抑うつ症状の分布モデルの再現性

前回の話はこちら。
https://note.com/memantine2000/n/n686ebd7dc8e8

#1 抑うつ症状の分布の再現性
これまで日米欧のいくつもの大規模データを用いて、抑うつ症状の項目反応の数理パターンの再現性を確認した。すべてを紹介できないが、興味深い知見が得られたデータを紹介したい。

米国政府は国民の生活様式を把握するため、毎年BRFSS(Behavioral Risk Factor Surveillance System )という公的調査を行っている。BRFSSではPHQ-8という抑うつ評価尺度が用いられている。なおPHQ-8とは抑うつ評価尺度であるPHQ-9から、自殺念慮の項目を除外したものである。

通常のPHQ-8では、過去2週間のうつ症状に関する質問に対して4つの選択肢(全くない、数日、半分以上、ほとんど)の中から自分にあった答えを選ぶ。しかしBRFSSでは、うつ症状の質問に対して0日から14日までの具体的な数字を選ぶ設定になっている。こういった具体的な日数を選択した場合の抑うつ尺度の分布を紹介する。

図1 A)PHQ-8の抑うつ症状の分布 B)対数グラフに入力したPHQ-8の分布 
Tomitaka et al.2017 Frontiers in psychiatry

図1AはBRFSS(18,000人を対象)のPHQ-8の分布をグラフに示したものである。いずれの抑うつ症状でも0日の頻度が圧倒的に多く、1日から14日の部分は頻度が少ない。注目すべきは、DS分布の特徴として、すべてのグラフが0日と1日の間の一点で交差(矢印)している。その一方、1日から14日の部分の分布は減ったり増えたりしている。

1日から14日のグラフが同じ比率に増減しているかどうかを確認するため、この部分を対数グラフにプロットした(図1B)。なお対数グラフでは、同じ比率で増えたり減ったりするとグラフが平行になる。

図1Bを見ると8つのグラフがほぼ平行にジグザグパターンを示しているのがわかる。つまり1日から14日では抑うつ症状の分布はほぼ同じ比率で増えたり減ったりしているということである。

図1Bのグラフを見ると山(矢印)と谷のパターンを認める。これは数値の好みdigit preference)と呼ばれる現象である。矢印で示すように山の部分は2日、5日、7日、10日、12日、14日といった「きりがよい数字」である(英語にはダースの概念があるので、12日もきりの良い数字)。人は数字を選ぶ際にきりがよい数字を好む傾向がある。したがってきりの良い数字を選ぶ人が増え、きりの悪い数字を選ぶ人は少なる成る。特筆すべきは、数値の好みの影響を受けながらも、抑うつ症状の分布はほぼ同じ比率で増減しているということである。

以上より、抑うつ尺度の選択肢を具体的な日数にしても、DS分布が成立するということがわかった。
 
#2 自殺念慮もDS分布に従うのか?
抑うつ症状には様々なものがある。たとえば前回のnoteで示したように、CES-Dには「7.過去のことについてくよく考える」「12.皆がよそよそしいと思う」といった、人生への後悔や他者への否定的なイメージも含まれる。そして前回のnoteでは、こういった複雑な心情もやはりDS分布に従うということを示した。

複雑な心情は、その個人の個性に裏打ちされているように思える。しかし集団として見ると、他の抑うつ症状と同じ数理パターンの分布に従う。これは人間の心理を理解する上で興味深い事実と思う。

抑うつが悪化するにつれ自殺を考える人が増えることはよく知られている。では「自殺念慮」もDS分布に従うのだろうか?

