なんでもない日おめでとう
「なんでもない日おめでとう」というのは、不思議の国のアリスの中に出てくる「お誕生日じゃない日のうた」に出てくる歌詞だそうですね。
ディズニーもジブリもあまり履修していない民なので(大学時代に付き合っていた彼がジブリ大好きで、ほぼ観たことないと言ったら、そんな人生あるのか!と驚かれて、その場でトトロを見せられたことがある)(夫にも「なに!?耳すまを見たことがないだと!?」とTSUTAYAに連れていかれたな。)
その歌のことはよく知らないのですが、昨年ディズニーランドでアリスのティーパーティーに乗った際、「みなさん、お誕生日じゃない日おめでとうございます。」というアナウンスが流れて、ああ、いいなあ。と思ったのでした。(お誕生日の方がいると、お名前呼んでくれるみたいですね)
私のモットーは「思い立ったが吉日」なんですが、それは最近のことです。
なぜかと言うと、義実家がとても六輝を気にする家なのです。会社を経営していることとか、田舎なこととか、色々理由はあるのでしょうが私には全く馴染みのない慣習でした。
実家ではそういう話が出たこともないし、そもそも六輝を確認できるカレンダーもありませんでした。
私に馴染みのない慣習が、さも真実のように、当たり前の常識のように扱われていることに、なんだか異国に来たような感覚になりました。
義実家では何か新しいものを下ろす時には大安を選びます。あと雛人形とかも、良い日に出すみたい。
そんな義実家にいて、私は使う日に下ろすようにしています。(今日はどうかな?と見ると大体仏滅なんだよね)(大体雨だしね)
それは反抗ではなくて、私が私に対して「私には関係のないことだ」と意思表示しているのです。
私にとっては当たり前だったことをずっと続けてやっているだけなのですが、当たり前が違った時にアイデンティティかなと感じるようになるみたいですね。(やっぱ他者と比べるとわかることってあるよね)(分かることは分けることだと言った哲学者がいたような、、、いなかった?)
仏滅の日にも誰か尊い命が誕生していますからね。(書いてみて、もしやと思って調べてみたら、私が生まれた日仏滅だった!!!)(ほらね!最高におもしろいな)
自分の中で、今日だな!と思った日に行うというのを大事にしています。
GUCCIのローファーを買ったのはGWの時です。実に2ヶ月。部屋に置いてありました。時々、履いてみて「かわいいなあ」とうっとりしたり、履きながらnoteを書いたりしていました。
買った時のnoteにも書いたのですが、特別な日に履こうと思っていたのです。
裏張りしていないしな、、、とかなんとか理由をつけて、結局汚すのが怖かったんですよね。GUCCIは日常にしちゃいけないんじゃない?という思いがありました。
今日は子供の歯医者に行く日。なんでもない日です。
ふと、今日かな?と思いました。
マッキントッシュのワンピースに着替えてから、GUCCIを履いてみるとめちゃくちゃ可愛い!
このローファーは着る服によっていろんな表情を見せてくれるのですが、チェックワンピースに合わせるとスクールガール風の大人しくて上品な表情をします。とても素敵。
やっぱり今日だわ。
歯医者へは車で行くのでスニーカーを履いているし、アクティビティルームは土足禁止なので靴を履いていない。私がGUCCIを履いていたのは、ものの30分くらいでしょう。それも、待っていただけなのでほとんど歩いていません。
それでもとっても嬉しかった。
むしろ、今日のようななんでもない日に下ろすことが大事だったのかもと思います。
日常のほとんどが誕生日や記念日じゃない日です。
大きなドラマが起こる日もそんなに多くはないでしょう。
そんな日常にも私はGUCCIを許していこう。
そう決めた日でした。
なんでもない日おめでとう。
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