのに大忙しですもんね」
グリ「あたしは今、善い魔女グリンダなのよ。みんな あたしに期待してるの」
エル「嘘をついてもらうことを?」

テンポの良い口喧嘩だが 内容は なかなかヘビーだ。エルファバの舌鋒は鋭く、グリンダは自信たっぷりの言い方。
グリンダは都合の良い傀儡に過ぎないことや、ネッサローズを殺したのは単なる自然現象ではなく国家権力であることを、エルファバは理解しているからこそ苛立つし、グリンダは理解していないからこそ自信満々なのである。

グリンダにビンタされた時のエルファバの空笑い、好き。エルファバにビンタやり返されて客席側のほう振り向いた時のグリンダの表情、完全にギャグである。どう見ても怒っている人間の顔ではない。

ステッキを豪快に振り回すグリンダを見て 「おぉう・・・」と引いてるエルファバ可愛い。各々ステッキと箒を投げ捨てて始まるキャットファイトに笑わされる。もう あなたたち、遊んでるでしょ。喧嘩してるフリしてるだけでしょ。護衛兵に引き離されて「もうちょっとで勝つとこだったのに!」とプリプリ怒るグリンダ可愛い。護衛兵に羽交締めにされてからも尚 グリンダに向かって蹴っ飛ばしているエルファバを見ると、第1幕の What is This Feeling?(大嫌い!) を思い出す。

名物、ターザンフィエロのご登場。
武藤さんフィエロは、鈍臭い感じで 着地後も踏ん張った体制のまま野太い声で雄叫び続けてるのが面白い。
カイサーさんフィエロは、スムーズに着地して流れるように銃を構えるのがシュールで笑う。
ここ、来るぞ来るぞと分かってるのに毎回 笑ってしまう。

グリンダにそれ以上 銃口を向けることができなくなって銃を落とす時の武藤さんフィエロ、残酷なほどに芝居が繊細で とても好き。
兵士たちに囲まれ にじり寄られている最中、エルファバを逃がすためとはいえ 自分が銃口をグリンダに向けている状況に気づき、ハッとした顔をする。グリンダを見て、ぐっと後悔の念が押し寄せ、顔を歪め、今にも泣きそうな表情で銃を下ろす。

武藤さんフィエロと対照的に、カイサーさんフィエロは 銃を捨てる前に 銃口の先にいるグリンダと目を合わせることはしない。
カイサーさんフィエロは、エルファバを逃がすという第一目的を果たせたから 自分はどうなってもいい、エルファバが逃げるチャンスをもう一度作るためだけに自ら囮になって初めから降参するつもりだった、という印象。


「彼は決して私を傷つけようとはしなかったわ。彼はただ彼女を愛してるだけなのよ」と言ってフィエロの手を取るグリンダに、彼女の成長ぶりが うかがえる。

カイサーさんフィエロは「グリンダ、許してくれ」までの間の取り方が長め。考えに考えて、それでも言う言葉が他に見当たらなかったという感じだ。

護衛兵の「杭に縛り付けておけ。魔女の行方を白状するまで 打ちのめせー!」で 背景が真っ赤になり、磔にされたフィエロがシルエットになる演出、恐ろしいけれど好きだ。

城に着いたエルファバは、まさに今 護衛兵から拷問を受けているフィエロを死なせないようにと必死に呪文を唱える。
エルファバの凄みと気迫に圧倒されるソロ。手に汗握る。
「何故なの」の声の伸ばし方も、フィエロの名を叫び 地面に崩れ落ちてから顔を上げ「災い呼び 闇つきまとう」の格好良さも、「今の私は魔女になるだけ」の悲壮な覚悟も、「一人堕ちるの」からのマントさばきも、「邪悪な魔女  そう、ウィキッド」の言い方も、最後のロングトーンのアレンジも好き。

