子宮外妊娠 手術の日
これは、私が左卵管のはじっこに妊娠して、腹腔鏡手術を受け、左卵管を切除した記録です。
確率が低いゆえ、経験談が少ない子宮外妊娠。
この記録がほんの少しでも誰かのためになればいいなと思います。
差し込んでくる朝日のまぶしさで目が覚めた。
夏真っ盛りで日が昇るのが早すぎるし、日差しも強すぎて、カーテンが無意味だった。
昨日、窓際のベッドに案内されたときはちょっと嬉しかったけど、日のまぶしさは思わぬ弊害だった。入院している間に日焼けしそう。
ふと見ると、ベッドの名前のところに「産科」と書かれていて、産まないのに産科なんだなと不思議な気持ちになった。
昨日の夕食を最後に絶食なので、朝ご飯は運ばれてこないけど、大して食欲もなかったのでちょうどよかったかも。
朝8時(早すぎる。昨日も夜まで働いていた先生、朝早くからおつかれさまです。)の診察に行くのに診察室まで車椅子で運んでもらった。
歩けますと言ったが、車椅子で行くことになっているそうだ。
産科の待合室には出産を終えたばかりの産婦さんが3人順番を待っていて、出産したばかりの人と、これから胎児も卵管も失う私と、ものすごい格差社会だ。
彼女たちはベンチに座っているのに私は車椅子。
彼女たちは青い入院着なのに、私だけ茶色い入院着。
すごくすごく惨めだった。
今ここにいる人たち、皆が不幸だったら、肩を組んで一緒に泣けるのに。
いっそ、そうだったらよかったのに。
彼女たちがこの世に新しい命を誕生させたことは素晴らしいことなのに、素直に祝えない器の小さな人間だから、こんな目にあっているのだろうか。
ようやく順番になって、とにかく待合室から出られたことに安堵した。
エコーと内診を受ける。
点滴がつながっているので、内診台に上がるのに神経を使う。
診察の結果、予定どおりお昼ごろの手術になった。
帰りも車椅子で移動させてもらわなくてはならないので、看護師さんが来るまで待合室で待たされて、そこにいる産婦さんを見てまた泣いた。
出産は奇跡だと言うけれど、奇跡なら奇跡らしく、もっと可能性の低いものであってほしかった。ここにいる私以外が奇跡を起こしているなら、それは奇跡でも何でもない。
手術時間が近くなると、看護師さんが来て浣腸された。
内診台は産婦人科の通院で慣れたけれど、これはメンタルに来る。
看護師さんからは、できれば10分くらい待ってからトイレに、と言われたが、あれを10分も我慢できる人がいるんだろうか。
急激におなかを下す感覚に襲われ、2分も持たずにお手洗いに駆け込んだ。
しばらくは排出し続ける苦しみと、おなかを下している時の腹痛と子宮外妊娠の腹痛とでお手洗いの中で脂汗まみれになった。
病室で手術着に着替え、手術室まで車椅子で運ばれる。
手術室に入る前に母と夫に会ったが、何を言っていいか分からず「行ってきます」とか何か当たり障りのないことを言った気がする。
私の手術を担当する、主治医ともう一人の医師、麻酔医、あとは看護師さんが何人かいらっしゃって挨拶をした。たった今会ったばかりの、顔を全部見たこともない人に命を預けるなんて不思議だ。
手術室は医療ドラマで見る手術室よりもガランと広くて、シンとしていて無機質で、なんだか寂しい場所だと感じた。
自分で手術台に上がるのはなかなかに気が進まなかったけれど、のぼってしまえば全てが終わると思うと、それはそれで気が楽だった。
手術台は暖かいけれどさほど横幅がなくて、体格の大きい人は手術室に収まるんだろうかと、どうでもいいことを考えた。
麻酔医の先生から、麻酔がかかる時に少し咳き込むかもしれないが、普通のことなので心配しないでくださいと説明される。
口にあてられた酸素マスクが目にかかってかゆかったので、それを伝えると位置をずらしてくれた。
私の子供の話になって涙が出かかったところで咳が出て、のどがかゆいなと思った次の瞬間には意識がなくなった。
手術が終わった後、夫と母は切除した卵管と妊娠組織を見たそうだ。
妊娠組織はふわふわしていたけれども、形が崩れていたと夫が言っていた。
ほんとうに、どうしてそんなところにたどり着いちゃったのかな。
出される時すらきれいな形になれなくて、そのことがとてもかわいそうだった。
手術の後はずっと寝ていたけれど、日も暮れた頃に一瞬だけ意識を取り戻した。
どうやら意識がない間に自分のベッドまで戻ってきたらしい。
病室は本当に静かで、足につけられた血栓防止のためのマッサージ機と心電図モニターの音が響いていた。
頑張って目を開けてみたけれど、意識を保っていられない。
眠るというよりも、意識を失って、深い暗闇に引き込まれる感じがした。
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