死ノ乗り越えカタ。
死にたいと思った事はあっただろうか?
少なくとも私はある。それが事実なのだから仕方ない。しかし、私は生きている。何の価値もなく生きているわけではないと思いたいが今こうやって記事を書く位しか能がないのが事実としてあるのは致し方ない事だろう。故に私は、思考を繰り返した。秘密の思い出を確かに心に抱きしめながら死にたいという欲求に勝ったのだ。狩ったのだった。
主に私をこの世につなぎとめた物を紹介したい。
一つは「アート」
一つは「文学」
一つは「ゴシック」
である。
一つずつ解釈していこう。まず「アート」だが、皆さんも近年の24時間テレビのイラスを担当された小松美羽さんをご存じだと思い話を進めさせていただく。
私は、小松さんの絵が大好きなのだ。それ以外に語る事はない。寧ろそれ以上語りたくない。だが、あえて言うならば彼女の信条に惹かれたというべきだろうか。必然だったのだと思う。絵のインパクト。それは、まさに私の価値観を歪ませ、この世の魅力を改めて認識させたのだ。
アート、それはまさにこの世の美学である。それと同時に娯楽としての楽しみでもある。アートが投資対象として今人気になっているが、私としては今が現代アートの勉強するべき時なのだと思う。
その価値観はすべて、己だ。
続いて「文学」について。
私は、様々な作品達に触れる事を楽しみにしていた。それはそれは、天国のような時間であり、本とは、最も手軽に教養を学べる娯楽であると思っている。非常に興味が湧いたのは、高校生になった時からだが、本という存在、文学という存在は私にユトリと心の平和を与えてくれた。かっこよく言うつもりはない。ただ、其処に文学があったから救われたのだ。この頃より私はなんでも読むようになった。それはそれは、貪るように。全てを喰らうが如しだった。中でも、心に余裕がで来た辺りで古典などにも手を出した。最初に手を出したのは、フランケンシュタインだった。
これは、私の生きがいになった。それ以外に何もない。ただ、本を読むという行為が好きで好きで仕方なかった。
次が「ゴシック」である。
この頃より、ゴシックという言われる分野に非常に興味が湧き、その道の先駆者たちを見て回った。最初に目に入ってきたのは、澁澤龍彦である。彼の生き方魅力にひかれる内に私はその芸術・美のすばらしさに惹かれるようになる。これは、先ほど記述した文学に通じる部分があり、まさに、私の好きが其処にはあった。
皆さんにも、死にたいと思う時が来ると思う。しかし、死ななければいそれでいい。明日があればそれでいい。どうせ、何時かは勝手に死ぬのだから。