生まれた時から 周囲に忌避され、家族にすら疎まれ、たった1人の友達と思っていた人すら保身に走って エルファバを悪とする国家で安全な場所に ぬくぬくと収まっている。そんな孤立無援の状況で闘っているエルファバのことを愛し、他の全てを捨てて味方についてくれたのがフィエロなのだ。だから、エルファバが彼を救うために なりふり構わないのも納得である。

原作



March of the Witch Hunters (魔女を殺せ)


ミュージカル


ボックがブリキになったのも、ライオンが臆病になったのも、エルファバの悪行ということにされている。

ネッサローズを襲った竜巻は あなたが仕組んだのではないか、とマダム・モリブルに問うグリンダ。それに対して「よくお聞きなさい、お嬢ちゃん。あんたは良い子ちゃんごっこを続けてればいいのよ」と凄むモリブル。お嬢ちゃん、の言い方が見事な蔑みっぷりである。

「思い通り人気者になれたんだから。笑って、手を振って、あとは黙ってらっしゃい!」とマダム・モリブルに威圧されるグリンダ。
人気者でいたいという自分の承認欲求がマダム・モリブルに利用されていること、そして、自分は国家の操り人形に過ぎないということを、まざまざと思い知らされたのだ。
中山さんグリンダは ショックのあまり モリブルに手首を掴まれるがまま力なく手を振っている。山本さんグリンダは反抗的にモリブルの手を はねのけている。


原作



For Good (あなたを忘れない)


ミュージカル


地下に閉じ込められて泣いているドロシーに向かって「うちに帰りたいなら さっさとその靴を返しなさいよ」と言ってバタンと蓋を閉めるエルファバ。ここ、ドロシーには申し訳ないけど面白くて笑ってしまう。ドロシー目線で エルファバの仕打ちだけを見たら、確かにエルファバは恐ろしい悪者である。
「死んだ人の靴をくすねるなんて最低よ」の台詞、江畑さんエルファバの 吐き捨てるように言う「最低よ」がドス効いてて好き。その直後 チステリーに呼びかける時には平常の声色に戻っているという切り替えの速さも良い。

「もうすぐ追っ手が来るわ」とグリンダが警告しに来る。肩で息をしているグリンダ。大急ぎでやって来たのだろう。

「どうしろっていうの。あたしは悪い魔女なのよ」の言い方。
小林さんエルファバは グリンダに向かって言っているが、江畑さんエルファバは「(どうせ) あたしは悪い魔女なのよ」という感じで独り言のような響き。

グリンダを追い払おうとするエルファバのもとに、一通の手紙が届く。

この、黙って手紙を読んでいる時のエルファバの表情が なんとも絶妙である。観客は 凝視しないと気付けない。
グリンダに背を向けて手紙を読んでいる間に一瞬だけ口角が少し上がるけれど、グリンダに向き直った時には もう その和らいだ表情は消えている。さすがだ。

「あたしたち、彼の顔を二度と見られないわ」
エルファバの言い回しの妙。グリンダはこれを聞き、フィエロが死んだと思って打ちひしがれている。しかしエルファバは 彼が「死んだ」とは一言も言っていない。

手紙がフィエロから送られてきたものであり、彼が生きていることを誰にも言ってはいけないという旨の手紙であることを、初見の人が一発で察するのは難しいように思う。手紙を読み終えたエルファバが真っ先にするのは「悪い魔女も これまでのようね。降参するわ」と言ってバケツの水を用意することだし。

押し問答の末、「わかった。約束する。でも、どうして・・・?」と苦しげに尋ねるグリンダに、「できない。あたしには できない」と答えるエルファバ。第一幕で「できるわ。必ず できるわ」と歌っていたのと同じメロディーで。
原詞だと Unlimited (できるわ) と l’m limited (できない) の音が似ていて ますます切ない。

「そうねぇ。じゃあ、勉強しなきゃね」とグリムリーをグリンダに託す時の、エルファバの優しい言い方よ。

エルファバの「あなたは 明るい笑顔で あたしの心溶かした」で グリンダがエルファバに にっこり笑いかける。エルファバが これきり見ることのできなくなる、明るい笑顔で。

