バービーの記事に対する所感-2021/12/06-2
ごきげんよう。
別媒体で載せている記事をここにも載せたいと思います。お笑い芸人のバービーさんが、子どもを持つことに関して語ったニュース記事についてです。
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かなり前に私が読んだバービーの記事を家族が発掘したようで,私に「この記事読んだ?」と話しかけてきました。
そこから少し記事について話をしたので,話の内容を織り交ぜつつ,私がこの記事を読んで思ったことについて書いていきたいと思います。
記事の概要
記事の中では,守るものができることに対する恐れや,何があっても子どもを育てきれるのかという不安,一番愛すべき人を、地獄に呼び出して道連れにすることはエゴではないのかという疑問が綴られており,その内容には私も共感の念を覚えました。
しかし,彼女の持つそのような不安要素は様々な経験などを通して解消されていき,最終的には子どもを産んでもいいかな,と思うようになった,守るものがあって、失うのが怖いという恐れを抱えながら生きるのもいいかもと思えてきた,というオチです。
所感
「子どもを産みたくないと思っていた」という文字を目にして,お,私と同じ考え方をしているのかな?と淡い期待を抱いたけれど,結果として,子どもを持つことに対する彼女と私の考えは全くと言っていいほど質の異なるものでした。
勿論,「子どもをかわいいと思うかどうか」とか,「産まない選択をしてしまっているか,まだ選択をしていないか」とかのこまごました違いはあります。
ただ私が指摘したい違いというのはそこではなくて,
「子どもを産みたくない」という意志の背景にある合理的根拠の有無です。
ちょっとわかりにくい言葉遣いをしたので,詳しく説明しますね。
彼女の場合,自身の人生に横たわっていた問題や不満が解消されれば,「子どもを産みたくない」という意志はいとも簡単に崩れました。
この時点で,彼女は
合理的理由をもってして「子どもを産みたくない」と思っているのではない
ということが判ります。
なぜなら,任意の人物が自身の人生にどんな評価をくだしたとしても,「生殖すべきでないという事実」には何らの影響も及ぼさないからです。
本来ならば,自分の人生が幸せに満ちたものだろうが不幸に塗れたものだろうが,生殖は許されざるものであり,
彼女の場合なら,問題が解決されても「やはり子どもは産まない」と思い続けるのが合理的な態度でしょう。しかし彼女はそれをしませんでした。
結局,彼女の「子どもを産みたくない」という思いは,彼女自身の「承認欲求」だったのではないでしょうか?
彼女のいう「子どもを産みたくない」は,本当に子どもを産みたくないというよりは「自分のことを認めてほしい,人生がつらい,苦しい」という,彼女自身にまつわる単純な意見表明だったのでは?と思うのです。
だからこそ,自分の人生さえ好転すれば,「一番愛すべき人を、地獄に呼び出して道連れにすることはエゴではないのかという疑問」を持っていたにも関わらず,「守るものがあって、失うのが怖いという恐れを抱えながら生きるのもいいかも」などという矛盾した結論を導き出せてしまうのです。
しかもこの結論では,子どもを知覚・権利ある存在としてではなく「(あくまで)守るもの」というとらえ方で見ています。
こういう細かな部分から,彼女が子どもを大切に思って「産まない」と思っていたのではなく,「自分の不満を形容するために用いたテーマ」として「妊娠・出産」を選んでいたにすぎないという(私にとっては)残念な事実が明らかになっています。
子ども自身が抱く価値観が自分と違っている可能性を理解できず,自分のしたいことをやりたいと考えてしまう彼女の姿勢から,彼女の持つ「自己中心的」な側面が垣間見えてしまうのです。(私も人のことは言えないでしょうが)
というか,結局彼女は自分の中にある「産みたい」という気持ちに気づいた,という締め方をしているので,根本的にいろいろ私とは違っていたわけでした。ちゃんちゃん。
彼女は,我々の仲間ではなかったな,とまた肩を落としたところで,今回はおしまい。
それでは。
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