世の中における自殺念慮の分布を知ることは、自殺対策の点からも重要である。しかしCES-DやPHQ-8には自殺念慮の項目は含まれていない。そこで自殺念慮の項目を含むPHQ-9の分布を調べてみた。

米国政府はPHQ-9を用いたNational Health and Nutrition Examination Survey (NHANES)という大規模調査を毎年行っている(米国では毎年NHANES、NHIS,BRFSSという3つの全国調査を行っている)。PHQ-9は米国精神医学会のうつ病の診断基準(DSM-5)に対応している評価尺度であり、9項目の抑うつ症状からなる。被験者は過去2週間に、これらの症状がどの程度あったかを、「全くない」「数日」「半分以上」「ほとんど毎日」の4つの選択肢から選択する。

ちなみにPHQ-9の自殺念慮に関する質問項目は、「死んだ方がましだ、あるいは自分を傷つけようと思ったことがある」(Thoughts that you would be better off dead or of hurting yourself in some way)である。

図2は、PHQ-9の抑うつ症状の分布である。図3を見ると、PHQ-9のすべての抑うつ症状はDS分布に従っていることがわかる。すべてのグラフが「全くない」と「数日程度」の区間において、ほぼ同じ点(矢印)で交差している。一方、「数日程度」から「半分以上」までの区間ではすべてのグラフが収束しながら減少し、「半分以上」から「ほとんど毎日」までは少し増加している。

図2の矢印がが、「自殺念慮」のグラフであるが、他の抑うつ症状と同じ数理パターンを示している。つまり、自殺念慮の症状も同じDS分布に従うということである。

図2 NHANESのおけるPHQ-9の抑うつ症状の分布 Tomitaka et al. BMC Psychiatry 2018


自殺念慮の分布がDS分布に従うことがわかれば、世の中に自殺念慮を持つ人がどれだけいるかを推定できる。DS分布は今後の自殺予防対策に利用できると思われる。

NHANESにおける自殺念慮の分布の具体的な頻度は、「全くない」「数日程度」「半分以上」「ほとんど毎日」という選択肢が、それぞれ96.6%、2.3%、0.6%、0.6%だった。米国国民の3パーセント強は過去2週間に自殺や自傷をわずかでも考えたことがあるということである。

注意してほしいのは、「自殺念慮や自傷」の質問に対して「ほとんど毎日」という選択肢を選んだとしても、高い確率で自殺企図を行うわけではない、ということだ。むしろ「ほとんど毎日」という選択肢を選んでも、実際は自殺企図を行わない人の方が多い。当たり前かもしれないが、自殺を考えても実行しない人の方が圧倒的に多い。

もちろん自殺念慮の有無を尋ねられて、「ほとんど毎日」を選択した人は、「全くない」を選択した人よりも自殺企図を行うリスクはかなり高い。米国人を対象とした調査によると、「自殺念慮」の質問に対して「ほとんど毎日」を選択した人の場合、その後一年以内に自殺企図を行う確率が約4%であった (Simon A. et al. Psychiatr Serv. 2013)。 

その一方で、「全くない」を選択した人々が一年以内に自殺企図を行う確率は0.4%しかなかった。つまり「ほとんど毎日」を選択した人々は、「全くない」を選択した人々に比べて、自殺企図を行うリスクが約10倍高いということである。

しかし逆に考えると、「ほとんど毎日」を選択した人でも、96%はその後一年以内に自殺企図を行わなかった、ということである。こういったところにも自殺予防の難しさがある。

個人の自殺企図のリスクを高い確率で予測できれば、自殺予防に役立つと思われる。しかしPHQ-9の自殺念慮の項目だけで個人の自殺企図のリスクを予測するの難しい。抑うつ尺度の自殺念慮の結果は自殺企図のリスクを評価する上で参考にはなるが、それだけの情報で自殺企図のリスクを判断するのは難しい。専門家は他の様々な情報(過去の自殺企図の有無、置かれた状況等)を含めて、総合的に判断する必要がある。

なおお願いしたいのは、ここで紹介した情報を参考にして個人の自殺企図のリスクを推測するのは控えていただきたい、ということである。ここでは自殺念慮の症状の分布やリスクについての説明を行った。しかしこれはあくまで集団における確率である。個別のケースに、集団の確率をそのまま当てはめることはできない。もし家族や友人が自殺念慮や自傷に気づいた場合、まずは専門家と相談してほしい。
 