「ごめん いつも あたしたち 喧嘩ばかりしてた」で いたずらっぽく笑いながらグリンダを ちょんと小突く江畑さんエルファバと、懐かしむように頷き笑って「素直になれなかったの」と返す山本さんグリンダ。
その直後の「今は懐かしい思い出」という歌詞、素敵な訳しかたで すごく気に入ってる。ちなみに原詞は “And none of it seems to matter anymore” である。


For Good の「あなたは あたしの中で永遠に輝き続ける」も、
As Long as You’re Mine の「この時を永遠に」も、
両方とも「えいえん」「えーえん」ではなく「えええん」という歌い方なのが好き。


For Good で、窓から見える空の色が緑から青へと溶けるように移り変わっていくのも、窓の外に見えている街明かりも、舞台上手で ゆらめくトーチも、見ていると ほんのり心が苦しくなるけれど 全部好きだ。

トーチの火が消えるタイミングを毎回 見守っている。エルファバのパートが始まったあたりで消えることが多い。寂しいので、もう少し長くついていて欲しい。まだグリンダのパートが終わってないのに消えた回もあったが、それは流石に早過ぎる。

二人が For Good を歌い終えた後、日本だと 拍手が全く起こらないことのほうが多い。稀に 遠慮がちな拍手が起こる。私としては拍手を送りたいところなのだが、拍手は皆でやらない限り ただのノイズでしかないので、いつも空気を読んでいる。

同様の場面が もうひとつあって、それは As Long as You’re Mine である。
As Long 〜 を歌い終えたエルファバとフィエロがキスしている時も、For Good を歌い終えたグリンダとエルファバが別れを惜しんでハグしている時も、海外では歓声&拍手喝采だが 日本では お通夜のように静かである。


ウィキッド初見の時の私は、エルファバの「あなたは みんなに愛されたままでいて欲しいの」という台詞や、二人の歌い上げる For Good に胸を打たれ、彼女たちの友情と別れに ただただ100%純粋に心を震わせていた。(心を震わせ過ぎたあまり、最後 「フィエロ?そういえば いたな、そんな男」と思ってしまったのは ここだけの話。)

ただ、そんな単純明快なことではないのである。
ここで For Good を歌っているのは、
フィエロは死んだ(それゆえ エルファバに抱いていた わだかまりは もはや無くなった)と思い込んでいるグリンダと、
フィエロは生きているということを知っていて この後 彼と落ち合う計画があるエルファバなのだ。
それを考えると 複雑な気持ちになる。
決して完全無垢な綺麗さではないのが、実にウィキッドという作品らしい所だと思う。


隠れて!とグリンダに言って エルファバがカーテンを引く時、バックで「誰にも愛されぬまま ひとり死んでゆく」と流れている。グリンダに向かって悪戯っぽく笑いかけながらシーッと人差し指を口に当てる江畑さんエルファバ。泣きそうな笑顔で それに応えるグリンダ。彼女たちがお互いの顔を見られるのは、これが最後なのだ。

悪い魔女は水に溶ける、という噂を逆手にとったエルファバ。

チステリーがカーテンを開けるとき For Good のメロディーが流れている。
遺されたエルファバの帽子。学生の時にグリンダがエルファバに贈った帽子だ。それをギュッと抱きしめ「ああ・・・ エルフィー・・・!」と絞り出すグリンダの悲痛な声に、こちらの胸まで痛くなる。

山本さんグリンダについて どうしても言及しておきたいことがある。というのも、私は彼女に、かつてないほどグリンダに感情移入させられたからだ。これは自分にとって画期的なことだった。

オズの腐敗政治に目を瞑り 欺瞞を覚え 長い物に巻かれて ずっと安全な場所に居続けるグリンダと、
謂れのない汚名を着せられ 国中を敵にまわしても 全てを失う覚悟で 正義と信念を貫くエルファバとでは、
やっぱり どうしてもエルファバに肩入れしてしまう。
どちらが正しいかといえば、圧倒的にエルファバだ。保身を選んで “善い魔女” の座に収まり 傀儡をやらされているグリンダではなく。
彼女たちが岐路に立たされる Defying Gravity や 二人の別れの For Good に胸を打たれながらも、私は心のどこかで、結局グリンダは自分の名誉欲を取ったのだ、グリンダには正しい道を行くだけの強さも勇気も能力も無いから、と思っていた。

