ウーバーイーツ/めぐりあい
最近、ウーバーイーツにはまっている。よく頼むのはインディアンカレー、海鮮丼の類いで、たまにファストフード。うちのある辺りは選べる料理の選択肢が少なく、サービスを利用する時はだいたいそれらのジャンルをローテーションしている。
料理は選べないが、食べものを運んでくる人はさまざまだ。はじめてカレーを頼んだ日、届けてくれたのは南アジア系の男性だった。個人的にはしっくりくるというか、お店の人が家まで直接きてくれた感じで、なるほどなあ、とか思いながらおいしく食べた。
その次からはいろんな人がきた。人のいい笑顔のおじさん。体育系サークルでも入っているのか体格のいい、大学生らしい風貌の男性。名前からしてイギリス人の男性。古着屋で働いていそうなイヤホンを耳に突っ込んだ兄ちゃん。当たり前だけれど、海鮮丼を頼んだら魚屋が「ご利用!ご利用!」と叫びながらうちに来ることはないし、親子丼を頼んだらニワトリとヒヨコが連れ立ってよちよちピヨピヨ歩いてくることもなかった(ちょっと見てみたいが、それよりも怖さが勝つ)。
ウーバーイーツをとおして自分の人生において絶対に会うことのなかったであろう人たちと会い、一瞬だとしてもその顔を見て、二言三言の言葉を交わしている現実はなんとも不思議な感じがする。
以前とある会社の就職面接で「社会人と老人と子ども、それらの違いはなんだと思いますか」という質問を受け、人との出会いの数だと私は答えた。孤独死する老人は年々増えており、自ら進んでコミュニティに参加しないかぎり人と会うことは少なくなっていくばかりの現代。子どもは家と幼稚園や小学校、習い事の教室を往復し、決まった相手と交流するのが基本である。対して社会人は仕事を通じてさまざまな人と会い、交流し、関係構築する機会にあふれている。そこがもっとも違う点であると私は説明した。
当時とっさに考えたことであるが、今思えば特定の年代層の人がもつ可能性を限定する、なんと偏った意見だろうと恥ずかしい。私なんぞがウーバーイーツを通じて来た相手とどんな人と人との関係がつくれるというのか。せいぜい「寒いですからお気をつけて」「ああどうも、ありがとうございます」ぐらいのごく簡単な挨拶をして三度まばたきすればその邂逅はおわりだ。対面で向き合うあたたかさなど微塵も感じられないし、そもそも相手だって求めていない。私とて自分自身の言う「自ら進んでコミュニティに参加しないかぎり人と会うことは少なく」、「決まった相手と交流するのが基本」でしかない。そこにくわえて「休みの日は出不精で、寒いなか赤の他人に出前を届けさせる」のだ。まったくほんとにこの社会人は。
思い上がるのもいい加減にして、うちで大人しく届くまでにちょっと伸びたうどんでもすすっていればいい。あと一日一回は外にでて散歩したほうがいい。ただでさえない脚の筋肉がもっと衰えるから。
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