#3 不安症状の数理パターン
精神科では患者の訴える症状がそのまま病名となることが多い。例えば、抑うつ症状が中心ならうつ病、不安症状が中心なら不安障害、不眠が中心なら不眠症といった具合いである。

しかし中心となる症状を基準として診断体系を作ると問題も生じる。一人の患者が多くの症状を持つ場合、同時に複数の診断に当てはまることもある。これを専門用語で診断併存(comorbidity)と呼ぶ。

特にうつ病は不安障害と高い確率で診断併存となることが知られている。うつ病患者の多くは不安症状を持つし、不安障害患者の多くは抑うつ症状を持つ。そうなると診断並存となるケースが多くなる。例えばパニック障害という不安障害の場合、うつ病を併発する比率は5割を超えると報告されている。不安障害とうつ病の並存の高さを考えると(この二つが独立した疾患かどうかは厳密に言うとまだ証明されていない)、抑うつ症状と同じように、不安症状もDS分布に従う可能性がある。では実際に不安症状がDS分布に従うかどうか調べてみた。

不安障害の中に全般性不安障害という疾患がある。これは毎日の生活の中で漠然とした不安に悩まされる病気である。不安障害の中で最も多い疾患であり、人口の2-3%が罹患すると言われている。全般性不安障害のスクリーニングのため、GAD-7という評価尺度が作られた。なおGAD-7の項目は、DSM-5の全般性不安障害の診断基準の項目に対応している。

GAD-7は7項目から成り、「1.不安を感じる」「2.心配を止められない」「3.いろんなことに悩みすぎる」「4.リラックスできない」「5.落ち着かない」「6.すぐにイライラする」「7.恐怖を感じる」が含まれる。被験者は過去2週間、これらの症状がどの程度あったかを、「全くない」「数日」「半分以上」「ほとんど」の四段階から選択する。

2019年に米国政府は抑うつ尺度であるPHQ-8と全般性不安障害であるGAD-7を用いて健康調査(NHANES)を行った。その調査結果を分析し、PHQ-8とGAD-7のすべての症状の分布の比較を行った(Tomitaka S. and Furukawa T. BMC psychology 2021)。

図3 Tomitaka S. and Furukawa T. BMC psychology 2021

図3は、GAD-7とPHQ-8のすべての項目の分布である。いずれも同じDS分布を示している。どれが抑うつ症状でどれが不安症状の分布なのか見分けるのが難しい。つまり全般性不安障害の不安症状はすべて抑うつ症状と同じくDS分布に従うということである。

不安症状も抑うつ症状もDS分布を示す。しかも不安症状も抑うつ症状も抑うつの悪化に伴って増悪する。そうなると、うつ病と不安障害が高い確率で並存するのは、当前なのかもしれない。抑うつ症状と不安症状は分布の数理パターンから見ると、その仕組みを共有している可能性がある。

おわりに
これまで日米欧の様々な大規模データを用いてDS分布の再現性を確認したが、抑うつ評価尺度の種類や国や時代に関係なく、DS分布を確認できた。

ではなぜ抑うつ症状はDS分布を示すのだろうか?この疑問について考えるには、抑うつ尺度の総スコアの分布について理解する必要がある。次回のnoteでは総スコアの分布の数理モデルについて説明したい。


文献
1) Tomitaka S et al. Item response patterns on the patient health questionnaire-8 in a nationally representative sample of US adults
Frontiers in psychiatry 2017, 8, 251

2) Tomitaka S. et al. Distributional patterns of item responses and total scores on the PHQ-9 in the general population: data from the National Health and Nutrition Examination Survey. BMC Psychiatry 2018. 18: 108.

3) Simon A. et al. Does response on the PHQ-9 depression questionnaire predict subsequent suicide attempt or suicide death? Psychiatr Serv. 2013.64:1195–202.

4)Tomitaka S. and Furukawa T. The GAD-7 and the PHQ-8 exhibit the same mathematical pattern of item responses in the general population: analysis of data from the National Health Interview Survey. BMC psychology 2021 9: 1-11.


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