だから、山本さんグリンダに会うまでは、グリンダに これほど心揺さぶられるとは思っていなかったのだ。第2幕冒頭の Thank Goodness や 第2幕終盤の For good で、歌そのものは言うまでもなく、歌以外の台詞回しや芝居が見事で 心がヒリヒリした。


マダム・モリブルを連れて行かせるため グリンダが「護衛兵!」と呼ぶ時、中山さんグリンダの貫禄ある声に びっくりした。今 護衛兵呼んだのグリンダのはずだよね、モリブルではないよね・・・?と戸惑ったくらい、ドスの効いた荒々しい声だった。あのキャピキャピ声と ぶりぶりのぶりっ子で観客を楽しませてくれていた中山さんグリンダだからこそ、その凄みのある激しい声と毅然とした態度にハッとさせられた。

グリンダ「ハッキリ言わせてもらいますけど、あなたはこれ以上やっていけないわ。まちがいなく!」
第一幕のダンスホールでモリブルから言われたことを そのまんま言い返している。


原作



Finale (フィナーレ)


ミュージカル


グリムリーの本を胸に抱き、決然とした表情のグリンダ。

エルファバの帽子を見つけたフィエロは、それを抱きしめる。約束通り 落ち合うことができた二人。

「君がカカシに変えてくれたから、僕は体中の骨を折られずに済んだ」フィエロは さらっと言っているが、護衛兵に連れて行かれた後 ゾッとするような拷問を受けていたのだ。

「あなたは今でも素敵だわ」
「嘘をつかなくても良いよ」
「嘘じゃないわ。ただ物事を違う角度から見ているだけよ」

ここ、As Long as You’re Mine の後の
「あたしがもっと綺麗だったら、って。あなたのために」
「君は綺麗だよ」
「嘘なんかつかなくても良いわよ」
「嘘じゃない。物事を違う角度から見てるってことさ」
というやり取りを エルファバからフィエロに返しているのがアツい。

グリンダに「あのイケメン」と言われ、マダム・モリブルに「ハンサムな彼」と言われ、オズの魔法使いに「色男の護衛隊長」と言われてきたフィエロ。
そんなフィエロの容姿の良さについてエルファバが言及したことは一度もなく、終盤でカカシになったフィエロに「あなたは今でも素敵だわ」と伝えるの、とても良いなと思う。


彼らは もう二度とオズに戻れない。
フィエロの言う通り、二人が生きていることはオズの誰にも知られてはならない。今となっては 二人とも、オズの国には存在しない者、存在してはいけない者なのだから。(原詞だと、フィエロは より具体的に "She can't know. Not if we want to be safe.” と言っている。)

「あたしを変えてくれたの」とグリンダが歌い始めた途端、はたと振り返るエルファバ。エルファバを想うグリンダの歌声が分かるのだ。遠い所からでも竜巻やネッサの危険を察知できたエルファバだから。

「いつまでも」お互い離れたところにいるグリンダとエルファバが共鳴する。エルファバは二人で歌っている気持ちだが、グリンダにはエルファバの声は届かないから孤独だ。

「忘れない」グリンダの 悲しくも美しい歌声が伸びる。

「あなたを」二度と会うことのない二人が、再び共鳴する。


エルファバに帽子を被せてあげるフィエロ。二人とも尖った帽子でお揃いのシルエット。
人知れずオズの国を去るエルファバとフィエロの後ろ姿が 煙の彼方へと消えていき、暗転。

ぐっと耐えるようなグリンダの表情が、暗転する直前まで見える。


なんて切ない終わり方なんだろう。
何度観ても胸がギュッと締め付けられる。


差別されることなく人々から愛され 自分の才能を発揮できる居場所を、最後までオズの中に見出すことが叶わず、汚名も晴らさないまま 二度とオズに戻れない身となったエルファバ。

