見出し画像

子宮外妊娠 腹腔鏡手術 手術後が辛すぎる

これは、私が左卵管のはじっこに妊娠して、腹腔鏡手術を受け、左卵管を切除した記録です。

確率が低いゆえ、経験談が少ない子宮外妊娠。
この記録がほんの少しでも誰かのためになればいいなと思います。


術後1日目(入院3日目)

足以外の体中が痛くて目が覚めた。
特に頭は割れそうに痛いし、肩は人生で一番激しく寝違えたくらいの激痛。
おなかは切ったところ(体の表面)よりも内臓の方が痛い。
悪寒がして体の節々も痛い。
熱もあったので、そこに体のほてりが加わって本当にしんどかった。

手術前に「腹腔鏡手術」で調べたら、翌日から食事をとり、普通に歩けると書いてあったが、まったくそんなことはない。
むしろ人生で一番体調が悪い。
インフルエンザやノロウイルスのピークの日や出産翌日の方が全然楽だった。

朝一番で検温と採血をされ、今日も診察があると説明される。
頭が全然機能していない。

手術翌日の朝から回復食が出るが、全く食欲がなかった。
重湯と、どろどろに煮込まれてたっぷりとろみのつけられた青菜と、どろどろの何かとヨーグルトとお茶。
のどが渇いていたのでお茶だけ飲んで、あとは全部残した。

今朝も診察に行くために車椅子に乗るのだが、立ち上がることすら困難だった。
ベッドの背もたれをほぼ直角まで起こし、どうにかこうにか体を右向きにするのだが、点滴と尿道カテーテルにつながれているので、そちらにも気を付けなくてはならない。

手術で腹筋がずたずたになったんだろうか、おなかに力入らない。
おなかに力が入らないと、足が動かせないことを知った。

腕の力とベッドの角度調整でどうにかこうにか体の向きを変えて床に足をおろす。

が、入院時にはいてきたヒールが高めのスポーツサンダルしかない。
スリッパを持ってきてもらうべきだった。スポーツサンダルに足を通すのも一苦労で、サンダルをはいた後に立ち上がることも難しくて、そこからさらに車椅子に移動して座るのにかなりの時間と労力を使った。

点滴と尿を入れておくための袋につながれた姿で、妊産婦さんとともに待合室で待たされるのはかなり恥ずかしかった。
点滴だけならまだよかったけれど、尿道カテーテルは見られたくない。
なにかが違えば、私はあなたたちだったのに。あなたたちは私だったのに。どうして私なんだろう。

車椅子から降りて内診台に上がるのも本当に辛いし、体に力が入らないので足が内側に倒れてきてしまうし、尿道カテーテルの角度が変わると痛いし、なんでこんな目にあっているんだろうともはやバカバカしくなってきた。

エコーでの診察終わると、医師から諸々の説明があった。

まず、採血の結果、ヘモグロビンか何かの値が通常の10分の1しかない重度の貧血だから鉄剤を投与する、尿道カテーテルも今日は外せないと言われた。

手術の時に撮影した体内の映像も見せてもらう。
左右の卵管の写真を見ると、たしかに右に比べて左の卵管はかなり腫れていて、切除やむなしな見た目だったけれど、それでも、もう左卵管は私の中にないんだなと思うと悲しい。
せっかくちゃんと産んでくれたのに、親に申し訳なかった。

妊娠組織は左卵管のかなり端っこ、というか卵管采という卵をキャッチする手の部分についており、目視で確認、卵管ごと切除したが、端っこすぎて引っ張り上げる最中に妊娠組織の一部が落ちてしまったので、体内をよく洗浄したそうだ。
体内をよく洗浄。体内脂肪が洗い流されていたんだったら、それは良いかもしれない。

体内で出血がすすんでいて出血量は150mlだったこと、妊娠組織は病理検査に出すことも説明された。
右の卵管は、通常の3倍の量を必要としたが液が通ったそうだ。
通常の3倍の量を必要とした、というのが長く妊娠できなかった理由なんじゃないか、今回も左卵管だし右卵管は実際機能していないんじゃないかと不安に襲われる。

この日は体が辛すぎて寝ることもできなかった。

夕方頃、母が荷物を持って来てくれたから顔を見せに行きましょう、と看護師さんが私を車いすに乗せてエレベーター前まで連れて行ってくれたが、まともに言葉を交わせるような体調でもなく、尿道カテーテルと点滴につながれて、顔が真っ青でぐったりした娘を見て母は不安を増したらしい。

ずっと眠くてだるくて、体中が痛くて、いつ起きていつ寝ているのか分からないような日だった。
ナプキンがかぶれてきて不快だったし、脂汗がすごくて頭もかゆい。
冷房が効いていてすごく寒かったが、寒いと看護師さんに伝えることもできないし、はがれかかった毛布を引っ張り上げることもできない。

病は気から、というが、体が辛すぎるとどんな気もわきあがってこないことを思い知った。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?