14歳から23歳へ成長した3.11


はじめまして。
わたなべまりえと申します。

2011年3月11日14時46分に東北地方太平洋沖地震が起こった。

いわゆる3.11の東日本大震災です。
私は、当時14歳という多感な時期だったと思います。
今日はその2011年から2020年に成長した私の気持ちを綴りたいと思います。

私が生まれ育った福島県郡山市は福島県の真ん中に位置しています。
当時は中学2年生であり、先輩たちの卒業式が終了し自宅で被災しました。


フォンフォン!フォンフォン!!!!


TVの警報が鳴る。そして、すべてがグチャグチャになりました。


建具は波打ち、凄まじい音とともに水道やお風呂から水が溢れ、
家具は踊っていました。

まさに、「この世の終わり」でした。


しかし、福島県はこれだけでは終わりませんでした。


自宅が半壊し、従兄弟の家に身をよせた、3.11の夜。
次の日を迎え、TVから流れる、福島第一原子力発電所の水素爆発の映像。

漠然とした恐怖です。ただただ、あの光景が今でも思い出されます。
当時は日常を取り戻そうと、みんな必死に生きていました。

TVでは、「絆」とか「がんばろう日本」とか
そういうことではないのです。
ただ一日一日に不安を抱きながら過ごしていたのです。


時は経ち、晴れて大学生になり上京し初めての一人暮らしを始め、
大学の友人に何気なく「線量計」の写真を見せました。

しかし、その友人は知らなかったのです。
線量計がある福島県では東京電力が東京の電力を発電していたのに、と憤りを感じました。
未だに福島県では帰れない避難している方がいるのに。なんでだろう。
とても疑問に思いました。


私がこの記事を通して伝えたいことは、
私の体験を書きましたが、体験談だけを語り継ぐだけでは
不十分ではないでしょうか。

体験談を聞き、同情をすることも、忘れないでいることも
大事だと思います。

しかし、これから未来に対して、どう対策を取るのか、
ということを一番考えていただきたいのです。

その時あなたはどんな行動をしますか。

今からできることはなんだろうか。

そう一人ひとりが考えることこそが何メートルの防波堤よりも高い防災につながるのではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?