エルファバもフィエロも失い、その喪失感や孤独を分かち合える者が 今となっては誰一人いなくなったオズで、これからも “善い魔女” として生き続けていかなければならないグリンダ。

ウィンキー国の王子という守られた身分も オズの護衛隊長という堅い後ろ盾のある立場も捨て、不可逆の魔法によって変わり果てた姿で オズから永遠に出ていくことになったフィエロ。


それぞれ 自分が選んだ道の先に手に入れた幸せと引き換えに、失ったものの痛みがある。



ウィキッドという作品がハッピーエンドではない理由は、それだけではない。

オズを去ったエルファバとフィエロのその後については、ただただ彼らの安寧と幸福を祈ることとしよう。

では、二人が去った後の オズの国は?

グリンダは、バケツの水を準備するエルファバに「エルフィー、何をするつもり?駄目よ、やめて!」と本気で止めている。エルファバの遺した帽子をギュッと抱いて、悲痛な声を絞り出し 本気で悼んでいる。
終盤(For Good)ですら エルファバは水に溶けると無意識に信じているような、フィエロに言わせると「頭が空っぽ」な人間であるグリンダが、
果たして、
マダム・モリブルいわく「滅びてしまった言葉」であり「忘れられた呪文の言葉」で書かれた、モリブルでさえ「一つか二つしか読めないし そうなるまで何年もかかった」書物であるグリムリーを上手く扱い、
オズ国民を、オズの未来を、良き方向へ導けるようになるのだろうか。

実際問題、厳しいと言わざるを得ない。
グリムリーの読み方や それを使った魔法のかけ方を グリンダが独学で習得するのは不可能だ。では 誰が彼女に教えてあげられるのだろうか。彼女にグリムリーを託した、グリムリーをまともに使いこなす能力がある唯一の人間は、もう二度とオズに戻って来ないというのに。


原作



カーテンコール


本編でエルファバとフィエロが出て行った場所から、カテコでエルファバとグリンダが出てくるの、良すぎ。

エルファバ役の江畑さんや小林さんが見せてくれる、“Wicked” とは程遠い とびきりチャーミングな笑顔が好きだ。劇中で 数奇な運命に翻弄され続けたエルファバだから、カテコで 一点の曇りもない笑顔を客席に向けてくれると 嬉しいしホッとする。

カテコの曲 One Short Day に合わせてドレス姿のままノリノリで踊ってる山本さん可愛い。
エルファバ役の方を どうぞ!と促す時、尋常じゃない仰け反り方してる中山さんも面白可愛い。


本編で最後の最後まで舞台に立っていたフィエロ役が、暗転してからカテコに登場するまで 1分も無い。だから、時間的に あの濃いカカシメイクを大急ぎで落とすのが精一杯なわけで。
武藤さんやカイサーさんの爽やかな素顔を見られるのが嬉しい。すっぴん&カカシの衣装なのに格好良いの何事・・・と思いながら眺めていたら、客席にキス投げてる瞬間を目撃した。けしからん (いいぞ もっとやれ)。
カイサーさんの、エルファバ役の方の手を取る時に 微笑みながら覗き込むようにしてお顔を近づける仕草に萌えた。
お二人とも1996年生まれだと知って驚いた。私の兄と同じである。信じられん。



おわりに


無駄のない洗練された脚本に 秀逸に盛り込まれた 普遍的なテーマやバッチバチの風刺、そして怒涛の伏線回収。

脳汁ドバドバ出る初見時の興奮も さることながら、観劇2回目以降からが真髄みたいなところがある演目だ。

ミュージカルというと、脚本に粗があったり内容が薄かったりしても曲が良ければ許されるという悪しき風潮があるけれど、その点 ウィキッドは曲も脚本も至高だから大好き。


原作小説については 後日、書き足します。
というか、もう 長すぎるから記事分けた方がいいか…。



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