初めて高価な洋服を買った日のこと
私が初めてブランドものの洋服を買ったのは二十歳の冬だった。その時の精一杯の一張羅を着て行ったことをよく覚えている。
一張羅といっても、それは田舎のショッピングセンターで買ったノンブランド、決して高価なものではなかった。セーラーカラーのような大きな襟が付いた黒いジャケット、後ろにプリーツが入った黒のタイトスカート、花の刺繍が施された赤いベルト、エナメルに似た素材の黒い靴という、精一杯のお洒落をし、アルバイト代を握りしめて岐阜のとあるファッションビルに向かった。
当時はDCブーム真っ盛り。私はそのファッションビルで絶対に何かを買うと心に決めていた。
それまで5ケタの金額の洋服なんて、一度も買ったことがなかったし、買ってもらったこともない私にとって、そのファッションビルは敷居が高く、とてもまぶしかった。ゴルチェやキャサリンハムネットなど、飛ぶ鳥を落とす勢いのブランドが集結していて、一体、どこから何を見ればいいのかもわからなかったので、とりあえず上の階から順にひとまわりすることにした。最上階の雑貨屋は素通りし、その下の階にエスカレーターで下ると、とてもかわいい洋服を着たマヌカンさんがディスプレイを整えていた。布をたっぷり使った白のフレアスカート、中にはパニエを履いているのか、そのスカートはふんわりと丸く膨らんでいた。ただでさえ細いマヌカンさんの足が、更に細く、きれいに見えて、ひと目でステキだと思った。ものすごくドキドキしながらお店に足を踏み入れる。
マヌカンさんは美人でスタイルが良くて、お化粧もステキでとてもいい匂いがした。愛読していた宝島cutieに載っているような彼女は、すぐに気付いて、わたしが田舎者とわかったのだと思うけど、とても優しく微笑みながら接してくれた。
「SENSORは買物によく来るの?」
「初めて来ました」
「そうなんだ、ゆっくり見ていってね」
「そのジャケットかわいいね、どこの?」
「そんな、、、どこのでもなくて、地元のお店で買ったやつで、、、(もじもじ)」
そんなやり取りをしながら、マヌカンさんのスカートがすごく可愛いと伝えると、同じ物の黒があると見せてくれた。広げると円形なのだろうか、ボリュームがあるスカートの下には、やはりパニエがあった。程よく張りがあるオーガンジーにたくさんの襞が施され、ちょっと見て触れただけなのにもう心はこのパニエに撃ち抜かれていた。大好きなZELDAのSAYOKOがステージで履きそうなスカートだ。そうなったらもうマヌカンさんの思うツボ、知らぬ間に試着室へ、あれよあれよと大きな鏡に誘導され、かわいいスカートを履いた自分がそこに立っていた。
自分で言うのもなんだけど、「あれ?ちょっとわたしイケてる?」という感じだった。スカートにボリュームがあるから、足が少しだけ細く長く見えた。普段、買っている物たちとは素材も段違いに良いのだろう、スカートが揺れる感じが心地よい。何より履いていてとても気分がいい! 身に着けてこんなに心が高揚するなんて初めての経験だった。着ていたジャケットにも良く合うねと言われ、更に天にも昇る気持ちになってしまい、ドーパミンがあふれ出していたと思う。その後は、同素材のジャケットやそのスカートに合うブラウスなどを試着させてもらったが、なんせ5ケタの金額の洋服なんて一度も着たことがなかったし、正直、そこまでの金額を払うことがちょっと怖くて、まずはスカートだけを買うことに決めた。身分不相応かな、と少しだけ罪悪感を持ちつつも、あの高揚感には勝てるわけがなく、ついに5ケタの洋服を買ってしまった。
そうこうするうちに、店長と思しき男性が休憩から戻ってきた。小柄ながら当然だけどあか抜けていて、ちょっとドキドキしてしまった。「Kちゃんがちょうど休憩だから、一緒にお茶しといで」となぜかステキな計らいを受け、同じビルにある喫茶店に行き、ケーキと紅茶をご馳走になった。ただでさえおかしなテンションなのに、初対面の人とお茶とか、もう何が何だかわからない。この時、一体、何を話したのか、今となっては全く思い出せない。
お店を後にし、ブランドのロゴが配された袋を肩にかけて歩くことの嬉しさといったら! 今まではショップ紙袋を持った買い物帰りの人を羨ましく見ていたけれど、今、私がその羨ましい人になっている!! 20年そこそこの人生だけど、それまでの人生でいちばん、嬉しかったことなんじゃないかと思う。スカートを手に入れて嬉しい上に、優越感という思わぬ副産物もあって、この日のことは忘れられない。
マヌカンさんが言ったことは、これから良いお客様になっていただくための、或いは、田舎者をだまくらかして売上を上げるための営業トークに違いない。でも洋服を着ることでこんなに幸せになれるなんて。気に入らないもの、妥協したものはもう着たくない。少しずつでいいから本当に大好きな洋服を集めて行こうと決意し、このお店に足しげく通うことになるのだった。
年齢とともに通うお店は当然ながら変化したけれど、30年以上たった今でも、洋服を選ぶ時は、あの日に感じた高揚感と優越感をずっと求めている。