潜在意識から読み解く『みぃちゃん物語A面・B面』6・母との学び
この物語は、私、ワンネスカウンセラー瑞羽が、生まれてから今までに辿ってきた人生を物語風に語ってみたものです。
ただし、普通の物語とはちょっと変わった書き方にしてみようと思います。
「みぃちゃんA面」と「みぃちゃんB面」
同じ出来事を二つ側面から語った物語です。
「みぃちゃんA面」は、私が記憶している顕在意識から見た物語。
「みぃちゃんB面」は、私が潜在意識から見ていた物語です。
B面はサイキックセンスやヒプノセラピーを通じて、潜在意識で見て来た私のもう一つの物語です。
顕在意識とは、普段私たちが認識している意識。
潜在意識とは、普段私たちが認識出来ない意識。
普段私たちは、認識している顕在意識の世界がすべてのように思っていますが、実はまったく逆です。実際には、潜在意識が95%もの意識を司っていて、現実の世界にも影響を与えているのです。
顕在意識と潜在意識。
二つの世界と、そのつながりや違いを感じて貰えたらと思います。
では、どうぞ。
潜在意識から読み解く『みぃちゃん物語A面』6・母との学び
私と母との物語は、もう前回までで終わりだと思っていました。
それなのに、意識は何層にも何層にもなっていて、もっともっと深い意識からの気づきがありました。
母は最近94歳のお誕生日を迎えました。
久しぶりに親族で集まってお祝いをして、とても良い時間となりました。
でも母は、本当は直前まで「行きたくない」って言っていたのです。
確かに最近、出掛けるのも億劫になって来ていて、人に会うことも億劫な様でした。
遠方から兄や孫も駆けつけてくれているから、と話しながら「行きたくない」なんて、"なんでそんなこと言うのかな"と寂しい気持ちでいました。
そして、母の気持ちを感じてみると、とても怖さが伝わってきました。
その怖さは、死への恐怖でした。
母は会う度に「本当にもう、いつ向こうに逝くかわからないから、そのつもりでいてね。」と言うのですが、"ああ、死ぬのが怖いんだなぁ"と思いました。
その思う気持ちは仕方がない・・・と思いながらも、だからといって、「もう誰にも会わない、どこにも行かない」という母を寂しい気持ちで見てしまう自分がいました。
そして、本当は少しでも不安や痛みを軽くしてあげたい・・そう思って、私が学んできたセラピーをしてあげたいのですが、母は頑なに受け取ってはくれないのです。
「いいよ、いいよ。そんなことしても無駄だから。自分で頑張るしかないんだから。」
そんな風に言う母に、また寂しい気持ちになるのでした。
私が母にしてあげたいことは、
いつも受け取って貰えない。
この気持ちは、私の中にずっとありました。
母は私が買い物や病院に付き合ったり、何かする度にお金をくれようとするのです。
それは母の気持ちだとは思うのですが、本当は「ありがとう」って受け取ってくれるだけでいいのに。そう思っていました。
お金を貰う度に、何か私のした事を返されてしまっている気がして、それも少し悲しくなるのでした。
これが母なんだ。
そういう人なんだ。
そう思って、受け入れようと思いました。
母は母の人生を一生懸命に生きているし、これでいいんだ。
母が変われないのは、仕方ないことなのだ。
そんな風に思っていたのです。
潜在意識から読み解く『みぃちゃん物語B面』6・母との学び
それは、とても不思議で美しいセラピー。
見えない存在を扱うセラピーを学んでいた時のことです。
ペアを組んだ方が私をみてくれました。
すると第2チャクラに重たいエネルギーを感じると言われ、感じみてみると、それは若くして亡くなった若い女性のエネルギーのようでした。彼女から感じる深い悲しみ。
お母さんに受け入れられたかったのに、受け入れられなかった。
お母さんを悲しませたい。
でも、本当は、お母さんに愛されたい。
そんな深い悲しみを感じました。
そのときスピリットガイドから、メッセージが届きました。
「あなたは、お母さんに愛されていますよ。」
この言葉を聴いて
号泣したのは、私でした。
泣けて泣けて。
涙が止まらなくて。
雷に打たれたように
その言葉に打たれていました。
ああ、ずっとこのことを知りたかった。
ああ、ずっとこのことを実感できていなかった。
私はずっと、この言葉が欲しかったんだ。
それに気づかせて貰いました。
私は、
「お母さんに愛されていたんだ。」
このことを知りたくて。
だけど、知りたくなくて。
どこかで信じられていなくて。
知るのが怖くて・・・。
いつしか心の奥で、
「受け入れられたかったのに、受け入れられなかった。」
そう思っていたのでした。
ずっと「母は受け取ってくれない」
そう思ってきました。
私の気持ちも、私の好意も「いらない」って言われてしまう。
そう思っていました。
でも、"受け取れていなかった"のは、
本当は私でした。
私が欲しいのは、こういうもの。
それ以外には認めない。
だから、母の差し出すものは"違うもの"。
そんな風に決めつけて、母が母なりに差し出してくれているものを、ずっと受け取って来れなかったのは、私だったのです。
私と母は、ただお互いの表現や価値観が違っていて、相手の差し出しているものを上手く受け取れなかったのでした。
ただ、それだけのことでした。
こんな簡単なことに、ずっとずっと気づけなかったのです。
それは、「愛されている」って心の底から信じれていなかったから。
感じれていなかったからです。
私の気づきと共に
彼女にも気づきが訪れ、
笑顔になって天へと還っていったのでした。
とても軽くなった体感と心と共に
深い感謝と
静かな感動に
満たされました。
彼女の存在が
私に深い気づきを与えてくれました。
人は元々、魂というエネルギーの存在です。
エネルギーは同じバイブレーションのものが引き合います。
それが宇宙の法則です。
引き寄せたものを受け入れられない時
人は苦しむけれど、
そこには必ず理由があります。
その理由がなんなのか、
わかったときに魂は学び成長してゆくのです。
私は母のことを
受け入れたいと思いながら、
受け入れられない気持ちが
ずっとどこかにありました。
だから母を責め、
そして自分を責め、
悲しく苦しい気持ちを持ち続けていました。
でもそれは、愛でした。
愛したい。
愛されたい。
許したい。
許されたい。
そんなことを
純度高く、混じり気なく
突き詰めてきたのでした。
母は一生かけて
私にそれを教え続けてくれました。
私は一生かけて
受容することを学んできたのでした。
それからもう一つ。
最後に残された課題があります。
それが、「死」なのだと思います。
母は死が怖いのだ・・。
そんな風に冷静に見れているようでしたが・・・。
本当は、私こそが、母の「死」が怖いのでした。
その時自分がどんな風になってしまうのか、想像も出来ません。
一方ではとても冷静に、仕方ないこと、とわかっているけれど、そしてまた魂の有りようとしても、わかっているつもりですが、こればかりは体験しないとわからないのだと思います。
母はまだまだ私に教えてくれるのでしょう。