なぜうつ病の多い年齢は曖昧なのか?
人はどの年齢でもっとも抑うつ的になるのだろう?
この問題に関しては、これまで膨大な数の論文が発表されている。しかし困ったことに、抑うつと年齢の関係は論文によって異なる。人は中年期に最も抑うつスコアが高くなるという論文もあれば、青年の抑うつスコアが最も高いという報告もあり、中には高齢になるほど抑うつスコアが高くなるという論文もある(Tomitaka S, et al. Front. Psychiatry 2018)。つまり抑うつスコアと年齢の関係は再現性があまりないのである。
さらややこしいのは、毎年同じ方法で行われる大規模調査でさえ、年度によって結果が異なる。例えばNational Health Interview Survey(NHIS)は歴史のある米国政府の保健調査の一つだが、抑うつスコアが最も高い年齢は調査の行われた年によって異なる。ある年では抑うつスコアは20代でピークとなりが、翌年度の調査では40代がピークとなり、その次の年度では70代がピークとなっていた(Keyes KM, et al. Am J Epidemiol.2014)。
抑うつスコアと年齢の関係ははっきりしない。この事実をどう解釈すればよいのだろうか。「抑うつスコアと年齢の関係は調査が行われた年度や地域によってそれぞれ異なる」という理解で良いのでは?と思う方もいるかもしれない。しかし医学的にはこの解釈に同意しづらい。
実はほとんどの病気の場合、病気のピークとなる年齢は一貫している。例えば高血圧、糖尿病、癌、認知症といった病気の場合、病気のピークとなる年齢は、調査の時代や地域に関係なく、一貫している。日本では高齢者に高血圧が多いが、米国では若者に多く、中国では中年に多い、といったことはあり得ない。
この疑問を解くために、抑うつスコアの分布は年齢とともにどう変化するのか見てみる。
米国で行われたNational Health and Nutrition Examination Survey (NHANES)という大規模調査の結果を紹介したい。この調査ではPHQ-9という抑うつ尺度が使用された。PHQ-9は現在世界で最も利用されている抑うつ尺度の一つである。PHQ-9は「1.抑うつ気分」「2.興味関心の喪失」「3.睡眠障害」「4.疲労感、気力の低下」「5.食欲の異常」「6.無価値観や罪責感」「7.易疲労感や気力の低下」「8.集中力の低下」「9.希死念慮や自傷念慮」の9項目からなる。
被験者は過去2週間に、これらの症状がどの程度あったかを、「全くない」「数日」「半分以上」「ほとんど毎日」の4つの選択肢から選択する(それぞれ0-1-2-3の点数が与えられる)。9項目の質問を4つの選択肢から答えるので、総スコアは0点から27点まで分布する。ちなみにPHQ-9におけるうつ病スクリーニングのためのカットオフ値は10点以上である(うつ病の8割はPHQ-9のスコアが10点以上となる)。
図1はNHANESの年代別のPHQ-9 の分布である。グラフは30代、40代、50代、そして60代の分布を示している。図1のグラフを見ると、PHQ-9の分布はすべて右肩下がりの形をしている。PHQ-9のカットオフ値は10点であるが(点線部分)、その前後においてもグラフは連続して右肩下がりを示している。特筆すべきは、すべての年代のグラフがほぼ重なっていることである。つまりPHQ-9の分布は年齢に対して非常に安定しているのである。
抑うつスコアの分布の年齢に対する変化については、日本人でも調べてみた。その結果、やはり抑うつスコアの分布は年齢に対して安定していた(Tomitaka et al. PLoS One 2015)。
図1のグラフを見ると、なぜ抑うつスコアと年齢の関係を調べた調査結果が一致しないのかを理解できる。PHQ-9の分布への年齢の影響がこれほど小さいのなら、抑うつスコアがピークとなる年齢も安定しないはずだ。
抑うつスコアがピークとなる年齢(うつ病が多い年齢)が調査によって異なるのは、抑うつスコアに対する年齢の影響が小さいからということが明らかになった。しかしこれにて一件落着とはならない。うつ病のストレス説から考えると、抑うつスコアに対する年齢の影響が小さいことは理解しづらいからだ。
ストレス説とは、ストレスの影響によってうつ病の発症を説明する理論であ強いストレスが加わると人は抑うつ的になる。またストレスに脆弱な人はストレスの影響を受けにくい。現在の精神医学においてストレス説はうつ病の発症を説明する最も有力な仮説でもある。
ストレスと年齢の関係を考えてみる。人は人生において様々なストレスを経験する。たとえば30代から60代において、人は仕事、結婚、子育て、転勤、自身や家族の病気、親の介護や死、といった様々なライフイベントを経験する。30代から60代においてずっと望み通りの生活が続き、何のストレスも経験しないという人はいない。
しかし図1に示すように、30年という時間差に関わらず、抑うつスコアの分布は安定している。30代から60代にかけて人々が経験したストレスは抑うつの分布に何の影響を与えていないかのように見える。
30代から60代の間に経験するストレスには個人差がある。何度も辛いライフイベントを経験する人もいれば、そうでない人もいる。さらにストレスへの耐性にも個人差がある。ストレスの影響を受けやすい人もいれば、そうでない人もいる。
そして経験するストレスの強さやストレスへの耐性に個人差が存在するのなら、抑うつスコアの分布は年齢とともに変化するはずである。しかし30年という長期間にも関わらず、分布は安定したままである。
図1から言えるのは、「個人の抑うつスコアはストレスの影響を受けるが、分布全体としてはストレスの影響を受けにくい」ということである。ちなみに論文を検索してみたが、抑うつスコアの分布の形が年齢に対して安定していることを論じた論文は見つからなかった。
抑うつスコアの分布の興味深い点は、個人の変動と分布の安定が共存している点にある。一般的に個人が変動すれば、それにともない個人の集合体である分布も変化する。しかし抑うつスコアの分布では、個人は変動するが、分布全体は安定している。つまり個人のポジションは移動するが、全体の配置は変わらない。まるで学生時代のクラスの席替えのようである。クラスの席替えでは、それぞれの生徒の席は入れ替わるが、教室内の席の配列は変わらない。
個人の立場で見ればストレス説は正しい。しかしマクロの視点で見るとむしろ安定説が正しい。ではどういった仕組みで個人の変動と分布の安定が共存するのだろうか。
文献
1)Tomitaka S, et al. Stability of the distribution of Patient Health Questionnaire-9 scores against age in the general population: Data from the National Health and Nutrition Examination Survey. Front. Psychiatry 2018 9:390.
2)Keyes KM, et al. Age, period, and cohort effects in psychological distress in the United States and Canada. Am J Epidemiol.2014 179: 1216-1227.
3)Tomitaka et al. Right tail of the distribution of depressive symptoms is stable and follows an exponential curve during middle adulthood. PLoS One 2015 10: e0114624.